足に絡む熱砂と。
外を包む冴えた冷気と。



昼夜の気温差が恐ろしく激しいこの土地に、ようやく慣れてきた頃だった。
奥歯が、上手く、噛み合わない。
冷静に、冷静にと頭の中で繰り返せば繰り返す程、余計に混乱し、訳が分からなくなりそうになる。

どうして。

掌にべったりと張りついた暖かな血液、鼻につく鉄の匂い。

どうして。

思わず叫びたくなる衝動を、必死で堪えた。

二人で組んで初めて成功させたエクソダスだった。
無事目的地に辿り着いたピープル達は、以前から用意していた、この土地で生活する為に必要な準備に取り掛かる。
明日の朝一番に必要な物資をスムーズに調達出来るよう、今夜の内に在庫を確認する手筈となっていた。
夜も更けた頃、時間を見計らい二人でユニットを後にした。乾燥した黒い夜空に映える星々がとても綺麗で思わず見惚れたりして。
比較的小規模なエクソダスだったから、起動させるだけで目立ってしまうオーバーマンも、必要な時以外には滅多に使用せずに。

身体にまとわりつく、硝煙の匂い。
互いに吐き出す息は白く、それは夜の外気にしっとり溶けていく。

油断などしていなかった、と云えば嘘になる。
エクソダス成功を祝う賑やかな祭りが毎晩行われ、僅かなりにも二人共気分は高揚していたのだと思う。
ユニットから少し離れた処に設置された、すぐ近くの倉庫に行くだけに、
常に緊張感や警戒心を張り巡らせるなんて真似は、余程の人物でなければ出来はしない。
けれど、それが出来てこその請負人だと。今更痛い程理解したとしても、もう遅過ぎるのだ。

防弾チョッキにもなっている白いコートは、東の土地へエクソダスを遂げた後、自分が譲り受けたもので。
だけど、
暑いし重いと文句を云いながら、それでも大切に着ていたコートが今、かつての持ち主の鮮血で汚れているのが、信じられなくて。
貴方のせいですよ、なんてここで軽口のひとつでも叩けば、この人は笑ってくれるだろうか。

 「しくじった」

瞳を細めると目許に優しい皺が生まれる。
深刻な状況に立たされているというのに、穏やかな笑顔で、ゲインはまるで事も無げに云う。
 「喋らないで下さい」
事務的に言葉を遮って出来る限りの止血を試みるが、
弾丸が貫通した左脇腹部からはそんな必死の処置を嘲笑うかのようにどくどくと赤黒い液体を垂れ流していく。
早い。
引き千切った布を掴んだまま小刻みに震える指は、ゆっくりと大きな掌に包まれて、動けなくなる。
見下ろせば、ゲインは傍らで横たわったまま、緩やかに首を振っていた。
もういい、と。
凶弾に倒れたのはそっちなのに、息が乱れ身体が震えている情けない自分を、落ち着き払った瞳で労るようじっと見つめて。
 「そんな意地悪云わずに、喋らせてくれ」

馬鹿。
誰のせいでこんな事云っていると。

 「駄目です。喋っ…たら、傷口が、」
 「もういいから」
強く握っていたゲインの手が、ゆるゆると腕を伝って、肩に、そして首筋に移動し、
 「動かないで」
指先が襟足に、優しく触れた。
 「お願いだから…」
 「お願いだから触らせてくれよ」
必死で耐えているのだろう痛みと、不規則な呼吸は、僅かに弾んだ浅い息となってゲインの乾いた唇から漏れる。
たまらない言葉と共に。

こんな。
こんな処で。
 「人、人を呼びます、ここで待ってて、…僕はまだ、」
こんな処で貴方を。
同じくらい震える吐息と共に紡ぎ出す言葉は、一旦フツリと途切れてしまったけれど。

 「まだ、貴方を死なせたくない」

今ならまだ間に合う。
人を呼んで、医者を呼んで、そうしたらきっと。
何もかも元通りになるから。
素早く脈を取った後、ポケットを探るが目当ての物は出てこない。
何故、通信機のひとつも携帯しなかったのだろうと、この時程自分を責めた事は無かった。
今むやみに動かす事は危険だ。目を覆いたくなる程の出血が刻、一刻と確実に彼の命を削っている。
早く行かなければ。
慣れぬ砂地に足を取られつつ、それでも立ち上がろうとした身体は、瞬間下から伸ばされた腕に肩を掴まれ抱き止められた。
驚く暇も無くその力強さに引きずられ、かくんとその場に崩れ落ちる。

