―― 一夏の...――
暑い夏だった
私は何時ものとおり退屈な会社で退屈な仕事を淡々とこなしている
外では蝉が忙しなく鳴いているが、クーラーで冷え切った事務所とは別世界のような気がした
何もなければ、何時ものように17時までの仕事を終えて家に帰ってと何時もどおりの生活のはずだった
何時もと違うことは唐突に起こるもの
不意に私の携帯がメールの着信を伝える
私は事務所のほかの人より隠れるようにして携帯を見た
差出人は私のネットの友達だった
友達というよりも、3つ年下のその子を私は弟のように可愛がっていた
何処か、雰囲気が私に似たその子を他人のような気がせずに、私は何かと世話を焼いていたのだ
23歳の男の人に、可愛いだの世話を焼くだのは失礼な言葉なのかもしれないが、私はその子を可愛い弟として扱っていたのだろう
「彼女が死んだ」
彼からのメールは短くそれだけを告げていた
どういうこと?
そう、返信しても彼からその後の返事はなかった
私と彼がネットで知り合ったように、彼と彼女もネットで知り合ったはずだった
私はその後の仕事の一切が手につかず、17時を待ちかねたように彼の家へと向った
彼の家は実家ではあったものの、彼が元々両親が事務室として使っていた部屋を使っていたので離れのようなものだった
無機質な天井や壁、電気、其処が事務所っだったと伝えるには充分な彼の部屋
その部屋には似つかわしくないベットやパソコンやゲームの数々
若い男にありがちな、ジュースやお菓子の散乱
電気もつけていない部屋の、ベットに彼は寝ていた
眠ってはいないようだったけれど、顔を上げようとしなかった
「こま...?」
私は彼をそう呼ぶ
小牧だから「こま」安直ではあったけれど、私は決して彼を名では呼ばなかった
唯一のケジメのようなものだったのかもしれない
彼は返事をしない
すでに勝手しったるな仲だった私は靴を脱いで上がりこんだ
ベットの脇に腰掛けて、彼の柔らかな髪を撫でるように触れた
それでも彼は動かなかった
暫くの間、私は彼の髪を撫でていたのだろうか
不意に彼の腕は動いた
私を抱きしめ、胸に顔を埋めた
泣いてはいなかった
強く私を抱きしめて、彼は暫くの間そうしていた
私の片手は彼を抱きとめ、そして片手は彼の頭を撫でていた
ふと、目についたのはテーブルに置かれた女の子の文字の手紙だった
開いたままになっていた手紙を私は悪いと思いながらも、目を凝らして読んだ
「この手紙を読む頃にはこの世にいないかもしれません
お母さんにならってミサンガを編んだので送ります。
私は、天国からずっと見ています。だって私は小牧くんのお嫁さんなんですから。
私が死んでも悲しまないでください」
と、そういったところだけ読み取れた。
そう読んでから、私の背に当たる腕だけはない違和感に気付いた
彼はきっとそのミサンガを嵌めているのだろう
暫く、そうして静かな時が過ぎていた
彼も、私もそうしたままで...
彼の体がビクンと動いた
急に何も言わずに彼は立ち上がり、まっすぐパソコンへと向った
私は何が起こったのがわからず、しかし、何故か問いかけてはいけないような気になって何もいえなかった
彼はすごい勢いで何かを始めた
其れが1時間くらい続いたのだろうか
携帯を手にした彼は私にようやく振り返った
「寝てていいよ。俺、電話してくるから」
飲んでは彼の家に泊まっていた私は頷いた
その頷きを見てから彼は部屋を出た
すぐに話し声が聞え始めた
私はいけないことだと思いながら、彼のパソコンへと引寄せられるように近づいた
モニターには誰かと会話していたメッセのウィンドウが残っている
ピンクの文字、そして彼はブルーの文字
手が勝手に動く
真夏だというのに、寒く感じた
見ないほうがいい、そう思っているのに私の手は止まらずにマウスを手にした
会話の上へと移動していく
「お姉ちゃんもお母さんも泣いてるの」
「私が死んじゃったから泣いてるの」
ピンクの文字は語る
「美代子なのか?」
ブルーの文字は訊ねる
「今みんな私の体の傍にいるから、お姉ちゃんのパソコンを動かしてるの。みんな泣いてるから誰も気付かないの。」
ブルーの文字は支離滅裂だった
信じたい、信じられない、そんな気持ちだったのだろうか
私は信じられなかった
「お姉ちゃんに電話して上げて。私から泣かないでって言ってたって言ってあげて」
「私小牧くんのお嫁さんになるの」
「死んでも小牧くんのお嫁さんだから」
ピンクの文字は切々と文字を綴っていく
ブルーの文字が返事を返すまえに、ピンクの文字で埋め尽くされ居る
やがてブルーの文字は
「わかった。お姉ちゃんに電話してくる」
と返していた
そこでブルーの文字は途切れていた
「有難う」
「小牧くんの彼女になれてよかった。私が死んでも悲しまないでね。私はずっと小牧くんのお嫁さんとして傍にいるから」
ピンクの文字はそこで終わっていた
私は、寒いような恐いような気持ちで一気に最後まで読み終えた
彼は帰ってこない
「パソコン消さなきゃ」
不意にピンクの文字が現れた
私は、盗み見したのがこの美代子さんにばれたような気になった
慌ててパソコンより離れようとしたその時
何故か、彼のパソコンが終了処理され始めた
ウィンドウが落ち、電源が落ちた
私は何も触ってなどいない
触れずにモニターは真っ黒になり、静かになった
外から彼の電話の声が聞えた
「美代子が、お姉ちゃんに泣くなって言ったんだから」
私は彼のベットへと潜り込んだ
美代子さんが見ているかもしれないと思うと、そっと呟いた
「私は姉だから、こまは弟だから心配しないで」
それから、15分ほどして彼は電話を終えて戻ってきた
パソコンの電源が落ちていることを、まるで知っているかのようにそのことで私には何も尋ねることがなかった
ベットへともぐりこんでくるシーツの動きを感じると、私は眠っていたのだとでも言うかのように目を擦り彼を見た
私も何も尋ねず、彼も何も言わなかった
もう、彼は何かを堪えるかのような強さで私を抱きしめることはなく、何時もの飲んで帰ってきた時のようにただ隣り合っていただけだった
夜は明け始めていた。ブラインドの隙間から覗く夜は白々とし始めていた。
「夏休みになったら、墓参りにいってくる」
彼はそういって眠りに落ちた
私は彼に向き直り、1度だけ慈しみをこめて頭を撫でると目蓋を落とす
長くて短い一夏の夜......