28.
戻れない事に恐怖は感じないのか、と一度訊いた事がある。
その問いを少しだけ不思議そうに、けれど真摯に受け止めたゲイナーは、
長い時間黙り込み、回答の言葉を選び取っているようだったが、結局それを放棄した。
昼なのか夜なのかも分からない。
視界もきかない濁った砂嵐の中で、布越しの薄い温もりだけを頼りに、
存在を確かめあった。最低限の荷物の中に、残す事を決めたその存在。
「来るかい?」と。
初めて逢った時のような気軽さで誘ったのは、けしてついて来ないと思っていたから。
この豊穣の地で、彼等がなす事はまだ沢山ある。エクソダスは過程であり、終わりでは無いのだ。
「行くと云ったら、連れていってくれるんですか?」
だから、この予想外の返事に少しだけ面食らったのも嘘ではなかった。
さあな、と笑って背を向けて、出発の準備を続ける。途端あんたは狡いと怒鳴られた。
無責任だ、僕の人生を滅茶苦茶にしたくせに、借りだって全然、僕は全然返していないのに。
ゲイナーは本気で怒っていた。裏切られたと勘違いし、吹雪の中猛然と自分を追ってきた、あの頃のように。
黙って砂の道を歩く。お互い交わす言葉も持たず、そんな余力も既に失われていた。
ただ、ぼうぼうと乱暴に耳を打つ風の音の中から、後ろをついてくる足音だけをじっと聴き取る。
半ば強引にこの旅について来ただけに、彼が不満を漏らした事は一度も無かった。
粗末な食事も、不衛生な環境も、裏の世界も、血の匂いも、黙って全てを受け入れた。
オーバーマン以外での戦闘、戦術、一人でも生き抜いていける為の知恵と経験、人を殺す事以外は、全て。
護身用に持っておけ、と、比較的扱い易い小型の銃を与えたのは、外に出て自分が一番最初にした事だった。
けれど彼はどうしても引き金が引けなかった。
使い方は知っている。知識としては十分過ぎる程。それでも指はそこから先へ動かない。
人が死ぬのを見たくは無いと、苦しげに彼は云う。なら、一緒に来たのは間違いだったな、と容赦なく吐き棄てる。
何度も繰り返した、そんな終わりの無い平行線の口論は、長い年月に埋もれるように、何時の間にか交わす事をしなくなった。
それでも、と。
口論の末、ゲイナーは必ずそこで云い淀む。
それでも。
何故自分について来たのか。旅を続けようと思ったのか。
その続きに用意されている言葉は一体何なのだろう。おそらくその延長線上で、ああいう質問をしたのだと思う。
請負人なんて派手な職業に見えるが、実際全くそんな事は無い。追われる方がほとんどの、根無し草の逃亡者だ。
だから何処にも戻れない。帰る場所なんてない。
どちらかが死んでも、その屍を踏んで生きていかなければならない。
薄く目を開けると、暈けた視界に滲む、淡い光。
布越しに掴んでいる砂だらけの腕に力を込めて、肩に沈んだ長銃を担ぎ直す。
背後から微かに聴こえる、不連続で弱々しい吐息。次第に乱れ、もつれ始める足音。
放棄した筈だったあの質問に、
ゲイナーからの回答が返ってきたのは、それから一年以上経った頃だった。
夜営の準備をしていた時で、退屈しのぎに各地を渡り歩いていた時期の話をしていたのだろう。
彼は真っ直ぐにこちらを見、じっとそれを聞いていたが、少しだけ思案した後、噤んでいた口を唐突に開いた。
「ゲインさんは、戻りたいんですか」
「俺は戻れない」
「じゃあ僕も戻りません」
云って、立ちあがる。
揺れる茶色の後ろ髪。譲り渡した白いコートの裾がばさりと風になびく。
「戻れないんじゃないですよ。戻らないんです」
ゲインさんも、僕も。
まるで自分自身に云い聞かせるように、ゲイナーの後ろ姿は凛とした声でそう告げた。
砂の粒の侵入を避ける為、再び閉じた筈の両目からは、ぼろぼろと水が溢れる。
乾燥しひび割れた頬を伝っては、染み込む間も無くまた無機質な砂の上に落ちていく。
抱える荷物がひとつ増えただけで、こんなにも弱くなった。
自分の所為で一度全てを失ったこの場所で、これ以上何かを失うのは絶対に御免だ。
あんな想いはもう嫌だ。あんな地獄を見るのは俺一人で十分だ。
だから、歩き続ける。それでも不満を云わないゲイナーの手を取って、歩き続ける。
歩き続けるその先に、砂と闇しか無くても。
■end■
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結んだ手と手のぬくもりだけが とてもたしかに見えたのに
@帰れない二人