雪の原を静かに進むヤーパンの天井。
その姿は荘厳として、恭しく。

けれど。
針葉樹林を横手に彼等が歩むシベリアの夜は、冥い。



 「…ゲインさんは?」
時計の短針が4の数字を差そうとする頃。
ユニットの先頭を走るバッハクロンの操縦室に足を踏み入れたゲイナーが、夜勤中のべローを訪ねた。
 「ゲインなら向こうの仮眠室だけど、何やってんだ?お前」
狭苦しい操縦席でありったけ大きな伸びをしながら、ベローが不思議そうな顔で時間外の訪問者を見る。
質問された訪問者は欠伸をこらえながら、憮然とした表情で答えた。
 「通信機で起こされて、使いっ走り役を承ったんだ…ありがとベロー、頑張ってね」
耐えきれなかったのか、ふわあぁ…と間延びた欠伸を操縦室に残し、ゲイナーはバッハクロンの仮眠室に向かう。
(…全く。大事な物なら忘れるなよなー)
通信機によってゲイナーが安眠を妨げられたのは、午前3時を少し回ったところだった。
近々シベリア鉄道の線路越えルートに入る予定なので、五賢人及びガウリ隊は警戒配備を強めている。
勿論エクソダス請負人であるゲインも例外では無い。全てのトラブルの責任は請負人に回ってくるのだ。
それを上手く収集し、更なるトラブルを予防する。そんな多忙な日々が、もう一週間程続いていた。
逢っても話はしない。話しても必要な事のみ。部屋にも帰らない。そんな一週間。

認識コードを入力して、ドアのロックが外れた事を確認すると、ゆっくりノブに手を掛ける。
 「ゲインさん、ゲイナーです。頼まれた物持ってきましたよ…ゲインさん?」
一筋だけ差す光。けれどドアを閉めると、ただでさえ暗かった仮眠室が一層暗くなった。
手探りで明かりのスイッチを探すのだが、何故だか焦って見付からない。
必死で目をこらし周囲を窺っていると、ようやく闇に慣れたのだろう、
暗順応し始めた瞳が、架設ベッドとその上の大きな黒い塊を発見した。
 「…ゲインさん?」
バッハクロンに設置してある仮眠室は、一部屋六人分の架設ベッドが備わっているのだが、
いかんせん狭いので成人男性が最低三人部屋に入りベッドを降ろせば、満員御礼となってしまう。
(…今日はゲイン一人しか寝てないみたいだけど)
結局スイッチを探す事を諦め、忍び足でそうっとベッドに近寄って、
白いコートを上掛け代わりにして眠っているゲインを、見下ろす。
なんだかドキドキ、した。
規則正しく聴こえてくる寝息。
固いベッドの端にちょんと腰を掛けて、ゲイナーは眠っている男の観察を続けた。
よく考えると、ゲインの寝顔を見るのは珍しい。少しだけ、鼓動が早くなる。
いつも自分の方が早く寝てしまうし、起きると隣は蛻の空になっている事が多い。
その割りにゲインはゲイナーの寝顔をしっかり見ているらしく、
「ああいうのを微笑ましい馬鹿面って云うんだ」とか何とか度々からかわれる。
(…あーヤな事思い出しちゃった…)
思わずげんなりと渋い顔になり、無意識に脳内から蘇ってしまった思い出を取り消した。

………。
それにしても起きない。

ゲイナーが仮眠室に入ってから、もう10分は経過しただろうか。
人の気配を感じてすぐに起きるだろうと思っていたのだが…。
(何が黒いサザンクロスだよ。…僕が殺し屋だったらとっくに殺されてるぞ)
心の奥でこっそり毒づきながらも、気持良さそうに眠るその表情を見てしまうと、起こすのも躊躇われる。
 「…」
深緑の、髪の毛。
芯の強そうなその質感に触れた頃が、何だか随分と昔の事のように思えた。

