01.



熱は、五日を過ぎても下がる気配を見せなかった。



 「名前を呼んだら返事はするのよ…でも、」

疲れきった表情を隠す事も止めてしまったサラが、机の上に両肘を乗せ拳をきつく作って、呟く。
 「私が誰か、とかは分からないみたい。終始朦朧としている感じ」
出されたコーヒーにも口をつけようとしない。放置されたカップからは、白い湯気が絶えず這い出している。
 
バイカル湖を渡りきり、雪に閉ざされた大陸をゆっくりと南下している途中に、それは起こった。

険しく連なった、山のような陸地を幾度も越え、目の前にはヤーパンに続く蒼い海が広がろうとしている。
次第にシベリアの凍りつくような風は湿気のはらんだものとなり、それに倣うように大気を包む温度も変化していった。
もうすぐ夢見た事が本当になる。
あの、豊饒の地へ。
けれどその希望と引き換えのようにして、海から吹きすさぶ風や慣れない土地は人々に新種の病をもたらしていった。
最初、風邪のような軽い症状のそれは時間をかけて身体を衰弱させ、後にさまざまな病を併発させていく。
免疫力の高い者は罹りにくいが、一度発症すると完治するのに数ヶ月は要する。高熱で体力を奪いきっていくからだ。
けして治らない病ではないが、最終的には自分の身体とウィルスの長期戦となる為、治療は困難を極めた。
しかしこれも通常の場合に関してのみ云える事であり、
『エクソダス』というこの特異な状況下ではあてはまらない。勿論、悪い方の意味でだ。
長い長い旅で皆、疲れていた。故に、病に倒れる者も少なくなかった。
厄介な事にこの病はおそろしく感染力が強いのだ。
病に勝てなかった者達が、何時の間にか一人、二人と居なくなる。
海が見えると希望に満ちた表情は、憂いと悲しみに塗り変えられていった。
しかし自分達もただ諾々とこの状況に手をこまねいていた訳ではない。
五賢人達は急遽対策措置を取り、ペルハァ達医師はチームを組んで出来うる限りの治療を施す為、ユニット内を廻った。
ガウリ隊を筆頭に有志で集まった者達も日々必死に看病にあたっているが、この絶望的な現状が変わる事は無かった。
そうして治療に使う薬も底を尽きる頃、一番恐れていた事が起きた。
ゲイナーが倒れたのだ。

 「…薬は」
 「ゲインの方が在庫の数、詳しく知ってるでしょ。…請負人なんだから」
口にした瞬間、サラが痛みに耐えるようにゆっくり瞳を閉じる。
 「…ごめんなさい。そんなの、関係ないわよね」
 「いや」
誰もいないデッキで二人、蔓延る疲れと八方塞がりの毎日で、いつものような会話すら出来なくなっていた。
出口付近で整備済みのキングゲイナーが主を待つように恭しく控えている。それすらももう、寒々しく感じられるなんて。
 「…ガウリ隊長はなんて云ってるの?」
 「『エクソダスに犠牲はつきもの』」
 「それがキングゲイナーの使い手でも?」
 「多少の犠牲はやむを得ない、とさ」
自分で口にした、慣れていた筈のその言葉に急に厭気がして、思わず眉を顰める。
それを消し去るようにコーヒーに口をつけるが、冷めきった液体からは褪せた苦みしか感じられなかった。
 「切り捨て主義は変わらないのね。…犠牲って、なによ」
苦しんでるのはピープルの皆やゲイナー君でしょう?
掠れた声を出すサラの唇が小刻みに震える。最後の部分はほとんど吐息となってしまって聴き取れなかったけれど。
 「余りガウリを責めるなよ。奴も本心から云っている訳じゃない」
手にしていたカップを机にことりと置いて、コートのポケットに両手を突っ込んだ。今日はやけに冷える。
その所為だろうか、ユニットの外に出ても人はまばらだった。もしくは感染を防ぐ為引きこもっている、といった方が正しいか。
 「……ゲインは」
 「ん?」
自分の拳に額をあて、指を組んで祈るように俯いていたサラの顔が、すっと上がる。
 「ゲインはどう思ってるの?」
 「…話しても嫌な顔をされるだけだから、云わないよ」
血も涙も無い冷徹で現実的な話など、夢見る少女が聞くものではない。
汚れた責任を見えない処で負うのが、自分や大人達の役目なのだから。
 「請負人としてじゃなく、一個人としての話よ」
彼女の瞳はこの状況下でも強い光を湛えていて、それは時折翳る事はあってもけしてその意志が消える事はなかった。
その両眸が今、自分に真っ直ぐ向けられている。嘘や誤魔化しなど、この青い瞳の前ではすぐに見破られてしまうだろう。
 「ゲイナー、いなくならないわよね………大丈夫よね」
視界の隅で、彼女の傍に置かれている手をつけられなかったコーヒーカップから、白い湯気が踊った。

