―――誕生―――
深い闇の世界だった
其れは何のために出来たのか、誰が作ったのか、そして何処まで続くのかなど誰も知るものはない
私が知るのは、深い闇の世界があるということだけだった
伸ばした手の先すら飲み込まれてしまいそうな闇というものが、確かに其処には存在していた
音はない
本当に音がないというものは、恐怖すら感じさせるものなのかもしれない
耳といい、体中の神経が研ぎ澄まされていくかのような鋭さすら与えるような空気の張り詰め方だと思った
兎に角
その闇には確かに最初は気配などなかった
――辛い...
――苦しい...
――痛い...
徐々に人々の声、いや思念が渦巻き初めていく
最初は数えられる程度のもの、しかし時がたつにつれ、その思念を聞き分けることすら難しくなってく
――痛いよう.. 悲しいよう... 辛いよう....
悲痛な叫び、そして..
――憎い... 悔しい...
といった、憎悪の感情までが混ざる。
それらは決して目に見えるものではなく、あくまで思念として感じられるものだった
闇に変化は見えぬ、しかし何処か薄ら寒いものを感じる
鳥肌が立つような怖気が襲ってくる。
今、此処が闇ではなく、光の当たる場所であったとしたら、間違いなくその思念が竜巻のように渦を巻く姿が目に見えていたのだろう
どれくらいの時が過ぎたのだろうか
集まってきた渦巻く思念は大きさを増していくばかりで、まるでこの巨大な闇の世界をも飲み込んでいくかのようで、闇が思念に飲み込まれて支配されていくのではないだろうかと錯覚さえ起こし始めた頃だった
ふと、その闇に核のようなものが見えた
光だろうか?
いや、光ではない
其れは徐々に人を、女の姿を模していくかのように思えた
年のころ20歳くらいであろうか
しなやかな肢体、されどそれはまるで陶器のように生気を得ないものに見えた
白磁の肌にまるで紅を施したような鮮やかな唇
闇の色にも負けぬ、更に深い闇を示すような黒髪
作り物、そう「人形」とでも言うべきものだろうか
よく出来たマネキン、いやそれよりも人に近い姿、蝋人形というのが正しい印象の姿
其処に浮いているのか、横たわっているのかもわからない
思念は女の姿へと吸込まれていくかのように轟音を響かせ、その中に悲鳴のような声を響かせていく
吸込み、身の内へと取り込むほどに、女の姿は血色の良い人へと変貌を遂げていく
そう...それはまるで命を得たように感じられ、息遣いさえ感じられるような気がした。
―――メザメロ...
何処からともなく、低い男の声が響いた
気配はない
今まだ、思念の残存する闇の中で、瘴気のようなおぞましい気配が1つあるような冷たいものの存在が浮かぶ
ただそれは、何処と聞かれればわからない
1つと表現したが、闇全体なのか無数に散っているのか、大きいのか小さいのか要領の得ない曖昧に感じられるもので、わざと居場所を知られぬようにしているのか、元より実体というものが無いのかも計れずにいた
その声は闇全体が発した声のように低く、聞いただけで恐怖を感じずにはいられないかのような声だった
―――メザメロ 闇ノ人形ヨ...
再び声が響いた
すると、それまでピクリとも動くことのなかった女の手が、足が動いた
カっと見開いた瞳はまるで血の色のように感じられ、鋭く光っているかのように闇の中ですらはっきりと浮かびあがった
――主様...
人形は、いや今は人間の娘と変わらぬ存在は口を開いた
透き通るような声、高くも低くもない凛とした声が響いた
まるでベットか何かに寝かされていたように足を下ろして立ち上がった。一糸纏わぬその姿は、闇に飲まれることなく白く浮かぶ。其れがまた、この世のものではないことを知らしめているかのようだった
白磁の顔に写る緋色は3つ
その血のような双眸と、紅模した唇だった
冷たく――...凍るような冷酷さを伝える双眸は、声の主が見えているかのように1点だけを見詰めていた。
その視線の先には先ほどと同じ深い闇があるだけのはず、それなのに女の双眸には誰かが写っているようだった
―――クククッ......俺ノ玩具..名ヲ璃紗ト............
再び男の声が響いた
低い喉を震わせるような笑い声は、凍るように冷たかった
男の声は笑っていても、見えぬ姿の瞳は笑っていないだろうことを容易に想像することが出来た
血の凍るような、という表現はこの場合に当てはまるのかもしれないとすら思える光景だった
美しい、そう思える光景が、恐くもあった
――璃紗...はい、主様.......仰せの通りにと...
誰もいない虚空へと女は片膝をついて頭を垂れた
長い髪が白い肩を落ち、滑らかな肢体のラインをなぞるように滑っていく
伏せられた貌の下で、唇が僅かに歪んで見えた
笑っている
そう、確かに女は薄らと笑みを浮べていたのだ。微笑などという柔らかなものではなく、聞える男の声と同じような冷たい微笑みを浮べていた。
―――お前ニハ、闇ヲ操ル力ヲ。ソシテ感情トイウ愚カナモノヲ与エヨウ。ソノ感情デ俺ニ仕エロ....
男の冷たい声と共に、風のように闇を漂っていた思念が再び集まり始めていた
男の下でも女の下でもない、何処かへと集まっていくような風の流れを感じる
やがて、その思念は銀の短刀と緋色の鞘に包まれた漆黒の日本刀を闇に浮かべ、女の足元へと音もなく表れた。
足元の其れへと女が指先を触れると、音もなく消えた
指先に吸込まれるのうな、闇に解けるような消え方だった。どちらであるかなど判断できようもない現象であったのだが、女の口元に生まれる微笑に、かろうじてそれが女へと吸込まれたのだと読み取ることが出来た
その2つが消えると、伏せていた貌を上げて立ち上がった
ひたひたと
足音はしないはずの闇の中で、聞えるような錯覚があった。
素足がまるで床を歩くように運ばれたからだったのだが、頭上も足元も変わらぬ闇が広がり、女の歩いている姿も其れが歩いているのが浮かんでいるのかも判断できないものであったはず
それなのに、何処か歩き近づいていくような動き方に見えていた
近づく
近づいていく
更なる深い闇へと近づいていくように思えた
はらり
何処かで花弁が散るような感覚を覚え、其れは歩いていく女の姿のイメージと重なった
闇に飲み込まれていく姿
其れは包み込まれていったのかもしれない
次第に白い肌は見えなくなっていった
それほどの時を得ず、聞えてきたのは男の低い笑い声と、女の泣き叫ぶかのような高い嬌声だった
冷たい
残酷なほどに冷たく美しい玩具、闇は其れを生み出したのだろう
始まるのは血と殺戮
そして肉欲に溺れる哀れな玩具
――「終焉、そして堕落街へ」と続く筈(汗)―――