13.
ユニットの周辺警備を終えコクピットから降り立った時、ゲイナーが少しだけ違和感を覚えたのは、
いつもならバッハクロンのデッキに戻ってきた途端、キングゲイナーの着地、
格納位置を口うるさく事細かに指示する整備員のコナの姿が何処にも無かったからだ。
皆出払っている時間帯なのか、周囲は閑散としており、他のメカニックやガウリ隊の隊員も見あたらない。
暖房が隅々まで行き届いている為、着込んでいたコートの前を開け、微かに首を傾げながら奥へ進んでいくと、
バッハクロンの内部から一号ユニットへ通じる出入口の扉付近で、ゲイナーはようやく見知った後ろ姿を目にする事が出来た。
薄桃色の跳ねた髪と、ひとつに束ね、ぴんと天井を向いている黒髪。サラとコナだ。
「じゃあこういうのは?聞いた事あるけど」
「ダメだよ〜それはきかなかった。…ほらぁ!」
近づく度、声は次第に大きくそしてはっきりと耳に入ってきたが、彼女達が一体何の話をしているのか良く分からない。
不思議ではあったが、ともあれ自分が帰還した旨だけは伝えておこうと、ゲイナーはサラの背中に向けて声をかける。
「サラ、一周してきたけど特に異常無かったよ。キングゲイナーはデッキに戻しておいたから」
背後から突然聴こえてきた声に驚いて、サラとコナが二人同時に勢い良く振り返る。
よく見ると、並んで立っている彼女達の間には、リンクス達を首に巻きつけたアナ姫が不安そうな表情で、
半分程水の入ったコップを手に持ち、もう片方の掌で口許を押さえ小さく佇んでいた。
「あれ、アナ姫もいたんだ」
「あ、お疲れさまゲイナー。そうだ、ゲイナーは知らない?」
「知らないって、…何を?」
サラとコナが、不思議そうに尋ねるゲイナーをじっと見つめた後、
互いに顔を見合わせどちらが説明するかタイミングを見計らった瞬間、
アナ姫の口を押さえていたミトンの手袋の隙間から、ひっく、と小さく軽い音が跳ねた。
「しゃっくり」
「の、止め方」
「…なるほど」
この後、説明役を引き受けたコナ曰く、
30分程前、泣きそうになりながらバッハクロンへ飛び込んできたアナ姫のしゃっくりはそれ以降ずっと止まらないのだという。
仕事をしていたコナとその時ちょうどデッキへ休憩に来ていたサラが、自分達の知っている止め方を何通りか試してみたが上手くいかない。
他のメカニックや隊員達に聞いたやり方でも駄目だったらしい。
「すご…ひっ…く、困っているのです。これではきちん、と…ひっ、…お話できません」
しゃっくりをする度手にしたコップの中の水を揺らしながら、途方に暮れ弱々しく眉を寄せたアナがゲイナーの顔を見上げる。
なるほど確かに話しにくそうだ。これまでの経緯を端的に喋り終えたコナが、使いこまれた工具を手に腕を組んだ格好のまま天井を仰いだ。
「うーん。まぁしばらく放っておけば自然に治まっちゃうと思うんだけど」
お手上げ感漂うその言葉に、小さな姫君は白い生き物達を乗せたまましょぼんと肩を落としてしまった。
その間サラから今まで試した方法(水を飲む、驚かす、氷砂糖を舐める、特定の言葉を繰り返すなど)
を詳しく聞いていたゲイナーは、それじゃあとおもむろに眼鏡を押し上げ口を開いた。
「水、もう少し足してもらっていいかな」
「いいけど、それはもう試したわよ?」
わりばしを二本使って四隅からっていう隊長から聞いた何だかよく分からないヤーパン式までね、
そう云いながら、サラは傍にあった休憩用の食料や飲み物が乗せてある台車の上からピッチャーを手に取り、
アナの持つコップへ丁寧に水を注いでいく。
「うん、でも僕の知ってるのはそういうんじゃなくて…アナ、そのコップの水を10回に分けて、少しずつ飲んでくれる?」
ゲイナーの言葉を聞き熱心にこくこくと頷くと、
アナはたっぷり水が注がれたコップを両手で持ち直し、大きく息を吸い込み、少しずつ飲み始めた。
「出来れば喉ならすようにして飲んでね」
云いながら、彼はコナの嵌めていた腕時計を借りると、アナがコップの水を全て飲み干すまで待った。他の二人もその様子を黙って見守っている。
そしてようやく彼女がゆっくり、時間をかけて10口目の水を喉に通した瞬間、次の指示が云い渡された。
「そのまま息を止めて、10秒我慢して…こっちで計るから」