 「大丈夫だ」

彼女の青い瞳がきゅう、と細くなる。
サラはきっと、この一言が欲しかったのだろう。
ほとんど寝ずに看病に走り廻って、その度に忍び寄る死の不安や恐怖を。
潰れそうになる自分の想いをしっかりと肯定してくれる誰かが欲しかったのだ。
この辛く厳しい現実を、支えてくれる言葉を云ってくれる誰か。そうしてそれは本来ならばあの少年の筈だった。
出来もしない事でも、はったりをかませば何とかなる。
それは口に出した言葉だって例外では無く、要はそれを現実にしてしまう力があればいいのだ。
出来なかったら出来るまで。ただひたすらに。そしてそんな希望を現実として叶えるのが、請負人である自分の仕事だ。
だから、大丈夫。という希望を、今だけは奴に代わって口にした。
 「あいつがこんな事でくたばるような奴か?」
サラ?と名を呼んでやると、彼女は困ったような、けれど安心した柔らかな顔ですこし泣いた。



 「じゃあ、私そろそろ行くわ。ママドゥ先生やベロー達と合流しないと」
 「無理するなよ」
 「ゲインもね」
椅子に掛けてあった支給されたコートを羽織りながら、
ピンク色の髪をふわりと揺らして、サラがこちらを仰ぎ見る。
 「最近寝てないんじゃない?いい男が台無しよ」
 「…それはまずいな」
思わず顎に手をあてて真顔で答えると、傍らで少女の笑い声が控えめに弾けた。
こんな声を聴くのはもう随分と久しぶりのような気がする。終始張り詰めていた互いの気持ちが一瞬撓むのを感じた。
 「じゃあね」
しっかりとした足取りでデッキを後にするサラの背中。
それを見送りながら、耳の奥で蟠っていた言葉を頭の中で無意識に繰り返す。

 『ゲイナー、いなくならないわよね………大丈夫よね』

踵を返せば脹脛の辺りでコートが重たそうに翻った。
そうならない、
そうさせない為に、自分が居るのだ。



最初は、いい拾い物をした程度の認識しかなかった。

静かに扉を開ける。サラが出入りしているので鍵は掛かっていない。
玄関付近には、アデットのものであろう衣類が盛大に散乱していた。
彼女もアデット隊として現在ユニット各地で医療チームの手伝いをしている。
部屋の様相から察するに、こちらに戻って来るのは必要最低限に留まっているのだろう。

目の端々に浮かんでは消えていく、あの白い吹雪の中。エクソダスが始まった、あの日。
現地調達主義を掲げているとはいえ、まさかオーバーマン乗りまで調達出来るとは嬉しい誤算だった。
直後、身に覚えの無い事で裏切られたと激昂され、一方的にコンビ解消を云い渡されてしまった訳だが。

ギシ、と。一歩進む度に鈍く軋んだ音を立てる床に意識を取られながら。
闇の密度が高い部屋を半ば手探りで歩いていくと、低い段があり、そこから畳敷きのフロアが広がっている。
OFFモードにしてあるのだろう、ぼんやりと青白い光を放つテレビスクリーンのすぐ傍で、ゲイナーが布団にくるまって眠っていた。
場所が場所なので、厄介ではあるがブーツを脱ぎ畳に上がる。独特の質感が足の裏の上を滑っていった。
音を立てずに傍らへ腰を下ろして、少年の様子を伺う。頬から耳にかけてその肌はふわりと朱に染まり、汗がうっすらと滲んでいる。
あれ程体調管理を怠るなと云っていたのに。と、責める気持ちが無い訳では無い。
けれど、体内の熱を持て余し疲れたように眠るその顔は、今まで見たどの表情よりも幼く感じて、怒る気にもなれなかった。
汗でくっついた前髪を指先で解いてやりながら額に手を遣ると、少し遅れて微かな反応が返ってくる。
 「……………ぅ、」
布団の中で苦しそうに何か呟いて、ゲイナーの潤んだ茶色い瞳がうっすらと開かれた。
けれどそこに対象物は映っていない。サラの云う通り、熱の所為で意識がはっきりしていないのだろう。
 「……サ、ラ……」
掠れた声で、見当違いな名前を呼んで。
この自分とあの彼女を間違えたなんて後々知ったら、奴の事だ。相当に憤死ものだと思う。
 「……また、来てくれたんだ…あ…りがとう…」
でももう大丈夫だから。と、全然大丈夫ではない声でたどたどしくそう告げた後、再びすうっと静かになった。
この病で最も死亡率が高いのは、免疫力がどうしても低い老人と子どもだ。
反対に15〜30代の男子が一番生存率が高いという値を示している。
可能性は、十分あるのだ。
 「………前、云った…おぼえてる…かな…」
ゆっくりとゲイナーが話し出す。今度はまた違う夢を見ているのかもしれない。
高熱を出している時の夢はやけに生々しく、そうかと思えば突拍子も無かったりで自分は余り好きではなかった。
 「あの…時、父さんと母さんが…ころされた時……僕は、なにも、犯人を探しもしないで……」
背中にビリ、と緊張が伝う。
この、話は。
 「…なんにもせずに…ただ…ゲームばっかりしてた……って…云ったよね」
ゲイナーは目を閉じたままで、熱に浮かされながら訥々と言葉を放っていく。
彼の両親がエクソダス支持の過激派に殺された事は随分後になってから知った。直接手を下したのがガウリだったという事も。
 「…ほんとは……なにも…しなかったんじゃない………僕は…本当は…」

