14.



ふんだりけったりとはこの事だ。
痛む両腕、擦れる背中。ずれた眼鏡と浮き上がる涙の所為で視界はたちどころにぼやけ、
気持ちの悪さに眉を顰めたゲイナーは、日常を飛び越えた向こう側で崩れゆく意識を立て直しながら、強く思う。
一体何がどうしてこういう事になったのか、全然思い出せない。
傍に置かれた花束と、スーツのポケットからはみ出したお釣りの硬貨。
失敗したデートの代償にしては重すぎる。体力的にもう形ばかりの抵抗でしかなかったが、
それでも脚を緩くばたつかせ反抗的なジェスチャーを見せると、そのまま膝裏を掴まれ大きく開かされた。
しまった逆効果だった、と悔しくなったがもう全て怠くて相手の意のままだ。しっとりと汗ばんだ肌と肌が触れ合い、体温が嫌でも伝わる。
その慣れた手つきから促される既視感に、身体が勝手に動きを止めてしまう。不意に相手の肩越しに、輪郭の暈けた扉が見えた。
そういえば、部屋の鍵は閉めてあっただろうか。
冬至の祭りの時、エクソダスが始まったあの日ユニットごと引き出されてから少し緩くなっていたような気がする。
この男の事だからきっと憎らしい程周到で、抜かりなんて無いとは思うけれど。
ひたすら意識的に、無味乾燥で余計な事ばかりを考え身体の底から生まれる快感を逃がしていると、
いつの間にこんなに近づいていたのか、耳許近く熱を帯びた吐息だけで囁かれ、嫌でも現実へ引き戻された。
 「今度はデート、上手くいくといいな」
あんたが今それを云うか。と、
反論しようととっさに開いたゲイナーの口からは、同時にもたらされた甘い衝撃によって、
思っていた事とは全く似ても似つかない、無意味で濡れた未完成の言葉がこぼれ落ちる。

