Home 略縁起 寺宝・諸仏 アクセスマップ ご案内
Photo:涅槃図

普賢寺略縁起

 佛土山恵日院普賢寺はかつて、天台宗摩尼山金剛座寺の塔中のひとつであったと伝えられています。かつて神坂地内には七カ寺があり、織田信長の焼き討ちによって消失したとも伝えられています。古地図には「普賢寺観音堂」の名が見え、古くから観音信仰の盛んな土地柄であったことが偲ばれます。

時代考察

Photo:普賢菩薩坐像 普賢菩薩があるから普賢寺と名付けたのか、普賢寺だから普賢菩薩がおわすのか定かでない。しかしこの佐奈(現在は多気町)のあたりは伊勢(三重県)で最も古い歴史をもった地域であり、佐奈は「古事記神代巻」の天孫降臨の条に「手力男神(たぢじからお)は佐那の県に座(いま)せり、」とあり伊勢の国で一番初めに出てくる地名である。
 また同じく、「古事記」に「伊勢の品遅部君(はんじべきのきみ)伊勢の佐那の造(みやつこ)の祖」とある。品遅部君とはまたの名を曙立王(あげたつきみ)と云い祖父は日子坐王(ひこいますのきみ)、父は大保坐(おおまたのきみ)である。日小坐王は、大和の三輪山から神権を得て大和一帯を平定し、大和朝廷の基礎を作り上げたとされている崇神天皇(御真木入日子印恵命ーみまきいりひこいにえのみことーはつくにしらすすめらみこと)の弟に当り、三上山から神権を得て近江を中心とした地域を統活した。いわば身分の高くはっきりした有力豪族であった。このように佐那の地に天孫降臨の八神、手力男神や、有力豪族が坐せりとあることは、この地が早くから開け、高度の文化をもち、政治経済にも極めて重要な処であったことの証差といえよう。

 佐奈社(祭神手力男神)についても「南勢史概説」でその位置をここ神坂あたり(金剛山)と説かれている。神坂の地名についても山上の神と里宮とを結ぶ聖なる道(祝女(はふりめ)が潔斎(けっさい)して山上に登り一心に神のお告げをうけ玉はり山を降って里宮におつげを伝達するに上り下り往き交ふ道)と考えたい。
 又「延喜式神明帳」に「穴師神社」が佐奈にあったことを記載し、その神社跡南に接して藤原不比等創建と伝えられる金剛座寺(本尊如意輪観世音)がある。又近くには丹生(水銀)があり豪族飯高氏が建立したといふ近長谷寺(本尊十一面観世音)がありこの長谷に隣して、山続きになる神坂も当然と高い文化に浴した土地であったとうかがえる。

「普賢菩薩収蔵庫」
 
Photo:普賢菩薩収蔵庫
〒519-2177
三重県多気郡多気町神坂223
TEL 0598-37-2888

 
Copyright(C) 2012 Martin All Rights Reserved.