まだ、一週間しか経ってないのに。

そろり。と、無意識に指がその髪に。
決して触り心地は良いとは云えないそれを、ゆっくりゆっくり何度も撫でる。
 「ゲインさん、いい加減起きて下さい」
野生の獣も、眠ったらこんな安らかな表情になるのだろうか。
微動だにしない男をふう、と息を吐いてもう一度眺め、
 「…地図、此処に置いときますから。………ゆっくり休んで下さいね」
持ってこいと云われた地図を枕許に置いて、音を立てないようにそっと立ち上がった。

…途端、
思い切り袖を掴まれ、バランスが後方へと崩れる。

 「…うわぁ!」

足場を失った身体を支えているのは、つい先程まで寝入っていた筈の男。
多少起き抜けでぼんやりしているが、自分の胸に引きずり込んだ少年を抱き締める腕は、しっかりとしている。
その時。ゲイナーにしては珍しくピン、と勘が働いてしまった。
 「ゲインさん!い、何時から起きてたんですか!」
 「………お前な、此処は仮眠室だぞ。…とりあえず声落とせ」
顰められた眉と共にそう諫められ、ゲイナーがうっ…と言葉を詰まらせる。
 「………ゆっくり休んで下さいね。の前からかな…髪の毛撫でられてたトコくらい?」
云いながら、今だ腫れぼったい瞼のままニヤリと笑われた。
(丁度またタイミングの悪いトコで起きるんだからこの人は…っ! )
余りの恥ずかしさで頬が熱くなる。
というか、いい加減離して欲しい。
 「…ちゃんと云われたもの、持ってきましたよ。その枕の処に…、…?」
突然、髪に降ってくる口づけ。
驚いて顔を上げると、眠たそうなゲインの顔とぶつかった。
 「ご苦労さん」
笑みを作った唇は、髪から額に、頬に、鼻の頭に軽いキスとなって落ちてくるのだが、ゲイナーは何が何だか分からない。
 「ちょ、な、何なんですか…っ」
 「いや、実はこっちが本命の品だったんでね」
簡易ベッドに座り直したゲインが、ゲイナーを両腕で抱き締めたまま自分の膝の上に乗せる。
どうしたって力では敵わないゲイナーでも毎回本気で抵抗はする。
するのだが、それは今回も報われる事のないままに終り、結局膝の上に収まってしまった。
 「…?どういう事ですか…?」
怪訝な顔で見上げる。
ゲインは僅かに無精髭を生やした顎をゆるゆると撫でながら、その視線を受け取り、真摯に囁いた。
 「一週間、君と離ればなれで寂しかったんだよ、ハニー。…って!」
が、容赦無く年長者の頭をはたくゲイナー。
 「馬鹿云って!僕は貴方のハニーでも何でもありません!!」
憤然たる気持ちでゲインの腕を退け、膝から降りようとするのだが、
自分を掴む腕が、腕の力がいつもよりも強い事に、少しだけ、怯む。
その隙を逃さずに、ゲインが強引に顎を掴んで、唇に深くキスをした。
 「…、ん…、ぅ…!」
ドンドンと胸板を叩いていた腕から、徐々に抜けていく力。
次第に意識は互いが繋がる口内へ。
歯列をなぞっていく舌に、自分のそれと絡まる舌に、ゲイナーの意識は奪われ、翻弄される。
 「…ん、……っは」
角度を変えて何度も接する唇。
端から顎、そして白い頤に伝う唾液を男が丁寧に舐め取っていく。
強く抱き締められ過ぎて、呼吸もままならない。そして忙しなく求められる、濃厚な口づけ。
 「…一週間くらい辛抱出来ると思ったんだがな」
唇を、離して。
獣じみた本能を宿す瞳に射竦められて。
 「……無理だった、すまん」
のんびりとした口調の裏に潜む、情欲。
 「………って、まさか…」
それを感じ取り、背筋に、ひやりと冷たいものが伝う。
ゲイナーが本能的に悟るのと、ゲインがズボンを脱がしに掛ったのは、ほぼ同時の事だった。
 「や!やですよ…!何考えてるんですか!ここ仮眠室ですよ!?」
パジャマ代わりのハーフパンツを下着ごと折り曲げた膝まで降ろされ、軽く恐慌状態になって反論するゲイナー。
その背中を掌で優しく撫でながら、ゲインは彼の目の前に人差し指を一本立て、自分の口に押し付ける。
 「そう、仮眠室では静かにな。ゲイナー君?」
 「ふざけないで下さい…!こんなトコで、こんな事…っ…ぅ!」
