ACE17Bの後日談です。
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fight a losing
battle.
母艦にある医務室へ続く道を歩いていると、目的の扉から出てきたのは、白衣の女性だった。
金髪を束ね、すっきりと上にまとめている女性は前方の男に気づくと、にこやかに微笑む。
「あら、弟さんのお見舞い?」
悪戯めいたそんな言葉を投げ掛けられ、男は歩きながら不本意そうにひょいと眉を跳ね上げた。
「俺はあんなひねくれた弟を持った覚えはないんだが」
白衣の女性、ナデシコ艦の医務を執る女医のイネスはその唇に艶やかな笑みを宿しながら、自分の前に立つ請負人の男、ゲインを見上げた。
「弟のようなものでしょうに。心配してこちらにいらしたんでしょ?彼なら手当てが済んで、まだ中にいるわ」
「君に会うのが目的だ、と云ったら?」
そう云いながら、ゲインは今しがた自分が出てきた医務室の扉を指差すイネスの華奢な手首をするりと撫でる。
麗しのご婦人を前にしては口説かずにはいられない性分で、自然にそんな仕種や言葉が出てしまうのがこの請負人の悪い癖だった。
しかしそれは野性味に溢れる外見とは裏腹に余りにもスマートで、不思議に軽薄な感じを相手に与えない。
行動を共にしてからかなり経つが、イネスはエクソダスという手段を使い新連邦に楯突くこの男の人となりを未だに掴みかねていた。
「嬉しいけれど今からミーティングなの。お気持ちだけ頂いておくわね。それじゃあ、また後で」
色男の請負人さん、と語尾にそう付け足して、手首に絡んだ男の指をいなすように優しく解くとイネスは白衣の裾を鮮やかに翻し廊下を歩いていった。
美しい女性は拒み方も美しい。ゲインは遠ざかっていく彼女の背中を見送りしばし余韻を楽しんだ後、
意識を切り換え、壁に備えられた認証ボタンを叩くと、扉を開けた。
直後、そう広くはない医務室の全景が視界に広がり、机の横に置かれた白い衝立の端にちらりと見えた姿を確認したゲインは、そこへ足を踏み入れる。
「…あ」
衝立の向こう、白い簡易ベッドへ所在無げに腰掛けていた少年は、
突然自分の前に姿を現した男を驚いたようにぽかんと見上げると、ゲインさん…と小さく相手の名前を呼んだ。
横に流している薄茶の前髪、そこから覗く額には絆創膏が貼られている。ここに来る前に、サラから彼の怪我の容態は聞いていた。
胸に軽い打撲と額に擦過傷。あの、シンシアと呼ばれる少女との戦いで、最後に繰り出された彼女の攻撃を避けきれず、額と胸を操縦パネルにぶつけたらしい。
ゲインは置かれている衝立をぐるりと回り込んで、ゲイナーの前に立った。
「心の声はもう聞こえないから、云っておくぞ」
少年がぱちぱちとまばたきを繰り返し、怪訝そうな表情で続きを待つ。
「間抜け」
降ってきた言葉と共に、指先で絆創膏をぴん、と弾かれ、
途端、ゲイナーは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「痛いじゃないですか…!」
「かすり傷だろ」
云いながら見下ろすと、どうせ僕は間抜けですよ、と出撃前と同じようにゲイナーは視線を床に落とし、誰に聞かせるでもなくぼそりと呟いていた。
否、出撃前のあの時よりも心なしか元気は無い、か。
「なぜ本気で戦わなかった」
ゲインは早々に本題に持ち込んだ。
ここに来たのは、別に少年を間抜け呼ばわりする為では無く、かといって見舞いという程親身でもなく(ホランドにはろくでもない保護者だな、と笑われそうだが、
実際自分と似たような境遇の奴に云われたくない)ただこの一点を少年に確かめたかったのだ。眼鏡越しに、ゲイナーの茶色い瞳が揺れた。
「あのオーバーマンに乗ってるのは、シンシア…僕の、知り合いなんです…」
そう云えばそんな事を、機体に流れていた無線で聴いた気がする。
こちらも執拗に攻撃を仕掛けてくるアスハムを撃退する事に必死だった為、余り詳細は分からなかったが。
