23.
二度目に触れたゲイナーの頬は、濡れてつめたくなっていた。
私は黙って寄り添って、頬を伝う彼の涙を掬い取る事しかできない。ごめんね、と小さな声で謝る事しか。
満ちる夕陽がたっぷりと降り注ぐ暖かな窓際に、凭れるように身を寄せて、彼は俯き必死で嗚咽を堪えていた。
肩を震わせ、重圧のように降ってくる悲しみに耐えて。
私は彼の前でなす術も無く、どうしようもなく、無力だった。
この胸を刺す痛みは本物なのに、彼を救うどんな言葉も思いつかない。
悲しいくらい、無力だった。
サラがその事実を知ったのは、ユニットを襲った敵のオーバースキルが原因とはいえ、全くの偶然だった。
心の声が聞こえる。狡猾にして周到なそのサイコアタックは、
一番親しく、今まで頼りにしてきたガウリ自身の声によって彼女を打ちのめした。
(同じヤーパンですら、俺は…)
その言葉と共に流れ込んできたガウリの心。知らなかったエクソダスの闇の一面。
犠牲、と彼はよく口にする。
好きになれない言葉だったが、それをはねつける程自分は潔癖でも子どもでもなかったし、ある程度仕方の無い事だと理解していた。
そしていつしか本格的に始まったエクソダスの慌ただしさに意識を奪われ、深く考える機会も少なくなっていたが、
ガウリの心に触れた時、サラは初めてエクソダスというものに疑問を持った。同じヤーパンですら、とガウリは云った。
ならばゲイナーの両親は、エクソダス賛成派の立場であったのに同胞達の手によって殺された、という事なのだろうか。
だとしたら何故?
考えようとしても、真実を埋めるだけのピースが足りない。
今日は学校の無い休日だったが、教室に呼び出したゲイナーと会う為、
いつものように制服へと袖を通したサラは、ユニットの通路を歩きながら憂鬱な溜め息を吐いた。
正直、今から自分のやろうとしている事が正しいのかどうかすら分からない。
ゲイナーの両親を殺したのは、他の誰でも無いガウリ隊長だった。と、伝える事が本当に必要な事なのか。
けれど以前サラは聞いているのだ。ヤッサバと戦ったあの時、キングゲイナーのコクピットの中で叫んだ、ゲイナーの悲痛な言葉を。
「エクソダス反対ってビラを握らされて、僕の両親は殺されたんだ!
…だけど僕は、27日間部屋にひきこもってゲームばかりしていた。犯人を探しもしないで!」
エクソダスは嫌いだ。でも、エクソダスで人が死ぬのは、もっと嫌いだ。
そう云って自分の主張を貫き見事敵を撃破した彼は、いつしかキングゲイナーの専属操縦者となり、
結果的に、嫌いだと云っていたヤーパンのエクソダスに力を貸して、自らこの状況に飲み込まれていった。
通路を歩く足取りが次第に重たくなっている事に気づいたサラが、慌てて小さく首を横に振り、自分を叱咤した。
彼は少なからず悔いていた。部屋に閉じこもり何も出来なかった自分自身を。
そんな彼に犯人の名を告げるのは、自分でなければいけない気がする。それがこのエクソダスに大きな波紋を拡げる事になったとしても。
そこまで考えを進めてはみたが、同時に端からぐちゃぐちゃと絡まっていく思考にうんざりして、無意識に詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
駄目だ、云いたい事が全然まとまらない。とにかくゲイナーに会って彼の顔を見よう。そして、その時感じた事を話そう。
全てはそれからだ。そうして意識を無理矢理切り替えた時、耳が自動的に正面から響いてくる足音を捉えた。
顔を上げれば通路の先、見知った顔がそこにあった。
「サラじゃないか。こんな時間に登校かい?」
ゲイン・ビジョウ。
何となく、今は会いたくないエクソダス請負人と遭遇してしまい、微かに苦い気持ちになる。
