06.
「足りないな…」
様々な店を巡り巡った結果、戻ってきた広場で独り言のようにぽつりと告げるゲインの一言に、
傍にいたゲイナーが疲労の色を隠す事無く顔を上げる。微かに難色を示した彼のその言葉が、
これから展開される馬鹿馬鹿しい出来事の、全ての始まりだった。
人気の無い路地の外れに止められたガチコ。
その機体でちょうど影となり、見えなくなっている路地の奥通路部分に向け、先に準備を済ませたゲインが声を掛ける。
「ゲイナー、首尾はどうだ?」
「……どうだもなにも…」
地を這うように平坦な返事を受け、男がひょい、とガチコの機体越しに奥を覗き込むと、
赤い花のコサージュを付け、ピンクのコートを羽織ったゲイナーが、究極に居心地悪そうな顔で所在無く立ち竦んでいた。
手には近くの雑貨屋から仕入れてきたメイク道具がしっかりと握られていたが、
彼が自分で施したでたらめな化粧を見るに、それが上手く役立っているとは思えない。
「なかなか似合う…が、少年に化粧は敷居が高過ぎたか。ほら、こっちに来い」
「…じゃなくて、そもそも、なんでこんな事になってるんですか…!?」
伸ばした腕は文句と共に拒絶されたが、ゲインはすっかり女性用の衣装で着飾ったゲイナーを路地からずるずると引っ張りだす。
やめて下さいよと嫌がる彼の手から問答無用でメイク道具を奪い、やたら塗り過ぎているチークとアイシャドウを薄く直してやりながら、
作戦はきちんと聞いておけよとじろりと睨めつけた。
とにかく、資金が足りないのだ。
薬やマッスルエンジンなど部品の買い付けに出掛けたものの、
正規品はおろか闇市場で出されているジャンク品さえも値段が予想していた以上に高く、全く手が出せない。
出せないのならここに居ても仕方が無い。そう考えあっさりと諦めたゲイナーは、とりあえず一旦ユニットに引き返す事を勧めたのだが、
その誘いに、ゲインは首を縦には振らなかった。そして、いい考えがある、と白いコートのポケットから端の破れたチラシを取り出したのだ。
いつの間にくすねてきたのだろう、そういえば街のいたる所に貼られていたその燃えるような赤い色の紙面には、拳闘大会の開催場所と日時が大きく記されていた。
見るとそれは今日の日付で、タイミング良く今まさに開かれているらしい。
「賞金、出るんですか?」
「こういうのは非合法の賭試合が多いからな。勝てばかなりの大金が手に入る」
「まさかゲインさん…」
彼の確信的な口ぶりに思わず顔を上げたゲイナーは、出るんですか?と最後まで聞けなかった。
楽しそうなゲインの表情が全てを物語っていたからだ。
そういえば彼は、ピープルのストレス発散にと自ら拳闘試合を主催した事のある男でもある。
出場するのはどうせゲインなのだし、それで資金が調達出来るのなら申し分無い作戦だと思う。
他人事のようにいいですねそれ、などと気楽に相槌をうっていたゲイナーは、
まさか彼自身が作戦の中の重要人物として組み込まれているとは、あの衣装を見るまで全く思いもしなかったのだ。
ゲイン、否ブカレスという一拳士の恋人役として女装した挙げ句化粧までさせられ、
何故か今腕を引っ張られながら少し遅れて彼と闘技場への道を歩いているゲイナー、
否キャサリンは折角直してもらった化粧をぶち壊さん勢いで、やはり究極に嫌そうな顔をしていた。
「なんで僕まで…」
「これが一番怪しまれないんだ」
「恋人同士が、ですかァ?」
明らかに疑いの念がたっぷりとこめられたゲイナーの言葉に、ゲインは立ち止まり軽く振り返ると挑戦的な笑みを浮かべゆっくりと頷いた。