 「もういいんだ」

まるで張り詰めた糸が切れるように。
ゲインの上にもたれかかる格好で倒れてしまった身体を、立て直す事は出来なくて。
優しい低音でそう窘められ、ひどく胸が熱くなった。
少しだけ逡巡した結果、緩く空を掻いた血濡れた両手は、きつく、きつく傷付いた男を抱き締める。
 「重い、ぞ、ゲイナー」
苦笑するように呟かれても、もうその手を、緩める事は出来ない。
 「それくらい我慢して下さい」
自分の体温を分け与えるように、身体を重ねる。もういいと、彼が云うなら、望むなら。
抱き締めて、離さないという行為でしか、無力な自分はこの想いを伝える事が、出来ないから。
 「…久しぶりだな、こんな風にくっついてくれるの」
 「今日は、特別です」
 「じゃ、ずっとそうしててくれ」
ぽん、と背中に掛かる太い腕。
脈打つ早い鼓動を、コート越しでも感じる。
 「ゲイナー」
左胸に、頬を乗せて。
身体で彼の生を感じ取って。
 「泣くなよ」
 「泣きませんよ」
泣いてわめいたところで、事態が好転するなんて信じる程、自分はそんなに青くない。
それなりの経験は積んだつもりだし、なにより目の前の男がそう教えてくれた。現実的な事、その全てを。
わざとそっけなく返してやると、く、と胸が大きく隆起する。
 「…そうか。それでいい」
満足そうにそう呟いたゲインは、その後少しだけ苦しそうに眉を顰め、深く息を吸い込んで。
 「…すまないな」

ゲイナー、

静かに名を呼んだ。
応えるように顔を上げると、頬に震える指先が触れた。失血による体温の低下で、それは驚く程冷たい。
 「何、謝ってるんですか」
 「何もしてやれなかった」
 「何、云って…」
そろりと頬を伝う指、乾いた掌。
 「挙句、お前を置いていく」
蒼碧色の瞳が朦朧と揺らぐ。喉の奥がグ、と押さえ付けられたように痛くなった。
泣いたら駄目だ。
瞬きすら出来ず、網膜にその顔を、瞳の色を焼き付けるようゲインをじっと見つめる。
 「…、僕は、まだ貴方に借りを返してない」
 「十分…返して、…もらったさ」

エクソダスが終っても、俺について来てくれたじゃないか。

途切れがちになりながら、それでも懸命に投げかけてくれた彼の言葉に、弱々しく首を振って、俯いたままで、違うと否定した。
 「貴方が良くても僕が嫌なんです」
 「…ゲイナー」
 「ここにいて、くれないと…嫌なんです」
最後の言葉は吐息となって頼りなく夜の空気を震わせる。

エゴだって分かってる。
子どもみたいなワガママだって。でも。
まだ、隣にいて。
笑って、怒って、名前を呼んで欲しくて。
もっと色々な事を、これまで渡り歩き、見てきた世界の事を教えて欲しくて。それなのに。

 「だから、」

艶気の無い髪の毛に触れる。そのまま頬に、通った鼻筋を伝って、瞼に。閉じられ動かない瞼をそっと撫でて。

 「だからもう一度、」

目を開けて。
名前を呼んで下さい。

呟いて、空を仰いだ。
そうしないと泣きそうだったから。
この唐突に突き付けられた信じられない別離に、精神が耐えられそうに無かったから。
夜の砂漠は、そんな自分に対し、無情過ぎる程に冷たく、細やかな砂塵を吹き散らかしていく。

風が強い。
喉が痛い。
もう一度。
声が聴きたい。

 「…イナー」

名前を呼んで。

 「ゲイナー」

呼んで欲しい。



 「起きろ、ゲイナー」
 「!?」



瞬間、
少年の上体が起き上がる。
思い切り息を吸い込み目を開けると、そこには不機嫌そうな男が、
仮眠室の簡易ベッドの柱に背中を預け悠然と腕を組み、こちらを見下ろしていた。
 「交代の時間、とっくに過ぎてるぞ」
 「…ゲイン、さん」
呆けたように名を呼べば、相手は眠たそうになんだ?と返す。

いきてる。

脚に纏わりつくシーツを蹴って立ち上がる。それに倣うようにギシリと鈍い金具の音が細く響く。
伸ばした両腕でそのまま勢い良く目の前の男を抱き締めれば、ゲインの喉許から妙なうめき声が聴こえた。

 「ゲイナー?」
 「生きてたんだ!」
 「はあ?」

タンクトップの薄い生地からでも伝わる体温をしっかりと確認した後、安堵の溜め息と共に身体を離す。
安心すると同時にこれ程まで自分を心配させた男の顔を改めて見た途端、無性に腹が立って、思わず手が出た。