「彼女はバーチャルの戦い方をリアルでやってる。現実世界で戦えば人が傷つくって事も、僕が怪我をするまで知らなかった」
「だから彼女に分からせたいと?」
ゲイナーはその問い掛けに迷う事無くこくり、と強く頷く。
確かにゲイナーの搭乗したキングゲイナーが倒れた時、あの赤いオーバーマンは酷く動揺したように見えた。
あの後すぐに撤退したのは少女の意思かもしれない。しかし、シべ鉄総裁・キッズムント直々の精鋭機を駆る彼女が、次に現れた時に改心しているという保証も無い。
そして再び対峙する時が来ても、ゲイナーは、やはり本気を出さないだろう。
「だが、今後あの相手に本気を出さず戦うのは、自殺行為だぞ」
少年とあの少女を繋ぐ絆。
それは自分には見えないけれど、確かに強くそこにあるのだと、男は云いながら思う。
ゲインとて勝算があるのならこうして口を挟むような事はしない。しかしあの戦いを見た限り、それはかなり難しいと思った。
口には出さないが、むざむざと敵に殺されるところなど絶対に見たくないと思う程には、ゲインは少年を評価しているのだ。
「…分かっています。だけど僕は、シンシアに教えてあげたい。
ゲームと現実の違い。それに、オーバーマンに対する…なんていうのかな、」
そこで少しだけ云い淀むと、中途半端に言葉を切ったゲイナーはううん、と首を捻り云いたい事を頭の中で懸命に整理しているようだった。
「オーバーマンは、戦うだけの乗り物じゃないって」
「…ほう」
口ごもりつつ、悩んで出した少年の答えに興味が惹かれたのか、ゲインは思わず相槌をうってしまった。
対するゲイナーは、そんな反応が目の前の男から返ってくるとは思わなかったのか、なんだか妙にしどもどと落ち着きの無い様子で、つまりですね、と前置きした。
「僕は、ずっとゲームでオーバーマンの対戦ばっかりしてきたけど、
あなたから本物のオーバーマンを預かって、そりゃ戦いはするけど、それだけじゃないって、分かったっていうか」
預かった、というよりもほとんど返却不可の強奪だったように思うが。
ゲインは頭の隅で初めての出会いを思い出していたが、意識を目下少年の方に移した。
「相手を傷つける為に戦うんじゃなくて、守る為にも戦えるんだって。ここに来て、みんなを見ててそう思ったんです」
目的は違うけれど、己の護りたいもの、譲れないものをかけて戦う歴戦の仲間達。
彼らの輝く眼差しを、逞しい背中を眺め少年達は様々なものを学んでいるのだろう。
バレル、ガロード、レントン、そしてゲイナーも、このめまぐるしく変化する戦局の中で自分が納得する答えを見つけたのかもしれない。
ゲインは無意識に綻びかける口許をすっと引き締めると、再び右手を少年の顔の前まで伸ばした。
また何かされると思ったのだろう、不穏な気配を察知したゲイナーは警戒するように上体を後ろへ引きかけたが、
少年の頭上に降ってきたのは指先の攻撃ではなく、ぶ厚くかたい掌だった。
「な……」
男の予期しない行動に、しばし茫然と髪を撫でられるままに任せていたゲイナーだったが、我に返った途端ふって湧いた羞恥に襲われ、思わず上体を捻った。
「何なんですか!突然……、った…ァ」
しかし、避けようとしたその動きで打ちつけた胸の痛みが蘇り、弱々しく顔をしかめる。
「いや、弟分の健やかな成長ぶりに感動したんだ、ゲイナー君」
「は?誰が弟ですか」
冗談じゃないですよ!と露骨に嫌そうに反論する少年を目を細め眺めつつ、
ゲインは麗しの女医が残した言葉はあながち間違いでもないかもな、と内心笑った。
肉親を全て失い、もうこんな感情など亡くしたものだとばかり、思っていたけれど。
出会った当初、殻に閉じこもって外の世界を睨みつけていた少年。
彼が初めて他人に伸ばしたその手が、無事にあの少女へ届くように。
一人で無理なら力の限り自分がサポートしてやろうと、ゲインは心にかたく決めた。
◆end◆
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なんか兄弟みたいになった。