「こう見えても俺は指名手配犯なんでね。バレるとお前まで危なくなる」
口調は軽いが目は笑っていない。
そうだった。
そもそもエクソダスという行為自体重罪なのだから、請負人なんて中央から見れば厄介な犯罪者以外の何者でも無い。
ゲイナーがこくりと息を飲むと、掴まれていた腕がぐいっと引き寄せられ、よろけた拍子に肩を抱かれた。
乱暴な動作に文句を云おうと顔を上げれば、いつの間にかドームポリスの中心街から外れ、
正面にはうらびれた建物と、傍に数人の男がチケットらしき物を手に持ちこちらを眺めているのが、ゲイナーの少しぼやけた視界に入る。
「だから協力しろ。笑って頷いてるだけでいい」
ぼそりと耳許でそう告げたかと思うと、ゲインは少年の肩を抱いたまま、さっさと建物の入り口まで歩いていく。
すると、すかさずチケットを持った男が声を掛けてきた。
「なんだ兄ちゃん、仲良く観戦かい?席ならいいのあるよ?」
「いや、出場希望だ」
ゲインがダフ屋紛いの男に一言告げると、軽いどよめきと共に周りの人々の雰囲気が変わった。
好奇、敵意、興味、熱のこもった視線が混ざり合って一斉に二人へと集中する。
その露骨な眼差しに気圧されたゲイナーは、慌てて瞳を伏せ無意識にゲインの腕を掴むが、
彼はそんな男達など全く眼中に無いのか、建物の中から出てきた大会のスタッフらしき人物と話を進めていた。
「すぐに試合可能で一番金が入るやつ。級はなんでもいい。…あぁ、じゃあそれでエントリーするよ」
話がまとまったのか、渡された薄っぺらい書類にさらさらと偽名を記したゲインは、
それをスタッフに返しながら、自分の傍で小さく固まっているゲイナーの肩を更に強く抱き寄せ、ひとつにまとめた茶色の髪を愛おしそうに優しく撫でた。
「彼女が出てくれって聞かないもんでね。イイところを見せないと」
わざと周りに聞こえるように大きな声でそう云うと、男は顔を近づけ、なぁキャサリン?と甘く囁き二人の世界を築き上げる。
肩を抱かれ優しく髪を撫でられる恋人・キャサリンはただ黙って云われた通りに微笑んだ。
そんな二人に、色めきたったギャラリーからはふざけんなだのもっとやれだの様々な罵声や喜声が飛んだが、
ゲイナーは油断すると引きつりかねない笑顔を保つ事に精一杯で、そんなものに耳を貸すどころではなかったのだった。
「どういうつもりなんですか!ゲイン!」
「俺はブカレスだって、何度云えば分かってくれるんだい?可愛いキャサリン」
出場準備を整えたゲインが、パイプ椅子にもたれ拳にテープを巻きながらのんびり返す。
リングではちょうど一つ前の試合が行われている最中なのか、控え室には誰もおらず、がらんと広い室内に彼ら二人だけだった。
人の目が無いその状況でもあえて役の名前で呼ぶ、徹底するのがカモフラージュの第一前提なのだが、
キャサリンと呼ばれた少年は、いい加減にして下さいよ、と怒り心頭だった。
どうやら先程のデモンストレーションで、今目の前で軽口を叩く男の恋人に見られた事、
そしてそれ以上に、誰も自分を男だと気がつかなかった事が、相当屈辱的だったらしい。
渡されたイヤーマフに仕込んである通信機の調子を見る手も、必要以上に乱暴になる。
こんな事になるんなら、最初から女の子と行けば良かったんだ。
そう思った瞬間サラの顔が頭の中に浮かんだが、ゲイナーは思わず首を振ってかき消した。
駄目だ。こんな奴とサラを一緒に行かせるなんて危険過ぎる。となると、やっぱりこういう役は自分に回ってくる運命だったのだろうか。
そもそも、こういう作戦になるなんて、買い付けに出発する時には分からなかったのだし。