 「…って!」
予告も無くいきなり飛んできた右ストレートが、避けきれなかったゲインの左頬に見事ヒットする。
今の今まで抱きついていた当人が殴りかかってくるなど、いくら腕利きの請負人であろうと予測不可能だろう。
微かに体勢を崩したものの、すぐに立て直して、仮眠室の堅いベッドに膝立ちのゲイナーを何事かと睨みつける。
 「なんなんだお前は!さっきから!」
 「それはこっちの台詞ですよ!馬鹿!」
 「ば…」
自分はただ仮眠を取る為、場所を代わってもらおうと声を掛けただけなのに、
何故突然抱き締められて殴られた挙げ句悪態まで吐かれなければならないのだろう。
ゲインは目の前で怒っている少年が本気で分からなくなった。
 「勝手に殺されたんですよあんた!僕の目の前で!」
どん、と拳で胸を叩かれる。
 「さっさと一人で死んじゃって、ど…っ、どーいうつもりなんですか、馬鹿!」
 「ゲイナー」
 「馬鹿!あんたなんか死ねばいいんだ!」
 「お前なあ」
どん、どん、と何度も突きつけられる拳。
さっぱり意味が分からないので、とりあえず相手の気の済むまで叩かれるままに任せていたが、
埒があかない事を悟り、ひとつ大きな溜め息を吐いた後、ゲインがようやくゲイナーの両腕を取り上げ攻撃を阻止した。
 「云ってる事が滅茶苦茶だぞ」
というか結構非道い事を云われているような気がするのだが。
 「悪い夢でも見たのか?」
ぽんぽん、と軽く頭を撫でてやると、やっと落ち着きを取り戻したのか、
ゲイナーはゆっくりと数回瞬きを繰り返し、ずるずると力無くベッドの上に座り込んだ。
 「夢…」
 「何か良く分からんが俺は死んだのか」
こくり、と頷く。
 「お前を置いて?」
再びこくり、と。

尋ねる度に大人しくなっていく少年を苦笑しながら見下ろす。
ふう、と息を吐き、ゲインはそのまま静かに彼の隣へと腰を降ろした。
 「…狭いです」
 「お前が何時までもぐうすか寝てるからだろ」
露骨に嫌な顔をされたが、からかうように云ってやると、
ふてくされた表情を浮かべたまま、ゲイナーはそれ以上何も云わず再び床に視線を落とす。

足許に響く、重く鈍いエンジン音。エクソダスが、続いているという音。

 「…あんたのせいで寝覚めも最悪ですよ、もう」
今だ鬱々としている少年を横目に、ゲインはそこまで彼を取り乱させたその夢の内容を訊いてみたいと思ったが、止める事にした。
例え訊いたとしてもこの少年が素直に話してくれるとは到底思えないし、益々嫌な顔をさせてしまうのがオチだろう。それに結局、夢は夢だ。

 「ゲイナー君」
 「なんですか」
 「俺が死んだ時、泣いてくれたかい?」

ただこれだけ。

 「泣きませんよ」

この答えだけを聞ければ、満足だ。ゲインは笑う。

 「それでいい」

その、余りの既視感に、思わず男を凝視してしまった。
あれは夢で。
現実とはまるで違っていた。お互いの関係も。旅をする世界も。
それなのに。

 「という訳で、そろそろ横になってもいいか?」
その眠たそうな声で我に返れば、とん、と右肩にゲインの左肩が緩くあたる。
我に返るように顔を上げると、
 「大丈夫、お前を置いて死んだりしないさ」
 「な…、!」
くしゃくしゃと髪の毛を軽く掻き回され、思わず身体を捻ってその大きな掌から逃れれば、
にやりと笑うゲインの、人を食ったような視線にぶつかり、ゲイナーはひとつの疑惑にたどり着いた。

もしかして、自分はこの請負人にとんでもなく面白いネタを提供してしまったのではないだろうか。

すぐさま訂正しようとしたが、隣に座っていた相手は何時の間にかコートを脱いで、さっさと簡易ベッドの中に潜り込もうとしている。
 「ゲインさん!」
 「だから死なないって」
 「やっぱり…!面白がってるでしょ!」
盛り上がったシーツを思い切り叩くと、返事の代わりに中からくぐもった低い笑い声が聴こえた。

最悪だ。
夢見も寝起きも今日は本当に、最悪だ。

だから。

目が覚めて、顔を見て、夢で良かったと本気で思ったなんて、






死んだって云ってやらない。

 

 

◆end◆

 

死にネタ夢オチ、とんでもないお話。
夢の中の2人は今から5年後、くらいですかね。