Part.1
乗組みの先輩から毎年夏期の猛暑の時期に東北・北海道を含め訓練しながら日本一周の航海に出ると聞かされ北海道なら悪くはないと期待したが世の中そんなに甘くはない!寄港地でのあれこれ。    
房総沖太平洋での陣形運動訓練
手前から「しきなみ」「たかつき」「「あまつかぜ]
合戦準備状態のため艦旗は後部マストに。
日本三景の松島を見ながら塩釜港に向かう 地蔵島灯台
景色を楽しむ間もなく特艇員漕艘用意発令になり塩釜港までカッターを漕いで向かう(1ヶ月前にカッター選手に選抜)見る見るうちにポパイの腕みたいに筋肉が着いていったような記憶がある。
折から仙台七夕祭りの真っ最中
                無事接岸完了 艦内一般公開と体験航海実施  
宮城県塩釜出港後、数日の訓練の後青森県三厩(ミウマヤ)港に入港
青函トンネルの本州側出発点の地で起工間もない頃であった。この時点で
真水管制も空しく艦の真水残量が苦しくなり、この地に水質の良い川が流れているとの情報により洗剤と洗濯物を抱え洗濯のため半舷上陸したことがあった。洗濯物は上甲板に干すことが出来ないので速やかに乾燥させるのも一苦労であった。

又、艦の投錨地は夜間イカが良く釣れて手空きの非当直員はこれに励んだものである。私が趣味の船釣の中でも最も得意とするのも、このときの体験が元になっている。間もなく地元漁師からの苦情でイカ釣り禁止令なるものが達せられたが上陸すると地元の雑貨屋等でもこの地独特のイカ釣り用擬餌針が並んでいて漁師が釣り方も詳しく教えてくれたから漁民の苦情と言うより消灯後も続ける者がいたのと外舷が墨だらけになって威容を損ねるとの配慮だったのかも・・・・・どうもそんな気がするなー。
国後水道を通り北見枝幸(エサシ)に入港お盆を過ぎた直後なのに余りの寒さに全員長袖夏服で上陸。土地の食堂に入ったときノースリーブの親娘が山盛りのカキ氷を食ばっていて土地柄で身体の構造も変わるもんだなと驚いたことを憶えている。
宗谷岬米軍レーダーサイト 港に出ると漁船の乗員から一緒に飲もうと誘われたが全く飲めない私は丁重にお断りすると「カニでも食え」と高価なカニを甲板上で腹一杯ご馳走になった。
家族や仲間がソ連に拿捕された方もいて「自衛隊さん軍艦で護衛して操業出来ないものか?」と聞かれ「私は将来海幕長になります。悪くとも護衛艦隊司令官まではいくでしょう。その時は大艦隊を率いてこの地に参ります。」と答え大爆笑!
漁民の皆さんもう暫らくのご猶予願います。
予定は未定にして決定に非ず
日本海に出る・・・利尻富士を見ながら利尻水道通過        「たかつき」利尻島沖