やっぱり無理だ。
熱めのシャワーを頭から被りながら、
目の前の濡れたタイル壁に手をつき、ゲイナーはうなだれたまま唇をきつく噛みしめた。
頭痛がする。目眩もしてきた。背中を駆け上がるぞくぞくとした悪寒さえも。
ぼんやりとした淡い照明の下で、もうどれくらいの間こうしていたのだろう。
目が覚めて、ベッドから抜け出して、自分の身体がおかしな事に気がついて。
かろうじて何とか浴室までたどり着いたものの、
そこから先の段階に、どうしても踏み出す事が出来なかった。
身体に付着した体液は流せば落ちる。
それを実証するように、ボディーソープをたっぷり使ってその痕跡を丹念に、洗い流した。
けれど。
泡だらけのスポンジが、右手から力無くぽたりと落ちる。
けれど、中に付着した体液は?
瞬間、ぞわりとしたものがゲイナーの背筋を音も無くすり抜けていった。
それは、言葉にするにはひどく困難な、怒りや恐ろしさや情けなさや恥ずかしさが複雑に絡まり混じり合った感情で。
あの男がやっている方法なんて知らなかった。
いつも、目が覚めると全てが終わっていて。
瞬間夢だったのかと思う程、その形跡は見事に何も残っていなくて。
だから。
どうすればいいのか、分からなかった。
濡れた床に落下したスポンジが、上から降り注ぐ温水を吸っていく。
柔らかな白い泡がみるみると消えていく様子を眺めたまま、ぎゅ、と拳を強く握る。
元はといえばあの男が悪い。
爪先が色を無くすくらいきつく、きつく握る。
あの男が中でだ…
「うわー!」
自分の脳が驚く程無責任にはじき出したその言葉に耐えきれず、
思わず口をついて出たゲイナーの素っ頓狂な声が、わんわんと浴室に響いた。
嫌だ。もう嫌だ。気持ち悪いし早くどうにかしたい。
呼吸を整える。落ち着け、平常心だ。むしろ無心だ。こんなこと、大した事では無いではないか。
半ば脅迫観念的な勢いで自分に向けそう云い聞かせながら、強張った拳をぎくしゃくと解き、そっと指を伸ばした、その時。
「何やってんだお前」
「うわー!!!」
再び素っ頓狂な叫び声が、湿った浴室内に抜けるように響き渡る。
背後を振り返れば、片手で軽く耳を押さえ、眉を寄せた裸のゲインが気配も無く立っていた。
「ああああんたこそ!なっなんで!なっな…」
驚き過ぎて言葉にもならない。男の方に向けて遠慮無く指を差しながら、無意識にじりじりと後ずさるゲイナー。
しかしすぐに彼の背中は鏡のついた正面のタイル壁に行き詰まってしまったが、それすら気づかない程に混乱している。
「俺も身体を流しに来ただけだ。気にするな」
云いながらゲインは、ゲイナーのすぐ横に掛けてあったシャワーのヘッドを掴んで自分の方へ引き寄せる。
温水が流れっぱなしになっているそれから出る白い湯気が、一瞬男の均整のとれた褐色の身体を覆った。
「気にしますよ!順番守って下さいよ!」
「お前がいつまで経っても出てこないからだろうが」
ボディーソープを手に取りさっさと泡立てながら、
手際よく身体を流していく男の手からシャワーを取り返そうと近づくゲイナーの動きが、止まる。
「それは…っ」
それは、あんたが悪いんでしょう。
そう云いかけた言葉を、思わずこくんと飲み込んだ。
唐突に途切れた口喧嘩の応酬に、ゲインも少しだけ不審に思ったのか、
軽く眉を上げると、訝しむようにまじまじとゲイナーの濡れたつむじを見下ろす。
「なんだ。急に黙って」
「…何でも無いです。洗い終わったんなら、早く出てって下さい」
先程の、ベッドの上での余韻もへったくれも無いこの少年の無愛想な態度。
思わずゲインが片頬だけでひっそりと笑う。この豹変ぶり。これだからこいつは面白い。
男が乱入した事でより狭くなった浴室で、出口を塞がれ、彼の正面に立つしかない状態のゲイナーは、
それでも頑として視線を合わそうとはせず、ただひたすら黙ったままでシャワーを返せと無言で腕を伸ばす。
そんな彼に対し、身体から大方の泡を洗い落としたゲインは素直にそれを差し出すそぶりを見せるが、
瞬間、ふ、と緊張を緩めたゲイナーの隙を突いてその肩口を掴むと、身体を捻って無理矢理正面の壁へ押しつけた。
「わ!ちょ…っ」
「残念だが、終わるのはもう少し先だ」
「…っ、え?!」
後ろ向きのまま肩胛骨の辺りを押さえられ、湯気が張りつき曇った鏡に掌を付きながら、
ゲイナーの頭は突如自分の身に降りかかったこの展開に、全くついていけていなかった。
一体何が起こっているのか。
何故今、こんな事になっているのか。
