――傍観の崖――
傷ついて傷ついて、2度と誰にも近づかないと....
そうして、街より離れたのは何時だったか
何時しか、自分はこうして街を眺めているだけの傍観者なのだと思っていた
誰にも関らぬ、誰にも会わぬ、ただ見ているだけのもの
記録者でもない、見ているだけの者だ
感情というものを押し込め、そしてただの人形になった
いや、元よりただの人形だったくせに、人間ごっこをしていただけだったのだと自分を嘲笑った
愛していた、という感情さえも、作り物っだったと思えた
そのほうが楽だった
「愛」を知らずにいた方が傷つかずに済むからだ
そうして、季節が廻っていくのを感じながら、ずっとこの崖の上から街を見下ろしていた
誰と話すこともなく、誰とも関ることなく、毎日がただ過ぎていくのだ
それは、1年を過ぎた頃、もう自然な姿となってこのままずっと続いていくのかと思われていた
少なくとも、私にはそうだった
しかし、それはあまりに突然現れた男にたった1日で崩されることになる
男の言葉は突然なものだった
「なぁ、あれアンタの家?」
崖の上にたった一軒の家、そしてその傍らに佇む女の姿
問いかけずとも、男にはわかっていたのだろう
「押し売り、勧誘ならお断りだよ.....何か用か――...?.」
私の声は警戒に満ちて、酷く冷たいものだったに違いない
でも、男はまるで気にすることがないように、表情を変えることがなかった
それに反した男の笑み、嫌味っぽいような意味深なものが向けられていた
「生憎と今は売るようなもんも持ってないんでね、ただ歩いていたらたどり着いただけさ」
男の口調には嘘がなさそうにも見えた
それでも、女の心が開かれることもなく、愛想笑いを浮べるでもない
短くなった煙草を足元へと落とすと踏みつけるように消した
足元の紫煙が儚く夜闇に消え去っていった
同じ崖に立ち、同じように街を眺めた
自分の場所に入りこんできた男を酷く警戒した
移り住んで、初めて訪れた奴だった
私が何を言った所で、男はただ皮肉めいた笑みを浮べて、立ち去ろうとはしなかった
暫く話すと、私はその場に男がいることを諦めていた
受け入れたのではなく、その崖が誰のものでもないことに諦めたのだ
男は名を「カイム」と名乗った
嫌味っぽく浮べられる笑み、それが最初に目についたが不思議と不快に感じられることはなかった
夕陽が落ち、夜の闇が包み込み、街には1つ、1つ、と灯りが灯されていく
私は振り返り、崖のすぐ傍に建つ自分の家を指し示した
当時、傷ついて殻に篭ってしまった私へと、旧知の龍王が建ててくれた家だった
街に住むのが辛いなら、此処が好きならば、気が済むまで此処で心を休めればいいと与えてくれたものだった
結果として、その家は私の殻となり、私はその家と崖から離れることは無くなってしまっていたのだ
ただ、その家すらも私にとっては「あるから住む」という程度のものであり、どうしても、と執着する対象とはなっていなかった
人に対しても、物に対しても執着するということが無くなってしまっていた
龍王に対してですら、お節介な、程度のことであり、感謝などしていなかったように思える
その家を見たカイムは信じられないことを口にした
「今日から此処に住む」
「はぁぁっ?」
私はかなり驚いた顔をしていたことだろう
何故?
何を言っている?
コイツは何者なんだ?
様々な疑問符が浮かんだ
「あんたこの家いらねーんだろ?」
男が嫌味っぽい笑みを浮べて私に言葉を向ける
嗚呼、そういうことか
私は心の中で何の怒りも交えずに納得した
そうなれば、簡単なことだろう
私が出ていき、この男が住むというわけだ
私は野宿の生活に戻るということ
投げやりな納得の中、誰が見ても不条理な言葉へと私は頷いた
「ああ、そういうことなら荷物を持って出ていくから」
そう言った私に対して男はまたも口を開く
「この家なら2人で住んでも狭くなさそうだしな」
「女を引っ張りこむのか?まぁ、広くはないが2人で住むくらいなら充分だろう」
そう思えばなんとなしに家へと足が向いた
1年間住み慣れた家ではあったが、これほどまでに執着心がなくなるものだろうかと思えるほどに出ていくことへの抵抗というものはなかった
荷物など、着替えの数枚だけであとは用意されたものだっただけに、残していくことにも躊躇いはない
不必要だと思えば、この男が処分するだろう、くらいのものだった
「俺とあんたで2人だろう」
男の声が聞えた
耳を疑った、といえばいいのだろうか
いや、それは男の冗談かもしれない
俄かに信じられないのも、あまりにも突然のことであれば当たり前なのかもしれない
家へと向う足は止まらずに、信じていいのかどうか、いや思い切り信じられない気持ちの中で口だけが勝手に動く
「勝手にすりゃいい」
それは、此処に住むことを了承してしまった言葉になるのだろうか
一夜だけの気紛れかもしれず、そして今だけかもしれない
例えば、男がこそ泥の類であったとして、家より金品が無くなっていたとしても、それこそどうでもいいのであれば、自分も特に男を拒否することもなかった
こうして、長かった独りでの暮らしは終わる
奇妙な同居生活が始まる
この時、まだ其れが続くのだとは思ってはおらず、男の気紛れな一晩の宿だと思いながらではあったのだけど...