鬱々とした考えが次第に堂々巡りとなり、うんざりしたゲイナーは重たい口を開いた。ただ、ひとつだけ云える事は。
「…あんな作戦に乗った僕がバカでした」
「なら諦めて最後までつき合え。つき合いついでに、」
妙なところで言葉を切り、ちょいちょい、と自分に向けて繰り返されるゲインの手招きに最初は警戒していたゲイナーだったが、
余りにもしつこいので観念して傍に近寄っていくと、髪を後ろに結んでくれないか、とゴムを渡された。
拳をがっちりとテーピングしてしまったので、自分では出来ないのだと云う。
「ええぇ……」
「露骨に嫌そうな顔するなよ。折角の可愛い顔が台無しじゃな…ッいて!」
最後まで云い終わるよりも早く、彼の背後に回ったゲイナーが深緑の髪を力一杯わし掴んだ。
余計な事を口走らせる前に、さっさとやるべき事を済ませ観客席に戻ろうと思ったのだ。
もうこれ以上、この男に振り回されるのは御免だ。
「もっと優しく出来ないのか?」
「あんたが余計な事云うからでしょう。ああ、もう…じっとして下さいよ」
ぶつぶつと文句を云いながら、不器用な手つきでそれでも何とかひとつにまとめ上げ、ゲイナーはゲインの髪を結っていく。
今までだって、意識してでは無いにしろ触れた事がある筈なのに、それは、なんだか不思議な感覚だった。
あちこち跳ねる硬い髪は全然指に馴染まない。それでなくても他人にこんな事したのは生まれて初めてだったから、
上手くいっているのかどうか良く分からなかったけれど、なんとか結び終えると、正面に備えられている鏡を見たゲインが満足そうに振り返って笑う。
「上出来だ」
「どうも」
すげない返事は、天井から沸き起こった歓声にかき消された。どうやら試合が終わったらしい。
さて、とゲインが椅子から立ち上がり準備運動の代わりなのか軽く腕を回す。
ぶ厚い筋肉に覆われた浅黒い左腕には青色で戦士の証であるペイントが施されていて、
両手にしっかりグラブをはめると、まるで本当に何処かの拳士のようだった。カモフラージュは完璧だ。
先を行くゲインの後に続き、控え室の扉を閉めて観客席に行こうとしたゲイナーだったが、
突然背後から肩を掴まれそのまま背中を壁に押しつけられる。
「…ッ?!」
まさかバレた?咄嗟に顔を手に持っていた鞄で隠そうとしたが、瞬間正面に見えたのは、たった今別れたばかりのゲインだった。
全身に張り巡らせていた緊張が、途端にずるずると解けていく。
「なにふざけてるんですか…もう試合始まりますよ?」
しかしゲインは、ゲイナーを壁に押しつけたまま少しだけ目線を遠くにやると、次は顔をぐ、と近づけてきた。
「キャサリン、僕の願いを聞いてくれるかい?」
右耳の横に左手をつき、さりげなく腕で目の前の少年を囲むと、周りから隠すように体勢を変え囁くように告げる。
その言葉に否定も肯定もせず、ゲイナーが眉を寄せれば、ゲインは精悍な顔に笑顔を浮かべ何の躊躇いも無く云った。
「ここでキスしてくれないか?」
「はあ?!」
思わず飛び出た大きな声はフロアに響き渡り、会場に向かっていた数人が足を止めた。
しかし試合開始15分前を告げる賑やかな音楽が流れ出し、ばらばらと人が流れ始める。
「なんで…っ」
「シベ鉄だ。私服警官も何人か紛れてる」
更に顔を寄せ耳許にするりと入ってきたゲインの声は、微かにトーンが低い。
どきりとして辺りを見回そうとしたが、お前が見ても分からないから余計な事をするな、と追加で耳に吹き込まれる。
その云い方に少しカチンときたゲイナーは、負けじとひそひそ云い返した。
「キスしてくれっていうのも余計な事じゃないんですか?!」
