歴史

①新井系:1699年⇒紀州藩/大畑才蔵
           笠松井に対して海抜的に2m強高い
           国土強靭化事業で取水口を笠松頭首工に移転し取水
           をポンプ揚水に変更(2018年)但し、井組の開起古く
           平安時代末期(1100年代)と言われているが,旧星合井
           の史実よると中村川通水は室町時代(1300年代)と
           推定される(笠松井よりは古から存在)

➁笠松井系:1483年⇒郷士/村松嘉三郎(鵲神社で井の宮さんとして
           崇められ慰霊)現在の位置で取水(自然通水)

 

◆平成19年(2006年)両井が合併し三雲用水土地改良区が発足

沿革

1 三雲用水土地改良区

 本地域は、三重県のほぼ中央の一志平野に位置する雲出川と三渡川間にある平坦で肥沃な土地柄で稲作、いちご、いちじくの生産が盛な地帯である。
 平成19年9月(2006年)に 、 開起と地理的条件(耕作地の高低差が2m弱 )と取水口の異なる新井土地改良区と笠松井土地改良区が合併して、三雲用水土地改良区として新に発足して現在に至っている。

2 新井
 新井は井組の星合井が発端で笠松井よりは古く明確な記述をしたものは無いが、笠松井工事記録によると、室町時代中期に開起された笠松井よりは古く、平安及び鎌倉時代に遡ると推察される。
 上流地への要請及び調整を繰り返し古田井、須賀井等を利用しなから中村川から取水に至り、古井と改称したが安定的な水の確保には至らず、元録11年(1698年)紀州藩の大畑才蔵のもとに、雲出川の水を川合村其村で取水し、波瀬川を経由し中村川に落し取水する延長8kmの大工事で創立した井水で、完工後新井とした。
 先人の苦難の歴史が感じ取れる用水である。
 開発者大畑才蔵はその後、各地各藩の灌漑用水の開発及び指導で大きな功績を残した。

3 笠松井
 笠松井は文明15年(室町時代1483年)村松嘉三郎郷土の開起により、旧嬉野町川原木造地内の雲出川に堰を設け、この地より取水して舞出町→甚目町→肥留町を経由し、笠松町→小舟江町に灌漑した。
 その後寛文4年(江戸時代1698年)に肥留町で分派し南郷用水を作り、曽原町 ・中道町 ・小津町へ配水している。
 さらに文政6年(1823年)五主新田開基により、五王溝新設と合わせ、以降新田開発が盛に実施され水の配水が拡大した。
 開起者村松嘉三郎翁はその後、灌漑用水開発に関わり多大な功績を残している。
 当地もその功徳を称え、笠松八雲神社に「井の宮さん」として崇め現在も慰霊している。

三雲用水受益地における水利の歴史

三雲用水受益地の概要

 三雲用水土地改良区は、平成19年10月に笠松井土地改良区と新井土地改良区が合併して成立した。   合併時に笠松井320ha、新井320ha、合計640haであった受益地面積は、現在614ha、組合員数は640名である。
 受益地は、雲出川と三渡川の氾濫原で旧三雲町と旧嬉野町の 一部である。
 笠松井は、受益地の北西部に位置する嬉野川原木造町地先で雲出川から取水後、舞出町、甚目町を経て肥留町に至り、東行きの笠松・五主線と、南行きの南郷線に分かれる。南郷線は、各分水で東行きの準幹線が分派し、小津町地内まで流下する。
 新井は、新たに笠松頭首工で取水し、嬉野川原木造町の揚水機場から幹線水路に流すこととなった。北東行きの準幹線を分派した後、舞出町の南部からは灌漑地域の西縁に沿って南下しながら、各分水で東行する準幹線が分派し、小村南分水で東行きと南行きの準幹線に分かれる。

開祖

新井側

 三雲用水の受益地、雲出川右岸から 三渡川左岸の平野部は、古くから開発されて農業生産が盛んであり、大河、雲出川の水利用も古くから試みられた。当地域では、雲出川とその支流中村川から取水して灌漑する。須賀井、古田井、星合井(現在は新井に含 まれ る。)、笠松井、新井という井組があり、古い井組の開基は平安時代にさかのぼる。
 星合井は、現在は新井に改組されているが、笠松井より古くから開かれていたと考えられ 、 元禄初年(1688年)ごろの河原田文書に石高の大きな井組として記載されている。元禄11年(1698年)に古田井より分離した新井の発足により解消して、新井に含まれている。 

 

1.国道23号線バイパス建設に伴う
  八ヶ俣改修記念碑
  新井用水路開祖者大畑才蔵翁彰功之碑
  【平成23年3月(2011年)建立】

2.新井用水改修記念碑
  【昭和37年10月(1962年)着工】

3.笠松用水樋管改修記念碑
  【平成4年1月(1992年)着工】

4.笠松用水樋管代替え起工記念碑
  【大正9年2月(1920年)着工】

5.笠松井開起【文明15年(1483年)】
  村松嘉三郎本樋管伏替え記念碑
  【大正9年2月(1920年)着工】


笠松井側

 笠松井は、文明15年(1483年)村松嘉三郎の開基により、嬉野川原木造町地内の雲出川に口を設け、ここから取水して舞出町、甚目町、肥留町を経由し、笠松町・小舟江町に灌漑した。その後、寛文4年(1664年)に、肥留町で分派して南郷用水を作り、曽原町・中道町・ 小津町を潤す。
 星合、笠松、曽原 、中道、小津の海辺で、盛んに開発された新田にも導水され、その後開発され た 五主新田 (文政元年 (1818年 )ごろ ) や喜多村新田 (文政9年 (1826年)ごろ )にも導水された。なお五主新田には、新井用水も利用されている。
 古田井は、現在は 三雲用水の西隣の用水で、慶安元年(1648年)の開基時には、三雲用水の受益地をも含む井組であった。


新井と笠松井の合口

1.笠松堰  【昭和26年(1945年)起工】

2.笠松井頭首工改修事業記念碑  【昭和56年3月(1983年)竣工】

3.笠松井開起五百周年と開祖村松嘉三郎顕彰記念碑  【昭和61年11月吉日(1986年)建立】

4.笠松井・新井合口取水記念碑  

裏面に経緯の詳細記載 三雲用水土地改良区初の記念碑  【平成30年11月吉日(2018年)建立】