しかし、男が自分に対し呟いた言葉の意味を頭の中で読み解く暇も無く、身体で理解させられた。
突然ぐ、と両脚の間にゲインの脚が無遠慮に割り込む。
驚いて後ろを振り返ろうとした瞬間、割られた脚の間でヌル、と何かが動いた。
ひっ、と口を突いて出た自分の間抜けな声が、耳に響く。指の腹。直感で分かる。ゲインの指がそこを拡げている。
「ゲ…イ、ン!…なに、っ…す…」
「まだ出してないんだろ」
第二関節より少し奥まで入ったところでぐり、と中で円を描くように動かされた。
途端ゲイナーの背中が引き攣れるようにビクリと反応する。
「い…っ、いや…だ…じぶ、自分でしま…」
「自分で?」
中を抉っていた指が、時間を掛けながらゆっくりと引き抜かれる。
じわりと内股に生温いものが伝う感触。膝ががくがく鳴る。指の先から力が抜ける。
出来るのか?と、云われた気がした。
「…う…っ、く」
「大人しくしてりゃすぐ終わる」
「こ……なの……」
指は二本に増やされ、ぐちゅ、とくぐもった音を立てながら容赦無くそこを侵しては、ぞろりと出ていく動きを繰り返した。
丹念に内部を緩く掻き廻される度、それまで中にあったゲインの放ったものが、とろとろと流れ内股を伝い落ちていく。
たまらない。
余りの羞恥と屈辱に、ゲイナーは頭がどうにかなりそうだった。
意識を放り出した後、こんな事をされていたのか、自分は、いつも。
掻き出されるという味わった事の無い恐怖にがちがちに強張っている身体は、
背後でゲインが動く僅かな気配も敏感に感じ取っては、その度大袈裟に、ひく、と震えてしまう。
これは後始末だ。全てが終わった後の、単なる、だから、なのに。
奥を弄る指の動きに引きずられるように、どうしても先刻までの記憶が生々しく蘇ってくる。
意識を散らしても、どうしても。
右肩に微かな重み。ゲインが顎をそこに乗せたらしい。
より近くなった彼の存在に目を瞑り、無視する事で拒絶した。
「ゲイナー」
すぐ耳許で、名を呼ばれる。まるでその拒絶を詰るように。
低く艶のある、それでいて絶妙に掠れた声は、何度も聴いた。薄暗く蒸し暑いベッドの中で。
何も考えるな、頭で機械的に何度も繰り返す。祈るように、早くこの時が終わるのを待つ。
けれどゆるりと、筋張った硬い指が内部をより深く、探るようにその向きを変えた瞬間、
「………っ、んぅ…」
懸命に噛みしめていた歯列の隙間から漏れた吐息の甘さに、自分でもぞっとした。
ゲインが、息遣いだけでそっと笑う気配。余りの恥ずかしさに、視界がぐらぐらする。
「も、もういいでしょ…!もう離して下さ…」
「離していいのかな?」
はっきりと揶揄の色が濃い声に嫌な予感がするより早く、
小刻みに震える薄い肩を押さえていたゲインの手が、するっと前に移動する。
「!」
ゲイナーが必死にもがいてそれを阻止しようと腕を伸ばしたが、ゲインの指は、
今まで与えられた断続的な緩い刺激に反応して、勃ち上がりかけていた少年の中心をあっさりと捉えた。
「もうしっかり感じてるようだが」
「ちっ、違う!感じてないです!これは何かの間違いでそれで…!」
自分でも、思い切り盛大に支離滅裂な事を喋ってしまっている、と思う。
けれどそれ以上に、今この状況を必死でどうにかしてやり過ごそうとする気持ちの方が強かった。
何かの間違いなのか。と復唱しながら、ゲインが耐えきれないといった風に耳許でくくっと低く笑った。何だかもう泣きたくなった。
「だから!もう出てって下さいよ!」
「間違いでも辛いだろ?こんな状態じゃ」
さっきから全然会話が成り立たない。
怒りと恥ずかしさで耳まで火照るのを感じながら、憤然とゲインの絡みついた指を解こうとするが、
タイミングを謀ったのか、中に埋めてあった指が、その存在を主張するように突然くちゅりと粘膜の奥の方を擦り上げた。
「…っい…!」
弱い箇所に直接強烈な刺激を受けた所為で、両膝が不意に崩れそうになる。
しかしその身体をゲインが後ろからしっかりと支え、再びゲイナーの体勢を立て直させた。
「それに」
シャワーから出る温水はいつの間にか止められ、浴室には互いの吐き出す息と濡れた水音だけが途切れずに響いている。
勿体ぶるように指を引き抜かれた直後、ひた、とその露骨な感触にびくりと震えた。そこにゲインのものがあたっているのだ。
「俺も辛い」
余裕があるのか無いのか良く分からない吐息だけの声で、耳許近くそう告げられ、ぬるついた先端を擦りつけるように動かされて、