手首に絡みつく借りた黄土のネクタイは、まだ、当分の間解けそうになかった。



事の発端はゲインの予期せぬ来訪から始まった。
ガウリから呼び出しを受け、ジャージ姿のまま不承不承部屋を出ていったアデットと、
入れ替わるようにして訪れたゲインの手には何故か、今となっては思い出したくもない寒々しい物が握られていた。
 「よぉ青少年、お届け物だ」
 「……何です?これ」
シンシアとの通信を切った後、抱えていたモップをアデットから取り返した手紙へと移し代えて、
最後の問題を解いていたゲイナーの表情が急激に曇る。ゲインの手にしている物に覚えがあり過ぎたからだ。
露骨に嫌そうな顔をしている少年の質問に答える気はさらさら無いのか、男は勝手に住居へと上がり込みながら、
手に持っている少しだけくたびれかけた花束の中から、ひょいと白く四角いカードを取り出した。
 「親愛なるシンシアさん、この真紅の薔薇を君に…」
 「うわーー!ちょ…っ!」
思わず立ち上がったその勢いで、広げていた毛布に足を取られ滑りかける。
しかしそんな事はお構いなしに花束を奪い取ろうとするゲイナーの手を簡単にかわしながら、
ゲインは真っ赤になっている少年をにやにやと楽しそうに見下ろす。
 「あの後、広場を見回りに行ったガウリ隊の若いのが拾ったんだとさ。良かったな、名前を書いておいて」
 「分かったから返して下さいよ!」
ゲインがわざと勿体ぶるよう時間をかけて恭しく手渡すと、伸びてきた腕が物凄い勢いでそれをひったくった。
どうやら相当恥ずかしかったようだ。無理もないか、と男は内心こみ上げてくる可笑しさを隠しきれずに思った。
格好のつけようもあったものじゃない。相手に渡す筈の贈り物が、持ち主の所にまっすぐ戻ってきたのだから。
 「ちゃんと俺のアドバイス通り買ったのに、残念だったな」
 「おかげで全部水の泡ですよ。…あぁ、そうだ、」
半ば投げやりな口調でそうぼやきながら、これも返します、とゲイナーは乱雑に重ねられた布団の上に一旦花束を置くと、
再びその場に座り込み、傍に脱ぎ散らかしてあったトレンチコートやスーツ一式をさくさくと畳み始める。
彼に貸した緑色の上下は、拾った物とはいえゲイン自身実は一度も着た事はなかったのだが、わりと綺麗でほぼ新品同様だった。
姫君にはすこぶる不評だったが。
 「シャツは洗濯して返しますから、とりあえずこれだけ」
 「別に急がなくてもいいぞ。傷心が癒えてからで」
 「…今すぐ返します」
据わった目つきでじろりと睨みつけられ、その反応の良さに嬉しくなる。
こんなにもからかい甲斐のある奴はなかなかに稀だ。
口や手を出しすぎて本気で怒らせてしまう事も少なくなかった。しかし、ゲインはどうしても止める事が出来ない。
悪い癖だと分かっているのだが、ある意味この少年に、彼の見せる反応に夢中だといえる。こんな絶好のイベント時には、特に。
全くサイズの合わなかった衣装を律儀に折り畳んでいるゲイナーの傍へ、ゲインも同じように腰掛ける。
周囲に散乱するゲームソフトや接続コード、飲みかけのペットボトルや銀紙に包まれた色とりどりの菓子の類。
生活感の漂う当たり前の風景に、なんだか懐かしさを覚えた。
 「で、結局のところ相手とは会えたのかい?」
 「…僕、答える必要無いって云いましたよね」
 「なんだよ、協力してやったっていうのにつれないじゃないか」
事実昨日の晩、服を貸して下さいといきなり部屋の戸を叩かれ、
ところがなかなかその理由を教えないゲイナーから無理矢理事の真相を聞き出したゲインは、
結果、本日行われるデートのコーディネイトを全面的に請け負ったのだ。
男が軽くおどけるようにその広い肩を竦ませると、ゲイナーは心底弱ったといった表情で、
どうしてみんな首を突っ込みたがるんだ…と、半ば独り言のようにぼそりと小さな声で呟いた。

面白いからだ、とは勿論云えない。

 「心配なんだよ」
絶対に怒られるであろう本音を胸中にそっと隠し、
この場に適した当たり障りのない言葉を口にしながら、
ゲインはまあ当たらずとも遠からずか、と頭の中で妙に納得する。

目を離すとすぐに突拍子のない戦術を取りかねない。いい意味ではセンスがあるのだろう。
しかし見ている側としては時折ヒヤリとさせられるのも確かだ。
今回の作戦だって生きて帰ってこられたものの、一歩間違えればどうなっていたか分からない。
戦いの腕を全面的に信頼するには、少年はまだ危なっかしく未熟だった。
そのクセひねくれているかと思えば驚く程バカ正直で、だからこそ。

 「悪い奴に騙されてないかってな」
 「なんですか、それ」
指先に集中し、俯いたままのゲイナーは不本意そうに云い返したが、
全てを畳み終えた後、残った黄土色のネクタイを黙って膝の上で弄びながら、おもむろに顔を上げた。
 「…僕、そんなに騙されやすそうに見えます?」
真剣そのものの眼差しで見つめられ、ゲインが一瞬固まる。
そして僅かに流れた沈黙の後。とうとう我慢しきれず吹き出してしまった。
すぐ傍で上体を折り曲げ苦しそうにくつくつと笑うゲインを呆然と眺めていたゲイナーだったが、
状況を理解するに従って、身体の奥底から湧き上がってくる怒りと羞恥にみるみる顔が紅潮していく。
 「あんたねぇ…!絶対面白がってるでしょう!」
云いながら、相手に向かって力任せにネクタイを投げつけたが、柔らかな音と共に片手で難なく受け取られてしまった。
 「いや、…うん、悪い」
 「もう、どうせ…あんたなんかに頼んだ僕がバカだったんだ」
行き場の無い怒りを持て余し、結果ぶつけるように両手に抱えた衣装をゲインの方へと乱暴に押しつける。
しかし腕を伸ばした彼はそれを受け取らず、代わりにゲイナーの手首を軽く掴んだ。まるで楽しくてたまらないといった表情で。
 「そいつは聞き捨てならないな、ゲイナー。俺のプランは完璧だった筈だぜ?」
名前を呼ばれた少年の身体が、微かに警戒心を帯びて怯む。
軽く掴まれている筈なのに振り解く事が出来ない。ここは自分の部屋なのに、部外者はゲインの方なのに。
圧倒的な力でもってそのバランスをつき崩し、場を支配する。そういう得体の知れない強さを男は持っている。
 「離して下さいよ」
 「まだ謝礼も貰ってないのに?」
 「はあ…?」
なんだか雲行きがすごく怪しい。ような気がする。
何となく、本能的に嫌な直感にも似た予感がして、ゲイナーの眉が怪訝そうに寄った。
しかし目の前に座る男は笑ったままだ。その笑顔に少しだけ意地の悪さが滲んでいる事に、気づいた時にはもう遅かった。