背中を撫でる手はそのままに。
もう片方で直接ゲイナーに触れた。
軽く握って、指先で愛撫して、弱い部分を刺激してやると、みるみる顔が紅潮していく。
 「…っ、ぁ…聞いてるんです…っか…、ゲイ、んン…っ」
荒い呼吸。
これだけで先端からヌメりを帯びた液体が滲み出てくる。
いつもより感じ易いのは、やはり彼も我慢していたからだろうか…?
ゲインが心中、笑みを浮かべた。
 「聞いてるよ、ちゃんと」
クチュ、粘液音を響かせ強弱をつけて執拗に扱くと、
 「…ぅ、そ……ばっかり…っ…ん…、も……っ!」
張り詰めていた自身がビクリと震え、其処から白い飛沫が飛び散る。
 「…っふぁ……っごめ…なさ……」
思い切りゲインの服を汚してしまった。
先に仕掛けたのは彼だとしても、申し訳無さ一杯で不規則に乱れる呼吸の中何とか謝った。
が、当のゲインはそんな事全く気にしていないらしい。
自分の腹部とゲイナーの其処に付着した精液を指へ塗りつけて、背中に回ったかと思うと、
ヌ、と少し強引に、腰を浮かせていたゲイナーの奥へとそれを突き入れた。
 「…んぁ…!!」
予告の無い衝撃。余りの唐突さに上擦った声を零した少年の口を、
背中を撫でていた筈の大きな掌が緩く塞ぎにかかる。
 「静かに、な」
 「なに、が…静かに、ですか…っ!ほ、ほんとに…信じられない、野蛮!下品っ!ケダモノ…っ……、ん」
文句を云う側から、指が奥をじわじわと広げていく。
その不快感は、何時まで経っても慣れないのだ。生理的にもキツい。
普段より性急なその動きは、ゲインの余裕の無さを示しているのだが、自分の事だけで精一杯なゲイナーには分かる筈無かった。
 「…ケダモノだよ」
顔を見たら帰してやるつもりだったのに。
こんなに自制が効かないなんて。
こんなに欲しているなんて。
 「…んっ、や、…やだ…ぁ…っ」
粘液と共に出入りする数本の指。
それがバラバラに動いては内壁を擦り、ゲイナーの身体の奥に仄冥い官能の火を灯していく。
頃合いを見計り、ズルリと指を引き抜くと、自分の首に腕を廻す少年の身体がピクン、と震えた。
こみ上げる快感に漏れる声を必死で耐えているのか、唇をきゅうと噛む姿は妙にいじらしくて。
汗で額にくっついている前髪を優しくかき上げてやりながら、ゲインは自分のズボンのジッパーに手を掛ける。
既に昂ぶったそれを引き出して。
 「ゲイナー、」
艶のある低音で、その名を呼んで。
脚を跨ぎ、ベッドに膝立ちで半分程腰を浮かせたままのゲイナーの、自分の首に廻っていた手をぽん、と払ってしまう。
 「…っぇ?」
支えを失ってグラリと揺れる身体。
その腰を掴んで、一気に貫いた。
 「…………っ!」
ズン、と衝撃。
声にならない声は、涙となって薄茶色の瞳から零れ落ちる。
 「息、吐いて」
 「……っ、は…ぁ」
 「そうだ、それでいい」
 「…った…、い……」
深呼吸した事で大分其処からは力が抜け、迎えられ易くはなったが、まだ快感を手にするまではほど遠い。
俯いたままで必死に痛みを堪えるゲイナーの口をゲインの舌が軽く舐め、もう一度侵入する。
同時に触れた眼鏡のフレームがカシャ。と音を立てて、一瞬現実に引き戻されそうな気がした。
ぬるりと、口腔で蠢く舌。拙い動きながらもゲイナーは必死でそれを追おうとしている。
そちらに意識が行っているのを確認して、ゲインは停止していた動きを再開した。
ズちゅ…、
狭い入り口を強引に広げ、擦り上げ、そしてゆっくり引き抜く。
その動作を何回か繰り返している内、ゲイナーに反応が見られ始めた。
 「…ぁ、…も、やだ…っ、……めて…、ふ、」
キスの合間も、囈言のように何度も繰り返しては、身体を震わせる。
ゲインが振動を加えれば、小さく濡れた声が降ってきた。
 「…や…っ、ぁ、」
上半身は服を纏った、眼鏡を掛けたままのゲイナー。
それなのに下半身の衣類は奪われ、ぐちゃぐちゃと濡れた音を立てながら、淫らに反応してしまう。
その猥雑なギャップだけでイってしまいそうだ。ゲインは瞳を細める。