もう自分には逃げ場が無く、また逃がしてくれる気も無いのだと、ゲイナーは浅い呼吸を繰り返しながら、のぼせかけた頭で思った。
「ひ…人の事、云えな……ッ…!ん、…っ」
相手に投げつけようとした精一杯の文句は、腰を掴まれ、ズ、とそのまま鈍く貫かれて、呆気無く途切れてしまう。
立ったまま後ろからという無理な体勢とはいえ、それまでの行為と、その後何度も指で掻き廻され解された所為か、
拒絶反応を起こしたのは最初だけで、敏感になっていた内部は少し強引なゲインの挿入も、じわじわと受けとめていく。
「…い…っ、ぁ…もう、嫌だ、…ってい……ッ」
「信憑性が無いな」
耳朶に噛みつくような口づけと共にそんな言葉を落とされ、ぐち、と奥を探るように動かされて、
息が苦しくなる程の熱さと、目も眩むような圧迫感に身体の芯がじんと痺れた。
「…ふ…っぁ、……あ」
ゲインは、突っ張るような形で目の前の壁面に縋りついていた少年の手をそこから片方だけ引き離すと、
これまでの愛撫によって既に痛いくらい張り詰め、昂ぶっているゲイナー自身を指で触らせる。
「ほら」
「…っ、…」
「こんなに感じてるのも、何かの間違いなのか?」
「あ、や……ちが…っ…」
「何が違うんだよ」
意地悪く囁きながら、射精を焦がれるように先走りの液を伝わせ脈打つそれを、
ゲイナーの手で直に握らせると、その上からゲインが掌ごと包み込んで、ゆっくりと扱き始めた。
自分で慰めるような格好で、けれど快感は段違いで、もう訳が分からなくなる。
あれだけしたのにまたこんな所でこんな事をしてしまっているなんて。本末転倒も甚だしい。
そう思っているのに、ゲインが動く度もたらされる刺激に、底の見えない快楽にあらがえない自分の弱さが、たまらなく惨めだった。
「っは…、ゲイ…ン、も、…出………る」
限界まで追いやられ、輪郭が徐々に薄れていく視界と意識を必死で縫い止めながら、
自分の口が勝手にそんな事を口走ったのを、濡れた浴室の反響で実感も無いまま聴いた。
ゲインの大きな浅黒い手が重なったまま、彼の動きを忠実になぞる自分の手によって達かされ、
全身からずるずると力が抜け落ちていくが、腰を掴まれ更に一際奥を突かれて、まだ終わっていない事を知らされた。
「…や…っ、も、だめ……っ…」
「駄目?何処が」
射精した直後でいつも以上に敏感になり過ぎている身体に、
更に追い打ちを掛けられるよう深く、浅く、何度も内壁を擦り上げられる。
その度に、濡れた声と共に口からついて出るのは、理性も自尊心も放棄した、懇願に近い言葉だった。
もう無理、ごめんなさい、嫌だ、駄目、だから、
ゆるして。
内奥を突き上げられ、そのまま一気に引き抜かれた瞬間、
ぞくぞくっと今までとは比較にならない程の強烈な快感が全身を蹂躙していく。
「……ッ、」
腿の辺りに熱いものが浴びせかけられ、それがゆるゆると膝の裏側まで伝っていく緩慢とした感触に、
ゲイナーは目の前の壁面に縋りつきながら、鏡が曇っていて本当に良かった、と切れ切れになりかけた意識の中呆然と思った。
浅ましい程熱と情欲に浮かされた自分の顔も、それを与えている男がどんな表情で自分を見ているのかも、考えるだけで気が遠くなりそうだ。
「………あ」
瞬間、短く呟く。今すごく、重要な事に気がついたような気がする。
そうだ、元々自分の頭を悩ませていたのは、その事に関してだった筈だ。
限界を告げるようにチカチカと明滅し、徐々に暗く狭まっていく頼りない視界。
湯あたりを起こしかけているのか、朦朧とする頭を懸命に揺り起こしながら、荒い呼吸を抑えつつそれを言葉にしようと口を開く。
「……い、…いまみたいにすれば……こんな、事、しなくて……済……」
けれどそこで意識は本格的に途切れ、ずるっ、と濡れた床に足を滑らせたゲイナーの、
熱を帯び、力の抜けきった身体を背後から抱きかかえながら、ゲインが浴室の扉を開放した。
「ゲームオーバーだ」
「…………、ぅ…」
新鮮な冷たい空気が熱のこもった浴室内に心地よく行き渡り、ゲイナーの頬を緩く撫でていく。
扉を開けてすぐ、脇に積まれていた大きめのバスタオルを一枚手に取り、
抱き上げたずぶぬれの身体にざっとそれを被せると、ゲインは濡れた茶色の髪で隠れてしまっている耳に、
そっと顔を寄せながら、低く呟いた。
「最後まで云えたら、聞いてやるよ。チャンプ」
◆end◆
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大人だからやれんだろ。