松阪市章 |
私達の町《飯南町…いいなんちょう》を紹介します。
飯南町は、三重県の中南勢内陸部、櫛田川中流に位置し、東は(旧)松阪市と多気郡多気町、西は松阪市飯高町、南は多気郡大台町、北は津市美杉町、松阪市嬉野町と、櫛田川を境界とするところを除き、各々山稜を境として接しています。
平たく言えば、三重県のほぼ真ん中に位置し、櫛田川によって南北に大きく二分され、周りを山に囲まれた中山間の町です。
町域の9割近くを山林が占め、林業を中心とする町で製材業が多く、品質の高い「木材」を産出するほか、櫛田川の朝霧に育まれた香り高い「お茶」、豊かな自然に包まれ、手塩にかけて栽培された「椎茸」、そして澄んだ空気の中で丹精こめて育て上げられた世界のブランド「松阪牛」などを特産とする、緑と清流あふれる日本の故郷です。
町内には現在40ヶ所の遺跡が発見されており、縄文式土器、石器、遺物などが数多く出土しています。
中でも、平成8年9月、粥見井尻遺跡から、ほぼ完全な形で出土した土偶(タイトル右の写真)は、1万2千年から1万1千年前の縄文草創期のもので、日本最古のものと見られています。
女性の上半身を象った、全長6.8cm・幅4.2cm・厚さ2.6cmの小さな土偶ですが、太古の時代にこの地で生活していた人々の暮らしを偲ばせ、我々を悠久のロマンへと誘ってくれます。
平成17年1月1日平成の大合併により松阪市を中心に飯南町、飯高町、嬉野町及び三雲町の1市4町が合併し、松阪市飯南町となりました。
飯 南 町 の プ ロ フ ィ ー ル | ||||||||||||||||||||
位置 | 東経136度18分51秒〜136度26分16秒 北緯 34度24分20秒〜 34度30分25秒 |
三重県のヘソ | ||||||||||||||||||
飯南地域振興局所在地 | 〒515‐1411 三重県松阪市飯南町粥見3950 п@0598‐32‐2512 URL |
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人口及び世帯数 | 人口 6,051人 (男 2,893人、女3,158人) 世帯数 1,877戸 飯南町が誕生した昭和31年には、人口10,251人を数えましたが、昭和45年5月1日過疎振興地域に指定されました。 |
平成16年12月1日現在 平成17年1月1日からは松阪市全体の人口動態しか判りません。 |
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面積及び土地利用状況 | 東西約10q・南北約12q 面積7,633ha 土地利用状況
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交通アクセス | JR・近鉄「松阪駅」から三交バスで50分 東名阪・名阪関JCT−伊勢自動車道松阪IC−R166 松阪ICから約30分 |
私が中学生の頃までは「松電」という軽便鉄道が松阪市のはずれまで走っていました | ||||||||||||||||||
飯南の山 |
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メンバーの中に局ヶ岳の主のような人がいます | ||||||||||||||||||
特産品 |
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見どころ |
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歴史 | 旧石器時代から、豊かな自然の中に狩猟、採集をする民が生活していた。 大和から伊勢の国を結ぶ交通の要衝として緩やかに発展した本町は、古代は豪族飯高氏の勢力下に属し、次いで神宮領となった。 中世になって北畠顕能が初代国司に任ぜられ、230年余にわたりその治下にあったが、織田信長の南勢攻略後は、事実上その子信雄の治めるところであった。 近世になって、蒲生氏郷が松阪に城を築き着任するとその治下となる。 その後、服部采女正一忠、古田重勝を経て、徳川頼宣が紀州藩主として着任するや、紀州藩松阪領及び田丸領として、明治2年の版籍奉還に至る。 飯南町の誕生は、昭和31年8月1日、旧柿野町と粥見町が合併したものである。 平成17年1月1日1市4町の合併により、松阪市となった。 今日もまた、ゆったりとした時間が流れています。 |
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