怖かったんだ。

と、その口は苦しそうに浅い呼吸を繰り返しながら、そう告げた。
 「…怖かったんだ……僕も…父さんや母さんとおなじように殺されるのが…こわかった……」
懺悔のようなその言葉が、終わる気配はまだ無い。
もういいと、止めさせるのが正解なのか、それとも全部吐き出させてしまった方が良いのか。
どちらがベストなのかは分からない。けれど自分は、彼の密やかな告白を聴きたいと思った。
 「だからずっと…部屋に引きこもって…逃げて…だって、僕は…しにたくなかった…」
掠れた吐息で呟いて、苦しそうに眉根を寄せる。

 「……死にたく、ないんだよ……」

ぽたりと、少年の言葉が真っ直ぐ胸に落ちた。

人が死にたくないと藻掻く姿は酷く滑稽で、醜いものだと。ずっと、思っていた。
何回も修羅場をくぐり抜けてくれば必然的にそんな目に何度も遭ったし、その度自分の浅ましさに絶望したからだ。
けれど生への執念を捨てきれない自分は、そんな醜い思いをしっかりと握り締めて這い上がってきた。何時だって。
悪運が強いんじゃない。どれだけ生に対しプライドを捨てられるかで、それは決まるのだと思う。
コートの右ポケットの中で逡巡していた指は、ようやくそれを掴むに至る。そのまま力強く、握り締めた。
ポケットから取り出した一粒のカプセルには、純正の抗生剤が入っている。
薬の在庫はとうに底をついていた。
後は次のドームポリスに着くまで偽薬でごまかすしかないという最悪の状況に突入しているのだ。
偽薬といっても中身の抗生物質の量が半分で、残りは澱粉等を詰めカプセルにして患者に服用させる。
もはや患者自身の力によるプラシーボ効果に頼るしかなかった。
枕の傍に置いてある水の入ったコップを手に、カプセルを口に含む。
右のポケットには抗生剤、そして左ポケットには、安楽死の薬を忍ばせ、ここに来た。

(エクソダスは遊びじゃないんだ。一人の我侭で、百人を死なせる事だってある)

エクソダスが始まった当初、自分の放った言葉が不意に胸をよぎって苦く笑う。
これが我侭でなくて何だというのだろうか。
貴重な薬をくすねて、こんな事をしている自分は。これは。

(足手まといになる者を、手厚く看病してやる余裕も無いのが、)

けれど、

(エクソダスなのですよ)

けれど。

先のエクソダスを決行した時、目を覆いたくなるような惨状の中で。
争いの中で大事な人を失った。家族も友人も恋人も全部、全部なくした。
半ばおかしくなった頭で自分の無力さを呪った。救えなかった命の膨大さに、詫びる事すら出来なかった。
そしてそんな経験は、非情な程の現実主義に自分の中で形を変えた。最初から、全てを救おうと思わない。不要なものは切り捨てる。
それがエクソダスをデザイン、そして生き残る為の最善の策だと。
 「…こんな、事、云ったら…意気地が…ない…って……怒るかな」
弱々しく笑う、その目許、睫毛、泣きそうに震えて歪む唇。汗に濡れた頬を覆う、茶色い髪。
なくしたくなかった。
ゆっくりと、少年に覆い被さる。顔の両端に手をついて、カプセルを口に含んだまま、微かに開いていた唇に触れた。
割り込めば熱の所為か、内部は熱く渇いている。
舌でそっと薬を押し込んで水を口内に流してやると、飲み込みきれなかった透明な液体が、ツウと唇の端から顎へと伝っていった。
これは完全なエゴだ。けれど。

死にたくない。と、彼は云った。
なくしたくない。と、自分は思った。

この薬で良くなる保証なんて無い。しかしそれしか今の自分達には縋るものが無かった。
唇を離せば、薬を嚥下したのかこくり、と蒼白く細い首が上下に動く。未だ生命活動が続いているという、しるし。

 「生きろ」

口からついて出た言葉は紛れもない本心。
うっすらと開かれた薄茶に滲む瞳は、苦しそうに天井を見上げたままで、

 「………ゲイン、さん?」

ゆっくりと、静かに自分の名を呼んだ。
コンビは解消していないんだ。
借りもまだ返してもらっていない。
だから、ゲイナー。



 「生きろよ」



■end■

「一人の我侭で〜」は中村版キングゲイナーから。