トプカプ宮殿

Topkapu Palace

↑ 上の画像(P)はトプカプ宮殿の模型です。上の画像をクリックするとトプカプ宮殿の図面がでます。(JTBポケットガイドより)

右の画像(P)は、スルタン・メフメット二世(1432〜1481年)で、イスタンブールの征服者であり、トプカプ宮殿の設立者でもあります。

 

↑ 第二庭園への入口 「表敬の門」

 

トプカプ宮殿は1467年にメフメット二世により築かれました。

以後約370年間歴代スルタン達の住居とされて来たようです。

 

約70万uの敷地の宮殿でした。現在内庭、モスク、ハレムなどが残っています。

トプカプとは、大砲の門という意味だそうです。

↑ 内庭

↑ クリックすると<宗教遺産展示室>入口が出ます。

上の写真は「謁見の間」正面・大理石の泉。


展示室は、宝物殿・陶磁器・衣装・肖像画・時計収集・宗教遺物・武器など数多くの素晴らしい展示が見られます。

左は金のオイルランプ(P)


中央は宝石で飾った水差し右は儀式用水筒(P)

世界的に有名な「トプカプの短剣」

 

マホメットの剣と外套を保存する 金の箱 と言われています。




金の鎖で吊るされている短剣の柄には三つの大きなエメラルドが飾られ、金の鞘も見事なものです。

これは、スルタン・マフムット一世がペルシャ王に進呈するため1741年造らせましたが、ペルシャへ運ぶ途中で王が死亡したので、再び使節団が持ち帰ったいわくつきの品だそうです。

86カラットという巨大なダイヤモンドが中央に、まわりには47個のダイヤがちりばめられています。

このダイヤは由来が不明で、スプーン屋ががらくたの中から発見したとも言われています。

別名「スプーン屋のダイヤモンド」とも言われるそうです。

フランス人の高官ピゴが1774年にインドで購入して、のちに持ち主を転々としてから、ナポレオンの母がトルコの知事に売却したとのことです。

その後トルコ政府が買い取ってイスタンブールへ戻ったらしいです。

写真はきれいに撮れなかったので現地図録からとりました。

金の水差しと受け皿(P)


エナメルの果物蜜煮用セット(P)

立派なコーラン

金の「ゆりかご」

陶磁器展示館には、日本・中国・ヨーロッパ・トルコの立派な陶磁器が多数展示されています。伊万里焼の壷は素晴らしいものです。

↑上の写真をクリックして下さい。イスラム模様の大皿が出ます。


↑ 上の写真(P)はスルタンの「イェニチェリ」と言われる軍隊の音楽隊をショーとして演じています。

← 左の絵(P)は、ハレムの暮らしのひとこまで、「ウトゥ」という楽器を奏でる美女を描いています。

ハレムの内部、右の写真は「饗宴の間」と呼ばれています。(g)

ハレム(=タブーを意味します)

ハレムは当初さほど大きな規模ではなかったようですが、16世紀末頃には400室の部屋数まで拡張されました。

さまざまな国の魅力的な女性が常時300人程、19世紀までトプカプ宮殿で暮していました。奴隷出身の者もいたようです。

若く美貌で教養のある12人の女性が常時スルタンの世話をし、寵愛を受け男児を出産すれば「ハセキ・スルタン」の称号を受けました。




 

 

マルマラ海を見晴らすトプカプ宮殿の一画。

 

 

このレストランで、昼食をいただきました。

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