18.



今も鮮烈に残っている。
生々しいくらいに灼きついている。
肌に、脳に、その感触が。



全然違和感なんて無かった。
ただその幸福と快楽に溺れていた。
それはもう、前後不覚に間抜けなくらい。

 「……」

だから。

 「……………」

まさかそれが自分の中の一方的な妄想と願望の混ざり合った、口に出すのも恥ずかしくいやらしい夢で、
更にその証拠を突きつけるような下着の中の容赦ない不快感を、ゲイナーは起きてすぐ、にわかに信じる事が出来なかった。

なんというか絶望的だ。

快楽の甘い余韻に浸りながらゆるゆると目が覚めて、
そのままぼやけた視界が見慣れない天井にぶつかり、あれ、と不思議に思った。
あれ、どうして自分の部屋じゃないんだろう。
疑問はぐるぐると頭の中で渦を巻き、ああそれでもきっと隣には彼女が眠っているんだな、
と揺るぎない幸せな自信を持ってそっと横を盗み見る。
瞬間地獄へ突き落とされた。
 「………っ」
驚いたなんてもんじゃない。
声が口から出る前に、掌が枕を踏みつぶし反射的に上体を起こしてしまったその時、今度は自分の身体の変化に意識が逸れた。
内股の間、下着の中の、その独特な温度。感触。

そしてゲイナーはようやく全てを悟ったのだ。

今までだって、経験がまるで無かった訳じゃない。
生まれて初めて「そう」なった時は、余りの不安と恐怖で深刻に悩み、本気でどうにかなりそうだったけれど。
それが、病気でも何でもなく、健康的な男子ならば誰でも経験する事なのだと知った時は本当に安堵したが、
それでもつきまとう僅かな生理的嫌悪は、いつまで経っても消える事は無かった。
なんだかひどく自分が情けなく、矮小な人間に思えてしまうのだ。
がっくりと項垂れる自分の、そんな心境などお構いなしに襲いくる後悔と羞恥の念。
更に上乗せされた、憧れの同級生に対するとてつもない罪悪感に全身を苛まれながら、
それでもこの下着に張りつく生温かい不快感から逃れようと、細心の注意を払ってシーツをめくる。

それにしたって。
ゲイナーはそろそろと音を立てず身体をずらしながら、隣で眠る男の顔を胡散臭げに眺めた。
いつの間に帰って来たんだろう。自分が眠る頃には確かに居なかった筈なのに。
部屋に転がりこんだ挙げ句ここに住み着いて、更にベッドまでシェアしてもらっている立場なのだから、
偉そうな事なんて云えないけれど、よりにもよってこんな状況下にある時に帰ってこなくたっていいと思う。
いつもは面倒臭がって仮眠室で寝ているくせに。
 「…ほんと、なんてタイミングで帰ってくるんだよ…」
男から背中を向けた途端、思わず本音が声となって漏れてしまったが、
それ以上に、今現在自分が陥っている緊急事態の方に頭の容量が占められているので、
自然振り返った後の背後に注意など向けない。あと少しで足の指が床に届く、という時だった。

