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Photo:涅槃図

寺宝・諸仏

普賢菩薩坐像(国指定重要文化財)

Photo:普賢菩薩坐像 普賢寺の名前が示すとおり本尊は普賢菩薩坐像であり、大正5年、国宝に指定されています(旧国宝)。文化財保護法の制定により国の重要文化財に指定されました。普賢菩薩の彫像としては我が国でも最古級の作例と言われています。

 螺髻(ぐるぐる巻いて束ねた髪の毛)、花冠(花のような冠)や肩までかかる垂髪、臂釧、腕釧(釧は飾りの環)など一材から彫り出され、楠材の使用などからも檀像彫刻の流れを汲む彫像であると言えます。胸部の条帛はやや細く、結び目が小さく端が短く垂れていないのが古式であると言われています。厚く堂々とした胸、ひきしまった胴部など量感あふれるお姿です。これらの特徴は京都の教王護国寺(東寺)の梵天像に似ており、作者は同じ弟子筋に当たる渡来人なかったかと推定されています。高く肉付きのよい膝や鋭角にまげた右足は別材を矧いでいますが、それらを覆う衣の彫りの浅い飜波式衣文(大波と小波を交互につける衣服の襞)など平安前期の特色を備えています。

 国宝指定の大正時代、重要文化財指定後の昭和三十年代に大きな修復が行われ、現在のお姿になりました。ことに昭和の修理は西村公朝氏が美術院所長として初めて手がけられたと言われています。平成十七年から約一年間をかけて、虫食いの進行と地震対策のため再び美術院での補修が行われました。

 普賢菩薩は釈迦三尊像の脇侍として文殊菩薩と並んで祀られることが多い仏様です。如来の智慧を表す文殊菩薩に対して、普賢菩薩は如来の修行や如来の実践力を表しています。『華厳経』という教典には善財童子という長者の子どもが道を求めて尋ね歩き、最後にたどり着き悟りを開いた五十三人目の師が普賢菩薩であったという話があります。『妙法蓮華経(法華経)』の最終章(普賢菩薩勧発品第二十八)には、普賢菩薩は『法華経』を読み、書き写し、解釈する人々を守る誓いを立てたことが説かれています。『法華経』は女人往生を約束すると説かれているため、それまでは成仏できないとされていた女性達は普賢菩薩への信仰を厚くしたものと考えられます。また、普賢菩薩は辰年・巳年の守り本尊とされています。

 
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Photo:十一面観音立像十一面観音立像

 十一面観世音菩薩についても、緑起その他は不明ですが、室町時代の作と推定されています。大正元年には現在収蔵庫が建つ場所にあった観音堂が倒壊し本像の光背も壊れたため修復されたと伝えられています。慈悲の菩薩として信仰されてきたのでしょう。現在もなお観音講が続けられ、毎月十八日には観音経やご詠歌が奉唱されています。
 十一面観音には種々の様式がありますが、当寺の観音様は所謂長谷寺形と云われる二臂で右手は与願印を結び、錫杖を立て其の手に念珠を懸け左手には蓮華をさした水瓶を持っているもので、十一面観音と地蔵菩薩の合体の尊といわれています。

金銅十一面千手観音懸仏

 銅で鋳造し、鍍金を施した仏像で厨子に固定する形の懸仏(かけぶつ)で量産されたもののようです。制作年代は一説には鎌倉時代まで遡るのではないかと言われています。法華(ほうげ)寺跡から出土したものを地元の方が守ってこられたものです。

薬師如来立像

 浅い線刻で素朴な造りのお薬師様です。

千手観音立像

 「宝暦二壬申九月 尊住 天台沙門 暁海」の墨書銘が台座裏にあります。
Photo:金銅十一面千手観音懸仏 Photo:千手観音立像

涅槃図

 元禄十一年の箱書きがある涅槃図です。松阪市飯南町下仁柿の両泉寺に伝来した物です。

Photo:涅槃図
 
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「普賢菩薩収蔵庫」
 
Photo:普賢菩薩収蔵庫
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