――雪花――


「お互いが好きなだけじゃどうにもならない」
彼はこう言った。
私は振られてしまった
彼と私は遠距離恋愛
知り合ったのはもう7年も前だった。
当時、まだ子供だった私たちの付き合いは、たった3ヶ月で破局し、その後1年ちょっとは友達として、徐々に連絡を取らなくなり5年間が過ぎていった
5年間、お互いの時間が流れていた
寂しかった私たちは寄り添った
寂しさが紛れるような気がしたからだったけれど、お互いの寂しさを深めただけだった
だから、自然に2人の間に別れの予感が押し寄せてきていた

「やっぱり、無理だね」
キッカケを作ったのは私
場所は冬の海
絶好のロケーションというのにはあまりに辛すぎた
「ん...」
彼は暫く何も言えずにいた
だから私も黙っていた
「家族より俺のことわかるから..」
暫くして彼はポツリと呟いた
彼の方を見たが、彼は私を見ずに海を見ていた
冬の海は風が強く、雪花が散っていた
肩を寄せ合い、違いの体温で寒さを凌ぎながら、それでも2人は座っていた
ゆっくりと時間が進んでいく
このまま時が止まってしまえば、ずっと一緒にいられるのだろうか
その言葉は飲み込まれた、そして違う言葉が喉をついて呟かれた
「なんでかな、わかっちゃうんだよね...顔を見てなくても、声聞かなくても、メールを見ただけで今どんな気持ちでいるかわかるよ」
「うん、だから...」
そんな私の言葉の後へと、続けるように彼は言った
わかってしまった
わかりたくないのにわかってしまった
彼は弱い人だった
誰も心へは入れない人だった
強いフリをして、明るいフリをして、何時も彼の周りには人がいたのに、彼の心には誰もいなかった
時折、誰にも告げずに寮を抜け出して行方不明になる彼
みんなは其れは彼が女に会いに行くのだと言っていたが、私にはわかっていた
彼は一人になりたかった
だから誰にも告げずにいなくなることがあったのだ
私はそんな彼が理解できた、理解したくはなかったが理解できてしまっていた
だから
「うん...」
私は頷いた
この後、彼が何を言いたいのか、言われなくてもわかったし、言われたくなかった
「お互いが好きなだけじゃどうにもならないんだよ...」
彼は言った
「そうだね、あんたと私じゃ世界が違う」
詭弁だと言いたかった
言えなかった
「好き」ならなんとでもなる、情熱だけで突き進める時期を私たちは過ぎていた
私も彼も、今いる場所から動けなかった
だから反論ではなく同意した
「美幸..ごめんな」
嗚呼...1番言われたくなかった言葉だ..
私は知らず溜息を零した
「何いってんの、あんたは家の仕事を頑張るんでしょ?」
笑顔を作った
無理した笑顔だったのか、自然な笑顔だったのか、私にはわからなかった
彼は悲しそうな顔をして私を見ていた
私は最後まで泣けなかった
ずっとずっと、彼を慰めて彼を励まし続けた私
彼は私にだけ、名前を呼ぶ特権を与えていた
どれだけ仲良い友達にも許さなかった、それは私だけの特権だった
「剛...」
名を呼ばれ振り返った彼に、私は笑った
「馬鹿みたい、同じ人に2度も振られるなんてね」
最後に本音が零れた
泣き笑いのような表情を浮かべた私に、彼ははっとしたような顔をして私を見た
「ごめん..」
わかっている
どちらが振ったなんてこと、この場合には存在しない
私は彼を悪者にしたかったのかもしれない
どちらもがプレッシャーに負けただけだったのに、彼は、何も反論せずに謝ってくれた、悪者になってくれた
何時も、励まされるだけの彼が最後に励ましてくれた
不意に伸びてきた腕が優しく私を抱きしめた
冬の冷たい風は彼に吹きつけ、私は悲しい温かさに包まれていた
それでも泣けなかった私は最後まで素直になれない女だった
「大丈夫だよぉ..私は強いから..」
まるで慰めているのはこちらだと言うかのように、私は彼の胸に顔を埋めたままで言った
彼の背に腕を回して、まるで子供をあやすようにその背を叩いた
彼はそれでも抱きしめる腕を緩めなかった
無理するな、そう言っているかのようだった
ずっと慰めていたと思っていたのは私だけだったのだろうか
彼はこうしてずっと優しい腕で私を慰め続けていてくれたのだろうか
そんな風にすら思えて、そして初めて彼を失うのだということが実感できた
今日で最後なのだと、この腕は最後なのだとわかった
「ありがと」
腕の中で、1つ大きく息をつくと私はそう言った
離したくない、そう言ってしまう前にそう告げた
「もう...行かないと乗り遅れるよ、明日仕事でしょう?」
今が何時かなんてわからない
でも、冬の太陽はもう沈みかけていて、辺りを暗くし始めていた
遠くから夜行バスに乗ってきてくれた彼は明日もきっと仕事だろう
彼はその言葉に腕を解いた
終わった...
もうこの腕は私のものではなくなった
「美幸...?」
私は笑みを浮べていた
そんな私を彼は不思議そうに呼んだ
「何?ほら、行こうよ」
「うん...」
追いたてるような言葉を向けながら、1人で立ち上がった私を彼は見上げていた
何か言いたそうな顔をしていたが、私は尋ねなかった
最後の強がりだった
車の中、あえて2人は昔の話をした
楽しかったね、あの時面白かったね
出てくる話は、2人の思い出ではなく、みんなで遊んだことだった
「またね..今度は皆で会えればいいね」
さようなら、ではなく、今度は友達として会おうと私は言葉を向けた
「ああ、また...」
彼の方が悲痛な顔をしていて可笑しかった
バスに乗り込んだ彼に手を振り、まだ発車時間まで随分あるけれど、私は背を向けた
見送ったら泣いてしまいそうだったから
バスの中の彼が此方を見ていることには気付いていた
でも、振り向かない
私は車に乗り、彼の傍から去って行く
元気でね
今度は寂しさを寄せ合うのではなく、幸せそうだねって言いたいね
彼の気持ちは伝わってくるけれど、気付かないフリをして彼のバスは見えなくなった
気付けば、さっきまで灰色の空を舞っていた雪花は消えていた