それから、どうなったんだっけ。
暖房がきき過ぎているのか、やたら暑い。それとも単にこんな事をしているからだろうか。
ゲイナーは熱のこもった息を吐き出しながら、まとまりに欠けた考えをぼんやりと低速度で巡らせる。
ゲインの云う謝礼とはこういう事だったらしい。あの後抵抗する暇もなく唇を重ねられ、気づけば散らかった畳の上に組み敷かれていた。
簡単に、あっけなく。本当はそれは彼の得意とする冗談で、いつもけしかけてくるからかいの延長線上だったのだとしても、
結果はきっと変わらない。どの道こういう事になっていたのだろう。
 「ア、アデット先生が、帰ってきたら…、っ…」
それでもなお食い下がる事を止められない。しこたま抵抗した結果、
ゲイナーの両手首はゲインの持っていたネクタイでひとくくりにまとめられてしまった。
彼にそれを投げつけたのは自分であるとはいえ、よりにもよって今使わなくてもいいと思う。
デートに結んでいったネクタイ。本当に、嫌がらせにしても心底タチが悪い。
 「難民の受け入れで随分張り切ってたからな、当分戻ってこないと思うぞ」
飄々とした様子で、上に伸し掛かっていた男が答える。
相変わらず無駄な抵抗に体力を費やしてしまったゲイナーが、
彼の身体の下で浅い呼吸を繰り返したまま上目遣いにゲインを睨みつけた。
 「…行かなくていいんですか?」
 「呼び出しがかかるまでは自由」
 「不真面目…にも、程がある…、っ」
硬い髪の感触が鎖骨にあたり、ざらりと温い舌が肌と喉の窪みを舐めた。
そのまま噛みつくようなキスを落とされ、瞬間チリッ、と軽い痛みが皮膚をすり抜けていく。
 「デートにうつつを抜かしてた奴に云われたくない」
 「それとこれとは別でしょ…!…ッ、い」
男の手は余計な回り道をせずに片手で器用にゲイナーのズボンを、下着ごと一気に下ろしにかかる。
少しだけ性急だが、手慣れた行為によって露わになった肌は嫌でもそこで空気を感じ、全身が薄く粟立った。
それでも何とか血路を見い出そうと身体を捻って逃げようとしたが、全てを予想しそれを見越してもたらされる愛撫は、
ゲイナーの反抗心を徐々に、そして確実に奪っていく。耳朶、首筋、弱い部分ばかりを執拗に舌で濡らされ、かじられて。
脚を開かされても膝から下がまるで別人のように甘く曖昧で、本当に自分のものなのか不安になる程力が入らず、上手く動かせない。
 「ど…して、こん…な…」
ゲインは自分の唾液で濡らした筋張った指を、躊躇いもなく狭いそこに突き入れる。
体内をゆっくりと侵食し、蹂躙していくその違和感にぶるりと身体を震わせ、ゲイナーはその生理的な嫌悪に泣きそうになった。
二本、三本。微かに拒否反応を起こしながら、それでも深々と容赦無く埋め込まれていく。
 「理由が欲しいか?」
質問を質問で返すなんてルール違反だ。
ゲイン自身これは初歩的なミスだと思ったが、
それならこの質問に対しどう答えるのが一番適切なのか、分からなかった。