気配無く肩に沈む重み。

その慣れた仕草に、嫌な予感は眉が寄り口角が下がる、というストレートな表情となって顔に出てしまう。
無視してしまおうと思ったが、少年のその思考はあっさりと看破されてしまったらしい。
 「……今、何時だ」
くぐもった声。ベッドの上、横たわったまま腕を伸ばし、
引き留めるように乗せられたゲインの大きな掌に、少しだけ力がこもる。
これは、この男の癖のようなものだった。自分よりも先に、ベッドから相手が離れるのを嫌うのだ。
 「多分6時前、くらいだと思いますけど…」
薄暗い中、時計の針を苦労して読み取りながらゲイナーがそう答えると、ゲインは眠たげな声でふうんと呟いた。
自分から訊いてきたくせに、なんて気のない返事だ。やはり相手にせず無視すれば良かった、と密かに後悔する。
しかしそれでも肩に置いた手は離れない。というよりゲイナーの身体を自分の方へ引き寄せにかかっている、といった方が正しかった。
 「ちょっ、と…」
 「もう少し寝てろ」
言葉の真意を敏感に察知したゲイナーが、後方へ引っ張られる力から咄嗟に逃げようとするが、
引き寄せる手はじわじわと確実に意志と力を帯び、抵抗を嘲笑うようにTシャツの中へ潜り込んだ。
 「…っ、その手癖の悪さ、どうにかして下さい、よ!」
云いながら、それでもマイペースにシャツの中で素肌を撫でてくる悪戯な手の甲を思い切り抓ってやると、
シーツの中から忍び笑いが聴こえてくる。本当に腹立たしい。
 「こっちはそれどころじゃないんです!だから、離し…」
いきなり、抓っていた筈だったシャツの中の大きな手に、手首を掴まれた。
焦って振り解こうとするが、その動きを逆に利用され、
ゲイナーは再びベッドに沈み、反対にゲインがゆっくりと、覆い被さるように上体を起こす。
 「おはよう、ゲイナー君」
今からしようとしている事が分かっているだけに、それは物凄く白々しい朝の挨拶だった。
 「…おはようございます。起きたんなら離して下さい」
しかしゲイナーも簡単には諦めない。あの不快感は続いているのだ。ずっと。
一刻も早く洗い流して罪を消したい。何よりもこの男に自分のこんな醜態を絶対知られる訳にはいかない。
知られたら何を云われるか分かったものではないからだ。こうしていても、焦る気持ちで内心気が気ではない。