云われた通りにしているのか、アナ姫の身体はじっと微動だにせず再び口許を掌で押さえている。
真剣そのものといった顔で取り組む様子は、本気で止めたいのだという強い気持ちが切実に現れている。
どうやら余程苦しめられたようだ。秒針の動きを目で追っていたゲイナーが、彼女の緊張を解くように柔らかな声で、
もういいよと終了の言葉を口にした。
「…どう?止まった?」
そろそろと濡れた唇から手を外し、そのまま小さく深呼吸したアナは、
自分の顔を覗きこむ三人の顔を順番に見上げた。
少しだけ、頬に赤みが差している。
「……止まりました。すごい、ゲイナー!ありがとうございます!」
手放しで喜ぶ無邪気な少女につられたのか、
傍で一部始終を見守っていたサラとコナが感嘆のため息と共に声を掛けてくる。
「本当にすごいわ。他のやり方じゃ全然効かなかったのに」
「聞いてみるもんだね〜たまには役に立つじゃない、ゲームチャンプ!」
「たまに、って…でも良かった。うちではいつもこの方法だったから」
小さい頃しゃっくりが止まらなくなると、水の入ったコップを手渡されゆっくりと10秒数えてもらった。
本当に抜群に良く効くそれは、自分の横隔膜に一体どう作用しているのかさっぱり分からなかったが、
物心つく年齢から今に至るまでずっと重宝しているやり方だった。些細な事だが、こうして自分の知っている事で人に喜ばれ、
感謝されるのはなんだか悪い気がしない。ゲイナーは、役に立てた嬉しさと少しだけ得意気な気持ちの混ざった笑顔で云った。
「覚えておくといいよ。きっと役に立つから」
それはもう自信たっぷりに。
そう、役に立つ。必ず効く筈なのだ。
だって自分は17年間実践してきたし、実際信じていた。
つい数時間程前までは。
「………なんでだ」
あれから、休憩を挟んだ後ガウリ隊の一員として仰せつかっていた様々な仕事を終わらせて、
ようやく部屋へと戻ったゲイナーは、偶然にもアナ姫と同じように、しつこいしゃっくりに煩わされ始めた。
あくびならともかく、しゃっくりが移るなんて聞いた事が無い。変な偶然だなと思いながら自然足はキッチンへと向かい、
蛇口を捻ってコップに水を注いだ。そしていつもの方法を試していたのだが、効かない。一向に。
もうこれが何度目の挑戦なのか数える気力も失ってしまったゲイナーの胃の中は、水でいっぱいだ。
「おか、しい…こんな…ひっ…、く…なんでだ?」
濡れた口許を固く握った拳で乱暴に拭い、頭の中は軽い疑問と混乱に陥る。
実はこっそりサラから聞いた別の方法も試したりしてみたのだが、同様に全く効き目が無かった。
あの時コナが云った通り、しばらく放っておけば自然に治まってしまうと頭では理解している。今はそれが得策だとも。
しかし、妙な部分で融通のきかないゲイナーは、どうしても今、止めたかった。
おかしい。自分で云っておいて自分のしゃっくりが止められないなんて、そんなのは納得がいかないし気持ち悪い。
でも水は、正直もう飲みたくない。シンクの前でぐったりと力無くうなだれているゲイナーの背後から聴き慣れた声が落ちてきたのは、
それから少し経った頃だった。
「何やってるんだ?少年」
振り返ると、いつの間に戻ってきたのか、
白いコートを着た部屋の主が蒼碧色の両眸に不思議そうな表情を浮かべてこちらを眺めている。
物音ひとつ立てない現れ方は彼のいつもの癖だったが、知っていてもやはりドキリと心臓が跳ねる。
「…ゲイン、さん、」
ひっく。
上下する喉許を慌てて押さえたが、遅かった。
同時に少しだけ落胆する。これでも駄目なのか、結構びっくりしたのに。
はあ…と弱々しい溜め息を吐くゲイナーの横に立ったゲインは、少年の手にぶら下がっていたコップをひょいと取り上げると、
勝手に水を注ぎ、勝手に一息でそれを飲み干した。喉が乾いていたのか、けれどそれならそれで一言あってもいいような気がする。
否、それ以前に。
「コップくらい自分で、出してくださ…ひっ、く…いよ。ああもう」
声に出す言葉がいちいち遮られるその余りの鬱陶しさに思わずかぶりを振ると、
コップを空にしたゲインが、興味深そうな様子でしげしげとこちらを覗きこんできた。
「辛そうだな」
「全然、ひッ…く、止まらない、んです」
色々な方法を全て試したけれど駄目だった。