ユニット内だというのに律儀にあのぶ厚く白いコートを羽織っているという事は、今から周辺警備にでも出かけるのだろうか。
「今日は学校は休みよ。ちょっとね、ゲイナーと待ち合わせをしてて」
彼の名前を聞いた途端、何が面白いのか、ゲインの口許が楽しそうに緩く綻ぶ。
野性的で、それでいて何処か気品を宿す魅力的な蒼碧色の瞳をすっと細めながら。
「少年のあの告白は見事だったからな、あれから少しは仲良くなったかい?」
「な…っ、違います!そういう事で待ち合わせてるんじゃないんだから…!」
いきなり、忘れたい程の恥ずかしい過去を指摘され、一気に顔が熱くなる。
そうだった。今から自分が会う相手は全世界に響きわたる熱烈な愛の告白をやらかしたのだった。
心の声には心の声で対抗するなんて、本当に、バカなんだから。
必死になって否定を繰り返すサラを可笑しそうに眺めていたゲインだったが、
しばらくして、おもむろにポケットの中へ突っ込んでいた片方の手を出し、ぽんと彼女の肩を優しく叩いた。
「ま、色好い返事を俺からも期待しておくよ」
「…もう!面白がってるでしょ」
「いいや?俺はいつだって真面目だぞ。特にご婦人に対しては」
これ以上相手をしていてもからかわれるだけで意味がない事を悟ったサラは、もういい!と一言短く告げ、強引に男の脇を通り過ぎた。
今は彼の軽口につき合っている暇も余裕も無いのだ。やたら熱い頬の辺りを冷たい風が流れ、薄桃色の髪がなびく。
ゲインの所為で思い出してしまった。あの臆面も無くストレートな、恥ずかしい彼の決死の告白を。
サラはいつしか早足で、そして気づけば小走りで駆けるように校舎へと向かっていた。
「本当に…バカなんだから」
けれど、自分に対して贈られたあの向こう見ずな愛の言葉を思い出したおかげで、心が少しだけ軽くなっていたのは確かだった。
そう。だから。
もし、敵のオーバースキルの影響が無かったなら。
云い知れない程の不安に襲われていなかったとしたら。
きっとこの時、教室で待っていてくれたゲイナーに、真実を告げていただろう。
サラは再び制服に着替えている。つい先程まで身につけていた、爆発物で汚れた戦闘服を脱ぎ捨てて。
結果は今までに無く最低だった。
マシンで人工的に作り出された不安によって、精神を攪乱されたピープル。
シベ鉄のオーバーマンに寄生され持ち主の手によって爆破されたガチコ。そして、ガウリの暴走。
隠されていた真実をこんな最悪な形で突きつけられたゲイナーは、けれどサラが思っていたよりもずっと冷静だった。
少なくとも自分よりずっと冷静に戦況を判断し、どう動くべきかをきちんと把握していたし、
取り付かれたガチコを操作しているリモコンを壊して、自分とゲインが云った通りガウリを助け出したのだ。
「…考えるより先に、身体が動いちゃったのか」
不安なら動けばいい、その方が楽だから。これは、アデットの言葉だったろうか。
呟いた後、無意識に唇を噛んで、サラはこつんと冷ややかなロッカーへと滑らかな額を押しつけた。
だとしても、それでは余りにも悲しすぎる。
バッハクロンに引き上げてすぐ、もう一度話をしたいとゲイナーに告げた。
彼は未だ先程の爆発と戦いの余韻から抜け出せずにいるのか、精彩を欠いた表情でそれでも頷いてくれた。
更衣室の扉を開け、再び彼の待つ教室へと歩き出す。深呼吸して頭の中の厭な考えを追い出そうとするのに、
今更何を話すつもりなのか、とサラの中のもう一人の自分が意地悪く囁きかける。
もうゲイナーは知ってしまったのに。両親を殺した犯人を、犠牲と称し障害となる者を血を以て排他する、エクソダスの暗い闇を。
それでもなお、自分はゲイナーを引き留めたいのだろうか。彼が、エクソダスを率いてくれる程の優秀なオーバーマンの操縦者だから?
