色々あり過ぎた日程、神経が冴えて、夜眠れないものだ。
身体は泥のように重く疲れているのに。
ゲイナーは、ベッドの中で幾度目かの寝返りを打ち、不眠と戦う。

エリアルが死んだ。

そう短く呟き、かつての友の亡骸を大事に腕に抱いたゲイン。
エンペランザから降りてきた時の、哭き張らした彼の瞳に、息を呑む。
全てを拒絶した背中を向けられ、自分は何も、声ひとつ掛ける事も出来なかった。

 「…」

ゴソ…、
息苦しくて、掛布から顔を少しだけ、出す。
コナとサラと共に、エリアルを手厚く葬った後、ゲインの行方が分からなくなった。
こちらの部屋へ戻る前に、何と無く気になってガウリ隊のメンバーに訊いてみたが、誰も彼の姿を見ていないとの事だった。

あんな、事があったんだ。
ひとりに、なりたいのかもしれない。

途端、苦い記憶が脳裏をよぎり、無意識に唇を噛み締める。

自分も、そうだったから。
父と母を殺された時、自分以外の全てを、世界を拒絶した。
誰も彼もが信じられなくて、不信感だけを募らせ、自分の殻に閉じ篭もった。
「人」に、逢いたくなかった。
独りに、なりたかった。

だから。

 「…」

ゲインも、今は、独りになりたいのかもしれない。

此処にはきっと、帰ってこない。
自分からの慰めの言葉など、きっと必要としないだろう。彼は強い人間だ。
それ以上に、この沈鬱な状況で彼と一緒の部屋に居るなんて、自分が耐えられそうにない。
大事な人を失った、人の顔なんてもう、見たくなかった。
微かに眉を寄せたまま、きつく目を瞑り枕に顔を埋める。

とがった神経を。
磨耗した精神を。
どうか彼が持て余し、苦しんでいませんように。
そう、ささやかに祈る。
自分に出来る事は、それだけしかなかった。



ドン、
バタン…ガチャッ、

 (………、?)
時間外れの場違いな騒音に、ようやく闇に沈殿しかけた意識が再びゆっくりと浮上していく感覚。
玄関の方から聴こえてくる、…唄声?
 「………が〜…って〜」
小さかったそれが、何かが不規則にドン、と壁にぶつかる音と共に次第にこちらへ近付いてくる。
 (…?、なんだ?)
 「草原に〜羊の群れ〜がぜーんーぶーな〜んて〜え」

(この…どうしようもなくド下手糞な唄声は。)

寝室の扉がギギイ、と軋みながら開く音。
無意識にベッドサイドに置いてあった眼鏡を掛ける。
そのまま上半身を捻り起こした瞬間、大きな身体が降ってきた。

 「うわ!」
 「たーだいまー!今帰ったぞ!ゲイナー!」

ドサア!
ゲイナーの身体が、ゲイン諸共勢い良くベッドに沈む。
二人分の重量を突然受け止める事になったスプリングが、高く鋭い悲鳴を上げた。
 「ちょ…、ゲイン!?どいて!お、も、い〜…っ」
覆い被さってきた男の腹の下で、必死に身体をずらそうとするゲイナー。
しかしゲインは気持ち良さそうに、腕の中に収まったまま奮闘中の少年の髪の毛を触りまくっている。
 「知ってるか少年!海って塩辛いんだぞ〜!」
 「…知ってますよ」
そんな誰もが知っている唄の歌詞を自慢げに云われても。
 「そうかー物知りだなあ少年は」
流石眼鏡を掛けているだけあるな!
と一人、笑いながら納得しているゲインの濃緑の髪の毛を、我慢出来ずに引っ掴む。
 「酒臭い、息で、笑わないで。後、これ以上近付かないで下さい」
ジロリと睨んでやっても、泥酔した(とはいえ顔には少ししか出ていないのだが、
この言語の崩壊ぶりでは相当量の酒を摂取しているのだろう)相手はトロンとした笑顔でこちらの視線を受け流す。
 「ゲイナー」
 「なんですか」
髪の毛を掴んでいた手の上から、一回り大きな掌が包み込んだ。
 「やらして」
 「最悪!」
この酔っぱらい!
空いている方の手で殴ろうとしたが、事前に気配を察知され、あっけなくゲインに捕まる。
気が付けば両手の自由を奪われるという、大変危険極まりない状況に陥ってしまっていた。
 「離せ!馬鹿!酔っぱらい!」
 「ゲイナー君のケチ〜」
唇を尖らせて不満そうにそんな事をのたまうこの馬鹿請負人の顔をはたきたい。今すぐはたきたい。
後、こんな男を心配した数十分前の自分を消したい。過去から綺麗に抹消したい。
かつて無い程憤怒しているゲイナーのズレ掛けた眼鏡を、どさくさに紛れてゲインがこそっと外す。