真っ暗な部屋で。
誰が来るか知れない部屋で。
こんな情交、正気の沙汰では無い。

けれど。
そんな常識を投げ打ってもいい程、
今、自分はこの少年に溺れている。

(…なんてザマだ)

何度目かの射精の後、自分にもたれかかってくるゲイナーを抱き締めて。
それでもゲインは中に入っている自身を抜こうとしなかった。
 「…も、むり……です…って…、」
懇願するように見上げてくる潤んだ視線。
それがまた自分を扇情しているとは全く気付かないのだろう。
ゲインは無言でゲイナーを抱き抱え直すと、再びゆっくりと動き出す。
 「落ちるなよ、少年」
 「…だから、むり…だって………っ」
甘い非難はすぐに熱い息遣いへと変わる。
その広い肩にしがみついて、必死に声を殺そうとした。
動く度、自分には無い雄の匂いが男から感じられ、どうしようも無い気分にさせられる。
ただでさえ暗くて狭い仮眠室に籠った熱気で、頭がおかしくなりそうだというのに。
 「…っぁ、」
こうしていると、まるで自分は飢えた獣に身体を貪られる、無力な小動物なんじゃないかと思えてくる。

けれど。
男が与える快感には情けない程従順で。抗えなくて。

 「……っ、ゲイ、ン…」
無意識に名を呼べば、返事の代わりにキスをされた。
最早盛大にズレて眼鏡の役目を果たしていない眼鏡を、苦笑と共に外される。

どうせ、当分忙しい。
どうせ、逢えないなら。

もう少しだけ。

緩やかに薄れていく視界と意識。
その中で、半ば諦念にも似た感情に支配されながら、
ゲイナーはゲインの肩に絡めた両腕に、そっと力を込めた。






 「よ。お疲れさん」
ベローが聞き慣れた声に振り向くと、先程仮眠室に入ったばかりの請負人がコーヒーカップ片手に此方へ歩いてくる所だった。
 「ゲイン?あれ?まだ交代時間じゃないっスよ?」
 「あぁ、そうなんだが…」
白いコートに身を包んだゲインが言葉を濁す。
と、べローが「あ。」と何か思い出したようにポン、と手を打つ。
 「そういやゲイナーがゲインの事探してたけど、逢いました?」
 「逢ったよ。只今仮眠室でお休み中だ」
息を吹きかけコーヒーを冷ましつつ、そう報告すると、それを聞いたべローが「はァ?」と素っ頓狂な声を上げた。
 「なんだ?自分の部屋に戻って寝りゃあいいのに」
無精なパイロットだこと!大袈裟に天井を仰ぎ呆れるべローを横目に、ゲインは僅かに苦い笑みを零すしかない。
そうした張本人が自分なだけに。

 「…さて、どうだい?進行状況は」
意識を切り替え、ゲインが訪ねる。
身を乗り出して、バッハクロンの巨大な窓越しに外を眺めながら。
 「まあまあ順調ですよ。明日か明後日には予定通り線路越えになるかも」
べローもつられて、視線を窓に向け、呟いた。
氷と闇に包まれた世界。
 「…シベリアの夜明けは遅いな」
その中を切り裂くように進んでいく、ヤーパンの天井。
東の地に在る楽園を夢見、目指して人々は行く。



朝はまだ遠い。

 

 

 

◆end◆

 

ゲイナーのズレ眼鏡を書けて満足でした。(正直)