反応が面白いから。
近い。が違う。
理由なんて無い。
というのが一番近い。だから困る。

ゲイナーに対しておそらくその答えは絶対に通用しないだろう。
彼はこの余りにも曖昧で漠然とした不毛な行為に、確たる理由を、言葉を求めたがる。
その言葉は、自分の抱く混沌とした感情を整理してくれると信じているのかもしれない。
衝動と欲と本能にまみれた行為の中にある何か。
けれどゲインは、その何かを言葉にすると、きっとたちまち嘘になってしまう事を知っている。だから困るのだ。

内を拡げていた指がずる、と無造作に引き抜かれ、息を吐く間も与えられず代わりに熱い塊が侵入ってくる。
その余りの性急さに戸惑ったが、ゲイナーはどうする事も出来ず、衝撃に耐える為歯を食いしばるだけだった。
 「…っ、く……」
時間を掛けて奥まで貫かれ、そして浅く抜かれる。
じわじわと全身を支配する鈍い痛みと異物感に我慢出来ず、少年の眦には自然涙が浮かぶ。
けれどそれを掬い取り、緩和するようにゆっくりと額に落とされる口づけはひどく優しく、更に戸惑った。
 「たい…ッ、ですよ…も…」
必要最低限の範疇で服を乱され、強引に奥を拡げられて。
弱い所を何度も擦られれば簡単に反応してしまう。そんな自分の身体に嫌気が差す。
本当に、何をやっているんだろうと思う。ゲーム友達の女の子と楽しいデートの約束をした筈が、
アデット先生やサラに尾行され、何故か地下に潜って噴き出す熱いマグマを目の当たりにして驚いて。
挙げ句自分の部屋でゲインとこんな事に、なってしまっていて。

限界まで追いつめられ、先に射精を迎えた身体はぐったりと力が抜け弛緩し始めるが、
時間差で内に迸る熱いものを感じた途端、何故かぎゅう、と指先にまで力がこもってしまう。
取り込みたいのか捨て去りたいのか、良く分からない。
カチャリと硬く冷たい音がして、耳の端にかろうじて引っかかっていたゲイナーの眼鏡がずれ落ちた。
結ばれた手首に布が擦れて痛いし、全く自由がきかないのも気に入らない。
せっかく綺麗に折り畳んだスーツは、二人分の重みと体液でぐしゃぐしゃだった。
元々お世辞にも綺麗とはいえない部屋だったが、ゲインが乗り込んできた所為でますます混沌と化してしまった。
 「…っ、…さっき、云った…の…」
 「うん?」
弾んでは途切れる弱々しい言葉をもっと良く聞き取ろうと、繋がったままで男がぐ、と顔を近づける。
しかし少年は困った顔で小さく何かを云い淀んだ後、しばらく黙ってしまったが、
意を決したのか懸命に乱れる呼吸を整えゆっくりと口を開く。
 「悪い奴、に騙される、…って……ほんと、でした」
悪い奴、の部分を特に区切って強調しながら、
ゲイナーは自分の身体に覆いかぶさっているゲインを涙の溜まった目で思い切り、睨みつけた。
 「だから、…次から絶対…気をつけます…、もう、絶、対…っ」

騙されませんからね。

そう云い捨てて顔を背けるゲイナーをまじまじと見下ろした後、ゲインは再び吹き出してしまい、彼に怒鳴られた。
今度はデート、上手くいくといいな。など半ば嫌がらせのような言葉を耳許で呟けば、
顔を背けていた眼下の少年がなんともいえない表情をこちらに寄越す。やっぱり面白い。
やっぱりある意味、夢中だと思う。怒られるから云わないけれど。理由なんか無いけれど。



■end■

もう一生やってればいいんじゃないかな。