それを聞いた男はふむ、と自分の顎を指先でゆっくりとなぞりながら、
何を思ったのかシンクの傍にコップを置き、真顔で隣にいるゲイナーの方へと向き直った。
「ゲイナー、口開けてみろ」
突然の言葉に、云われた相手は怪訝そうに眉を寄せる。
「なんでです?」
「いいから。止めたいんだろ?」
「……はぁ」
少しだけ逡巡したが、同じように相手に顔を向け、少年がおずおずと口を開ける。
もっと大きく、と云われ半ば自棄気味に開いた瞬間、ざらりとした感触が舌をなぞったかと思えば、
完全に無防備だったそこに、鈍い痛みが走った。
「で…ッ…!!らっ、らにひて…っ」
口の中に指を突っ込まれ、そのまま舌を挟み思い切り引っ張られているのだと、
突然襲った予期せぬ痛みに混乱したゲイナーが理解したのは、大分経った頃だった。
涙ながらに痛いと腕をつっぱねても、ゲインは無視してのんびりとカウントを続けている。
「7、8」
「…!……ッ!!」
「9、10…よし」
その声と共に、舌にあった異物感があっさり消えた。
大きく呼吸を整えながら、ゲイナーが頭の中にあった文句を声に出して並べようとするが、
しっかりと挟まれていた舌はじんじんと痛くて意識はそちらに気を取られ、なかなか口から出てこない。
そんな様子を可笑しそうに眺めながら、ゲインは自信たっぷりに声を掛ける。
「どうだ、止まっただろ?」
「だ…っだからって、こんなやり方…乱暴過ぎます!」
置いてあったコップに水を汲み、それを未だ怒りの治まらない少年に手渡してやりながら、男は肩を竦めてみせた。
とはいえ口角はしっかりと上がっている。面白がっているのが丸分かりだ。
「結果オーライだと思うがなぁ」
「…そりゃ、止めてくれた事には感謝しますけど、でも、」
……ひっく。
ゲイナーの、手にしたコップの水がとぷんと軽く揺れる。
思わず互いに黙ったまま顔を見合わせたが、先に口火を切ったのは、やはり少年の方だった。
「止まってないじゃないですか!」
「なるほど、確かにしぶとい。じゃ最後の手段だ」
怒るなよ、ゲイナー。
彼がわざわざそう前置きするという事は、絶対に怒るような事をするという意味だ。
そう長くないつき合いなのに、何故かそういう気配にだけ敏感になってしまったゲイナーはとっさに身構えたが、
それより先にゲインの唇が重ねられる方が早かった。
「…っ、ん…!…ぅ」
背中に回した拳で相手を殴る。可能な限り思い切り。
それなのに頑なに閉ざした筈の唇は易々と割られ、歯列を、そして未だ痛みを引きずる舌をゆっくりとなぞられた。
何秒?何十秒?時間の感覚すら麻痺させる程長い口づけは、手の力が抜けバランスを失ったコップから水が滴り落ちるまで続けられた。
爪先に触れた水滴の冷たさに我に返ったゲイナーが、必死にゲインの身体を押し返す。これ以上は駄目だと頭が本能的な警鐘を鳴らした。
男も無理強いはしないつもりなのか、自分から身体を離すと、俯いたまま懸命に不規則な呼吸を整えている少年の乱れた髪とつむじを見下ろす。
「……」
「止まったか?」
「………止まった…みたい、ですけど…」
なんだかすごく、釈然としない。
そんな気持ちたっぷりの眼差しでじろりと睨みつけられたゲインは、
小刻みに震えてしまう肩と、胸の奥からこみ上げてくる緩い笑いを堪えつつ告げる。
「ご婦人には抜群に効くんだ、コレ」
「…僕は女の子じゃないですよ」
あんたの恋人でもないし。
うんざりした顔で、残った水をシンクに流しながら、ゲイナーはありったけの力を込め手の中のコップを洗う。
「知ってるさゲイナー君。だけど厄介なしゃっくりは止まった。結果オーライだ」
「…なんか、全然納得がいかないです」
本当に、すごく釈然としない。
何故こんなふざけた方法で止まるんだ。止まってしまうんだ。
こんな事ならゲインに助けなんか求めず、一人で時が過ぎるのを待てば良かった。
後悔したって詮無いことだと分かっていても、やはりどうしてもそう思わずにはいられない。
ゲイナーの最低な気分とは裏腹に、すっかりと痙攣が治まってしまった後の胸奥は、笑えない程快適だった。
■end■
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本当はゲインが最初にやった止め方が抜群に効くそうです。