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艦隊は避暑地?北海道から日本海での猛訓練をしつつ舞鶴・佐世保寄港後、一気に南下して奄美大島へ

東支那海で陣形運動訓練中の第1護衛隊群「あまつかぜ」「たかつき」「きくつ"き」


[あまつかぜ」とのハイライン訓練艦首先端からサンドレッド投擲寸前の状況

古仁屋入港ご当地の銀座通り。S43年頃

(右)入港と同時に物売りが来て抜け目なく商売をしていく。
酒保帳同様サインで入手出来、後日給料日に精算という手軽さもあって良く売れた。右の人物は三石琢磨1士(後に護衛艦「いしかり」艦長)

2日程停泊の後、出港
複雑な地形のため入港時と同様手空き総員
航海保安置で上甲板に整列。

写真左のガードレールもない断崖を切開いた道路上に路線バスが停車して乗客と運転手が手を振っている。艦からも
帽振れが下令され、そのうち乗客は全員バスから降りて御婦人方はしきりにハンケチを振り始めたため非常になが〜い帽振れとなる。変針後真艦尾方向になって帽もといとなってからも乗客の見送りは続き、やがて岬の先端に集まって万歳が始まったのが遠望でき再度帽振れ
のどかな時代と土地柄もあろうが忘れることの出来ない
帽振れである。

次の寄港地鹿児島入港が土曜日朝であったので午後から上陸が許されるも当日は舷門当直のため在艦。

前直との申し継ぎを終え何気なく前方を見ると桜島から猛烈な噴煙が上がっているではないか。一大事である。
大正大噴火で鳥居の上部まで火山灰が埋まった写真を見た事があったので居住区に戻りカメラで何枚か撮影の後、当直士官に電話で報告「桜島が大爆発です!すぐ来て下さい。」
当直海曹は艦内巡視からまだ戻らないのでもうドキドキである。噴火直後の写真を新聞社がいくらで買い取るやろか?第1発見者でTVに出たら故郷の家族は観るやろか?

当直士官が登場..・・・落ち着いている???
「この程度の噴煙は毎日揚がっている心配に及ばず!それ以外に異常はないか?」

私:「舷門・艦内外異常なし!」 恥ずかし〜。

鹿児島駅前フェニックス通り

(右)出港後海上からの開聞岳風景