「奴らの目をごまかすんだよ。もし情報が行ってるなら、男一人に少年一人を探すだろうからな」
まさか恋人になっているなんて思わないだろうと、ゲインはそう云う。
確かに、今ここで恋人同士のふりをしてキスでもすれば、相手を欺く事が出来るし、カモフラージュとしても抜群の効果を発揮するのだろう。
しかしいくら作戦なんだと云われても、ゲイナーは割り切れないし納得もいかない。
「ひ、人がいっぱいいるのに…」
「だが、君の口づけが無いと僕は勝てないんだ」
駄目だ。ブカレスになってしまっている。
男のやけに巧みな演技にゲイナーが心の中で舌打ちをすると、勝てないと資金も調達出来ないぞ、とぼそりと聴こえた。
これは明らかに、絶対脅しだ。長い沈黙の末、ゲインからの無言のプレッシャーにじりじりと逃げ場を無くしていったゲイナーが、
視線を床に張りつけたまま吐息混じりに小さく問う。
「…………絶対上手くいくんですね」
「保証するよ」
「…………絶対、優勝しますね」
「俺を誰だと思ってるんだ?」
自信に満ちたその言葉を聞き終わる前に、決意を固めたゲイナーがおずおずと顔を上げる。
これは演技だ。仕方無くだ。買い付け資金の為にどうして自分がここまで譲歩しなければならないんだ、とも思ったが、
実は部品の交換パーツが一番高額なのは、オーバーマンのキングゲイナーなのだ。
これまでの戦闘でだいぶ破損してしまっている為、今回の買い付けはその高額なキングゲイナーのパーツを主としている。
操縦者として、その辺りの負い目も無い事は無かった。しかしゲイナーがキスを仕掛ける前に、ゲインは自分から僅かに上体を屈めると、
口紅で赤く塗られた普段と違う少年の唇の端に、音をたてて軽いキスをした。
身体を離すと、不意に先を越されてしまったゲイナーがぱちぱちとまばたきを繰り返し、
驚いたようにこちらを見上げていたので、思わず笑ってしまう。
「云っただろう?ごまかすだけって。熱〜い口づけは後のお楽しみだ」
それに今のお前だと口紅がつくからな、と可笑しそうに云う。
ゲイナーは未だ壁に背中をつけたまま、訳が分からずぽかんと男の方を見ていたが、
ようやく言葉の真意に気づく頃、堪えきれない怒りと物凄い脱力感が一気に噴出した。
「ば……馬鹿じゃないんですか、馬鹿じゃないんですか!」
「二回も云うなよ」
楽しそうに肩を竦ませ、じゃあな、とゲインはいつまで経っても現れない出場者を探しに来たレフェリーの方へ走っていった。
しかしゲイナーは怒りが収まらない。更には少し離れた場所で、なりゆきを見ていた男達に冷やかされる始末だ。
胸の中は、安堵しているような、なんだか肩すかしを食らったような、けれどやっぱり腹立たしい気持ちが一番強い。
結局、口の端とはいえキスはしっかり掠め取られてしまったのだ。
がやがやと何か喋っている男達を背中で無視して、ゲイナーはピンクのコートを勢い良く翻し、会場まで走る。
今、他の男達に向け愛想笑いなんて出来そうも無いし、そんな暇も無い。なによりも、今から行われるこの試合を見届けなければ。
「…これで負けたりなんかしたら、絶対許さないからな」
息を弾ませながら、ゲイナーが低く呟く。
フロアからさびれた階段を上り、ようやくたどり着いた会場の重々しい扉を開いた瞬間、
彼の耳に飛び込んできたのは、ゲイン、否ブカレスが最初の対戦相手を一発KOした勝利の鐘と、大きな喝采だった。
■end■
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ブカレス×キャサリンは公衆の面前でいちゃいちゃできるので素晴らしい。