それとも。
デスネッタによってもたらされたものとは別の、心の奥から湧き上がる本物の不安を感じ、震える手で扉を開ける。
立ち竦みそうになる足を踏み出して教室に入ると、全ての窓から差し込む夕陽の橙の中で、ゲイナーはぽつんと一人立っていた。
気配を察したのかこちらを振り返り、サラ?と名前を呼ぶ彼に無言で近づいて、すぐ隣の窓辺に同じように立つ。
顔を見て、声を聴いた。それだけで不安はゆっくりと溶けて無くなる。
「おつかれさま」
声を掛けると、ゲイナーは横でしばらく何か考えている様子だったが、最終的にこくりと頷いて、小さな声で呟いた。
「ありがとう、サラ」
「…え?」
一瞬、何を云われたのか理解出来なかったサラが、弾かれたように顔を上げて彼を見る。
言葉の意味が分からなかったのではなく、彼の口から出てきたものが感謝の言葉だった事が、理解出来なかったのだ。
「サラがあの時ガチコの前に出てきてくれなかったら、多分僕は負けてた」
「あぁ……あれ…」
「サラの声が無かったら、僕はガウリさんを助ける事も、出来なかった」
ゲイナーは、会話の相手ではなく夕暮れの濃厚な陽差しを落とす正面の窓ガラスを見つめながら、淡々と続ける。
それを聴いていたサラは唐突に、自分の身体からすっと血液が降下していくような錯覚に陥った。
ガチコの前に立ったのも、ピックアップを要請したのも、全て隊長であるガウリを救出する為だったからだ。
自警団として結成した当時からずっと、共にエクソダスの夢を語ってきた。
血気盛んな自分達をまとめる隊長は、彼以外に考えられなかったし、彼だからこそ今までヤーパンのエクソダスを支え続けてこれたのだ。
気づけば身体が勝手にマシンを降りて走り出していた。死なせてはいけない、殺させてはいけない。
こんなところで、こんな形で命を落とすなんて絶対に駄目だ。
彼女は、あの時ゲイナーの気持ちよりも、無意識にガウリを優先した自分の行動が、
皮肉にもゲイナーにとって大きな影響を及ぼしていたという事実に、初めて気がついた。
「じゃあ…私がいなければガウリ隊長をやっつけていた?」
思い切って差し向けた問いに、ゲイナーは少しの間考え込むようにじっと沈黙していたが、
言葉が見つかったのか、ゆっくりと視線を窓の方に外し、きつく噤んでいた口をようやく開いた。
「…僕はガウリさんを許さないよ。許すなんて事も出来ない。許せるようになりたいとも思わない」
強い口調できっぱりとそう告げて、顔を上げ前を見る。
彼の隣で、自然後ろの机に腰掛けるような格好になっていたサラも、つられるようにその動きに倣う。
ここからでは制服の背中だけで、空を見上げるゲイナーの表情を知る事は叶わないが、それでも良かった。
「でも、ガウリさんには僕のそんな想いを背負って、たくさんの想いを全部背負って、一生懸命に生きて欲しいって思う」
「……悔しくって泣きたいなら、泣いていいよ」
それが彼の本心なら、考え抜いて選んだ末の答えなら、自分はこれ以上何も云う事はないし、口を出す権利もない。
けれど今ここで、夕陽の中で目の前に佇んでいる背中は、今にも泣き出しそうな程脆く、傷ついてひどく痛ましく感じた。
「だからさ、ずるいってんだよ」
しかし、振り返った彼から飛び出した言葉は予想もしないものだった。
サラは自分の口で、投げつけられたその言葉を思わず反復してしまう。
「ここに呼び出したりした時も、何だったんだよ。…なんか、曖昧に事を進めようってする事、あるじゃないか」
「ガウリさんの事話そうとして、家でとかその辺でって気になる訳ないでしょ?」
互いの気持ちに何処か齟齬が生じていたのか、話が上手く噛み合わない。
慌てて机から両手を離し、彼の方へと身を乗り出すような格好で事情を説明すると、
ようやく納得したのかゲイナーの全身から力が抜け、そりゃそうか…と俯き小声で呟いた。
確かに曖昧で、誤解されるようなやり方だったかもしれない。本当ならもっと、上手く伝えられる事だって出来た筈なのに。
ゲイナーをこんなにも傷つけずに済んだのに。
「…ごめんね」
無意識に、謝罪の言葉が彼女の口から滑り落ちていた。
不自然な間の後、いいんだよ、と小刻みに震え出した肩が涙声で応えた。
足音を忍ばせ窓際に立つゲイナーの傍に寄ると、彼はそこで静かに泣いていた。
ぎりぎりまで顔を近づけて、声も出さず、嗚咽を懸命に押し殺している彼の、涙に濡れる頬に唇を押しつける。
その所為で眼鏡がカチャリと小さく硬い音をたてたが、サラは構わずゲイナーの頬に自分の顔を触れ合わせていた。
吐息や肌が触れ合う程、体温がこんなにも感じられる程傍にいるのに。
解り合えずすれ違ってしまう自分達が歯がゆく、ちっぽけで、悲しかった。
■end■
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・さす【止す、刺す、鎖す】
途中でやめる。し残す。刃物で人をついて殺傷する。閉ざす。