早くここから逃げないと。
そう、切実に思っているのに。

 「それどころじゃないって、どういう意味だい?」
にやりと、面白そうに笑いながら話を混ぜっ返してくる。
 「あ、あんたには関係ない事です!…って、何…、っ!」
 「ここまできて今更隠し立ては無用だと思うがなぁ」
勝手な事をのたまいながら、必死で逃れようと抵抗するゲイナーの腕を巧みに受け流しつつ、着衣に手を掛ける。
 「ち…っ、ちょっと!うそ!…本当に駄目なんですって…!」
そんな制止の言葉なんて、目の前の男が聞き入れてくれる訳が無い事は十分に分かっている。
今までだって、聞いてくれた試しなどほとんど無いのだ。それでも口に出さずにいられなかった。
ゲイナーの、いつも以上に切羽詰まった本気の抵抗をものともせず、
ゲインがハーフパンツをずるりと膝の辺りまで脱がし、下着の中へ浅黒い手をやすやすと進入させていく。
瞬間、組み敷いていた細い身体がギクリと強張った。
 「ぅわ…ッ」
 「……ん?」
半分程しか眠りから覚醒していなかったゲインも、ここまできてようやくそれに気がついたらしい。
ゆるりと微かに眉を持ち上げた後、男は最高に面白いものを見つけたとばかりに、にやにやと笑う。
 「へえ、朝から元気じゃないか、青少年」
最悪だ。
最悪の結末だ。
余りの羞恥に、赤面を通り越して気が遠くなる。なんでこんな事に。
 「さてはいい夢でも見たかな?」
 「ほっといて下さい!!もう、本当…なんでこんな…」
だからこの男に知られるのが嫌だったんだ。
そもそもなんで今、自分はこんな絶体絶命の事態に陥ってしまっているんだ。
赤くなったり青くなったりした挙げ句、みるみると落ち込んでいくゲイナーの反応にひとしきり笑っていたゲインだが、
そこに触れる手の動きだけはひどく優しかった。ゆる、と下着にこびりついていた体液を指で搦め取りながら、
萎えたそれを大きな掌であっさりと包み込んでしまう。そのまま僅かに緩急をつけて、擦り上げながら。
途端びく、とゲイナーの身体が無意識に反応し、緩い快感に思わず唇を噛んだ。
絶望感に打ちひしがれている場合ではない。このままでは事態はますます悪くなる一方だ。
 「……っ、く…」
 「別に恥ずかしがるような事じゃないだろ。むしろ健康的だぞ」
若さ故で青くさくて大変微笑ましい事だ、とゲインなどは思う。
 「な、何云ってんですか…!あ、朝からこ、こんなの、は、絶対…、不健康…!…っ、…」
首筋にざらりと舌が這わされ、言葉が途切れた。
包んでいた掌がゆっくりと離れ、くちゅ、と爪先を使って先端の窪みをひっかくように触れては、指の腹で撫でたりする。
突然攻め方を変えた愛撫に、微かに反応し始めていたそれはひくりと震え、先走りの液が新たに浮かび上がる。
 「…ふっ、…ぁ…」
 「不健康なそれでこんなに感じてどうするんだ」
自分の首を締める言動をするなよ、と呆れるように云いながら、ゲインは従順に反応を示す少年の勃立したものから、
絡めていた指をわざと離すと、無情にもそんな状態で放り出したまま下着の中から出ていった。
 「……っ、」
どうしようもなく上がってしまう浅い呼吸を懸命に抑えつつ、
ゲイナーはそんな男の意地の悪い動きを、ただ黙って睨みつける事しか出来ない。
本当なら、彼の手が離れた今この隙をついて、ベッドから離れる事だって出来るのに。
身体が、全く動かなかった。指一本。まるで全ての器官が麻痺してしまったかのように。
 「…っ、ん…」
抵抗する術を見失い、動く事も放棄した身体。
それを完全な降伏と取ったゲインの唇が、笑みの形を作ったままで、ゲイナーに重なる。
深く、奥まで。舌で口内を犯され、互いの唾液が混ざるまできつく吸われて、たまらずにシーツを掴む。
何でもいいから縋るものが欲しかった。
 「…、ん……んん…っ」
不意に、今まで放置されていたゲイナーのものを、キスを交わしたままでゲインが下着越しに触れてくる。
上から揉みしだくように愛撫され、その度に耳を汚す、布と体液が自身と擦れるいやらしい音と感触に、びくびくと身体が震えてしまうのを止められない。
拒絶の言葉や悪態は荒々しい口づけの前で全て無に帰し、熱い吐息と共に唇の端から漏れるのは、自分の意志に全く反する濡れた水音と弱い喘ぎだけだった。
 「…っ、ぁ…も……」
鮮烈に覚えていた筈の快感が、全てゲインによって塗り替えられてしまう。
あれはとても幸福な気持ち良さで、こんな本能の赴くままの、だらしのないものじゃなかった。
それなのに、夢の中のそれが途端に色あせていく恐怖に耐えられず、目を瞑る事しか出来なかった。
一際大きな快楽の波が全身を襲った瞬間、頭の芯が淡く痺れていくのを感じながら、舌を搦めたまま果てる。