 「ちょ、何勝手に…!」
途端に輪郭が曖昧になる視界が気持ち悪くて、目を眇めれば、瞼の上に熱を持った唇が落ちてくる。
余りの熱さに身体がすくんでしまった、その一瞬の隙を逃さず今度は唇を乱暴に奪われた。
 「…!ん、ぅ…!」
酒の臭いが口内に侵食する。
その濃厚さにこっちも酔いそうになる。
舌を絡め取られ、緩く吸われて、悔しくなる程翻弄された。

 「…っ、は…っ」
唇が離れて思い切り息を継げば、その必死さが可笑しいのか、ゲインが鼻先が触れる距離で爆笑している。
本気で腹が立った。
 「最低、だ、もう…っ」
 「だよな〜」
眉を寄せ、肩を震わせ笑いの発作に耐えながら、うんうんと大袈裟に相槌を打つ。
酔っぱらいなんて大嫌いだ。
憤懣やるかたなく顔を背ける。
 「ほんと、最低だよ〜俺は。お前の云う通りだ〜」
ゲインの、酒のせいで変に浮かれた声が耳をくすぐる。
辛くて苦しくて、酒に逃げる事を選んだ、選ぶしかなかった彼は、ある意味正しいと思う。
自分だってゲームに逃げ込んだのだ。人の事は云えない。
理屈ではこうして理解出来るのだが、いざゲインを前にすると、感情がついていかなかった。
 「何も出来なかった」
声の纏う雰囲気が、急に重たくなる。
 「な〜んにも、出来なかったんだ」
少しだけ、顔をずらしてゲインを見る。けれど、枕に突っ伏したままの、彼の表情は窺い知れない。
 「エクソダス請負人なんて大層な事やっといてさぁ、何千のピープルを救ったつもりで、結局俺はあいつ一人の命を救えなかったんだ」
身体の下に組み敷いた、少年を抱き締めている腕の力が強くなる。
 「一番、救わなきゃならない、命を」
ゲイナーの瞼の裏に、エリアルの力強い気さくな笑みが浮かんで、消える。
 「………最低だよ」
溜め息を吐いた。
脱力している太い腕をかいくぐって、もう一度その芯の強い髪の毛を掴んで顔を上げさせた。
現れたのは、今まで見た事の無い、憔悴しきった男の顔だった。まるで強くなんて無い、只の男の。

 「何て云えばいいんです」
 「…」
 「そんな風に云われて、僕は貴方に何て云えばいいんですか」

嫌いだ。

 「慰めて欲しいならちゃんと云って下さい。回りくどくそんな泣き言云わないで」

酔っぱらいも嫌いだし、大事な人を失って悲観に暮れる人の顔を見るのも嫌いだ。
なにより弱音を吐くゲインの顔を見るのが、とても嫌だった。

 「甘えたいならちゃんと云って。泣きたいなら泣かせてあげます。
 …酔っぱらいは嫌いだけど、…き、今日だけは…特別です、…だから、」

自分をそんなに責めないで。

吐息だけでそう告げて、自分より大きな身体の男を、おずおずと抱き返す。

こういう男は、多分。
やり過ぎだと思う程に、自信家を装わなければならないのだ。

請負人という役割は、何千もの民から不安を取り除き、希望を、そして勇気を与える。
痛みに耐えて、苦しみを見せず、焦燥や落胆をけして気取らせない。気取らせてはいけない。
エクソダスが成功するまで、その仕事を遂行するまで、非情なまでにその役割に徹しなければ。

けれど。
今は。
今だけは。

少しだけ、その枷を解いてやりたいと、「請負人」から解放してやりたいと。
そう思うのは傲慢だろうか。ただの安っぽい同情だろうか。
だけどきっと、今の自分が彼に出来るのは、それしかないと、思うのだ。
祈ってやるよりも、直に、肌に触れる。
体温を寄せる事でしか、想いを伝えられないなら。

 「…俺は夢でも見てるのか」
少年の薄い胸に抱かれながら、ゲインが呆然と呟く。
 「…どうして?」
艶の無い髪の毛を不器用に、けれど丁寧に何度も撫でてやりながら、ゲイナーが訊き返した。
 「ゲイナーが、こんなに優しい奴な訳無い」
酔っているとはいえ、真剣な口調で、さりげなく酷い事を云ってくれる。
まあ、良く考えれば優しくなんてした事無かったから、当然なのだけれど。
 「…そうかも」
くすり、と軽く笑って、頷いて。
 「これ、夢かもしれませんね」
アルコール臭い男の、困惑を乗せた額から前髪に掛けて、指先で愛しむように撫でる。
何となく、明日になれば、彼はこの事を覚えていないような気がする。気がするだけだけど。

それなら少しだけ。
少しだけ、優しくしてあげてもいいかな。と、思ったのだ。

 「泥酔した挙げ句見る夢にしては、悪くないな」

触れた胸から伝わる、穏やかな、互いの鼓動。
困惑の顰め面から、少しだけ泣きそうな表情になったゲインは、最後、救われたように笑った。

 

 

◆end◆

 

本当は終始一貫ギャグにしようと思ってました。タイトルはその名残…。
ゲイナーの予感通り、ゲインは次の日この夜の出来事を覚えていません。