 「……ふ、…」
ぴちゃり、と唇が離れ、ゲインと目が合った。
すごくいたたまれなくて、悔しくて、それなのにいつの間にか、
シーツを握り締めていた筈の手が男の首に廻っている事に、弾む呼吸を整えながらぼんやりと気づく。
 「…今、何時だ?」
吐息だけの声。いつの間にか近くなった、互いの視線。
蒼碧の瞳の奥、うっすらと濡れた情欲の色をゲインはもう隠さない。
 「…6時半、くらい」
質問に答えるよりも早く、二度の射精でべっとりと濡れた下着を片手で器用に脱がされる。
途端、今までなりを潜めていた羞恥心がいきなり復活して、ゲイナーは思わずしがみついていた首から両腕を外した。
しかしもう遅い、とでも云うようにゲインがそれを制しながらもう片方の手でズボンのホックを外すと、前を寛げ自身を取り出す。
その気配を感じ取ったゲイナーの、薄茶色の瞳に思わず焦りと恐怖の色が滲んだ。
 「ちょ…っ」
 「大丈夫」
 「なにが…!」
制止の言葉同様、今まで大丈夫だと云われて大丈夫だった事なんて、一度も無いのだ。
朝から最後まで流されようとしている危機を、遅まきながらにもようやく自覚して、男の胸の中で乱暴に腕を突っ張る。
しかし突然、下着を脱がされ無防備に晒されていた自身に熱いものが触れると、ゲイナーの動きが停止してしまった。
ヌル、と精を放った直後の濡れたそれに、かたく熱いものがぐり、と無遠慮に押しつけられる。
 「…っあ、…や…やだ」
 「“痛いのは”嫌、なんだろ」
余りに直接的で露骨な欲望を肌で感じさせられ、怖くなって引きかけた身体は、足首を掴まれ無理矢理戻された。
汗で湿ったゲインの大きな掌が、触れ合っている二つのものを握り込む。更に密着し、脈打つ熱さが皮膚越しに伝わる。
 「…いや…だ…っ…や、ゲイン…っ」
 「気持ちいい事は好きなくせにな」
微かに刺を含んだ言葉を耳朶に落としながら、ゲインは手の動きを少しだけ速める。
先端から伝う互いの先走りのせいで、擦れる音に粘着性が加わり、それは耳を覆いたくなるような卑猥なものに変わっていった。
突っ張っていた筈なのにみるみる力が抜け、ずるりとシーツの上に落ちかけた情けない両腕を、ゲインが自分の広い肩口へと拾い上げる。
室内を包んでいたひんやりとした朝の匂いが、互いの汗と吐息の所為で熱っぽく怠惰なものへと変わっていく。
ゲイナーは、自分の中の様々な感覚がゲインによって一つ残らず麻痺させられてしまうような錯覚を感じながら、
再び我に返っては、また引き摺られてずるずると快楽の底に落ちていってしまう恐怖に怯えた。その繰り返しだった。

理性も概念も羞恥心も自尊心も全て、全て蒸発する。

それは余りにも甘美で、しかし自分にとってはゲインに対する敗北でしかないのに。

 「………ッ、」

ほつれる緑。
達く時片目を瞑る癖。そんな知らなくていい事まで教えられ、意識下に刷り込まれた。
自分にも、そういった癖があるのだろうか。そして彼はいくつそれを知っているのだろう。
ここに居ると、全てを晒け出してしまうような気がした。自分の中の醜いもの、汚いもの。
望む望まないを関わらず、互いを知ってしまう。そんな場所だと。
瞬間、ゲイナーは、背筋を駆け抜けていく強烈な甘い感覚に、きつく目を瞑った。

これ以上、何も知らなくて済むように。
都合のいい夢の中に逃げ込むように。



窓から差し込む淡く柔らかな白い光。
それを避けるようにして掛け布を頭から被っていたゲインが、
慌ただしく登校の準備を済ませ傍を横切った少年の気配を感じ取って、もぞりと片手を出して彼を呼び止める。
あれから後、自分の誘惑を必死ではねのけたゲイナーは、逃げるように浴室へと向かい、制服に着替えて戻ってきた。
 「ゲイナー」
 「…なんですか」
詰襟のホックを留め終わり、その場に立ち止まったゲイナーの訝しむような視線が、男の掌に降り注ぐ。
 「夢の中と、どっちが良かった?」
最後まで云い終わらない内に、バタン!!と乱暴に扉が閉まる音が、布越しの耳へとぶつけられる。どうやらそれが返事らしい。
遠くでばたばたと響く足音を聴きながら、しっかり勉学に励めよーとベッドの中から送り出す。
しかし流石に自分にだけは云われたくないか、とゲインは改めて思い直し、今更ながらにひっそりと笑った。



■end■

リクエストは夢精だったのですが、
その後の互いのもの云々は完全に自分の趣味です。