酒は呑む。
どちらかといえば好んで嗜む方だ。
最近は請負人としての仕事が忙しいせいで、随分ご無沙汰ではあるが。
そう、酒に酔うのも酔わせるのも、大好きなのだ。
…と、そこまで酒に対し想いを馳せた後、ゲインは一旦思考を中断した。
久方ぶりにバッハクロンから自室に戻った彼は、ソファに疲れた身体を放り出し、
だらしなく寝そべった格好で書類に目を通しながら、束の間の休息を取っていた。筈だった。
つい五分程前までは。
突然。
ドカン、と玄関で音がした。
「ゲイン!ゲイン・ビジョーお!」
ガチャガッシャン、と乱暴にノブを回す音と同時に響き渡る、玄関に置いてあった装飾品が被害を受けたらしき破壊音。
「いるんでしょお!いるなら返事しろ〜!」
ドン、ガタンッ、
声がする度何かにぶつかる音が被る。
確実に嫌な予感がするのでしばらく無言で様子を窺ってきたのだが、
ヤーパン流に云う「そろそろ年貢の納め時」のような気がしないでもない。
書類をテーブルに放り投げ、のそりと上体を起こし、大きく伸びをしながらソファから降りる。
「ゲーイーンーっ」
「俺ならここに居るぞー、…って」
言葉が途切れた。
そして冒頭の思考に没頭した訳だ。
そう。
酔うのも酔わせるのも大好きなのだが。
「いるならちゃんと返事って僕いったじゃないれすか!」
玄関へ続く、薄い色硝子がはめ込まれた扉を開けると、そこに立っていたのは、
見慣れた少年ゲイナー・サンガ。プラス一升瓶付き。であった。しかも見るからに相当酔っている。
こいつは確か…
「お前、自分の部屋で寝るとか云ってただろーが…なんで戻ってきて…」
云い終わらぬ内に、呑み慣れない酒で上気した頬を持て余したゲイナーが、「そうなんれす!」と一際大きな声で云い放った。
「そう、それがアデットせんせえがなんか僕の部屋でお酒呑んでて、
なんかこれはヤーパンの酒だからお前も呑めとかゆってむりやり呑まされてそれで、えっと…」
愉快な程言語が壊滅している。
ふにゃふにゃと舌足らずに喋る口ぶりが笑いのツボに入ってしまい、ゲインは思わず自分の口許を押さえた。
「えっと、そう!呑んでたらなんかゲインさん、ゲインさんの話になったんれす」
「れす」ってお前…
「ぶッ…いや、うん、そうか、俺の話をツマミに姐さんと酒を呑んでたんだなゲイナーは」
元シベ鉄警備隊員とはいえ、現教師が未成年の教え子と酒を呑み交わす…何というか素敵な事だ。
「そう、そう、ゲインさんはほんとどうしようもない人だしすけべだし女たらしだしもう最低なんですって話してたらなんかだんだん腹が立ってきて」
酒のツマミにしても酷い云われようである。
「で、これは直接いわなきゃ収まらないって思ってゲインさんに僕は文句をいいにきたんです!」
頼りない口調でそこまで一気に喋り終えた後、くい、と顔を上げたゲイナーはゲインをにらみつけた。
腕には、おそらくアデットが押し付けたのだろう一升瓶を大事そうに抱えて。
「へえ…それは夜分遅くに御苦労様だな」
またとんでもない来客が舞い込んできたもんだ。
まあ面白いから、個人的には大歓迎なのだが。
そんな事を思っている内に、酔っぱらいは危なっかしい足取りでキッチンに向かっていく。
「…って何処行くんだゲイナー?」
咄嗟に気付いてふらつく肩を抱いて止めると、僅かに目が据わってしまっている少年は、ゲインを振り仰いだ。
「コップ。ふたつ。ゲインさんも呑むんれす。男同士のんで、ひざつきあわせて、本音をかたるんです!」
後半部分は明らかにアデットの入れ知恵だな…。
少しだけ脱力感が襲ったが、まあ確かに呑んで本音を語り合うのも悪くはないか。
などとこの展開にさっさと順応して、ゲインは今や歩くクラッシャーとなったゲイナーをその場に座らせ、
ちょっと待ってろ。と二人分のグラスを用意しにキッチンへ立ったのだった。
「ゲインさんは、なんでいつもそうなんれすか!」
呑み始め開口一番。
ゲインと対面するように置かれたソファへ、崩れるように座ったゲイナーは、
手渡されたグラスに透明の液体を注ぐとさっさとそれを呑み干し、説教をスタートさせた。
御相伴に預かるべく、ヤーパンの酒を自分のグラスに注ぎながら、ゲインは少年の云い分に耳を傾ける。
(しかしこの酒…どういう入手ルートだ…?流石元シベ鉄、と云うべきか)
「いつも?俺なんか悪い事したかな」
「してますよ!悪いことば〜っかり」
何時になく強気な少年は、憤然とゲインの言葉に噛みついていく。
ゲイナーは呑むと怒り上戸になるのか。いや、説教上戸か?
個人的にはもっと陽気に人なつこくなったりして欲しかったかなァ、と彼に知れれば殴られるような事を思った。
「例えば?」
先を促してやると、ゲイナーはグラスを両掌で包み込みながら、伏し目がちにえーと、と記憶を探っているようだった。
どうやら廻ったアルコールのせいで頭が上手く働かないらしい。
「ゲインさん、いっつも女のひとにだらしないじゃないれすか!
リ、リュボフさんのときもそうだし、いつもいつも女のひとに声掛けて!はしたないと思います!」
云いながら、てしてし、とグラスから離した掌でソファの表面を叩く。きっと彼はとにかく怒っているのだろう。
…が、高校生にもなってこのアクションは可愛くも可笑しい。
「はしたない、」
苦笑と共にゲインが復唱した。こんな言葉、面と向かって云われるのは一体何年ぶりになるだろうか。
するりと自分の顎先を指でなぞりながら、こちらをにらんでいる赤い顔のゲイナーを見て笑みを浮かべた。
「俺ぐらいの男となると、放っておいてもご婦人の方から声がかかってきてしまうんだよ。分かるかな?青少年」
「分かりませんよ」
速攻で無下に返される。
「やなんです、そーゆーの」
呟いて、あっという間に空になったグラスへ、新たな液体を注いでいった。
しかしいくらなんでも呑み過ぎではないだろうか。
「コラ、もうその辺にしとけって」
「僕にさしずしないでくらさい」
呂律も回ってないクセに、反抗的な態度は崩さない。何が何でも自分の事が気に入らないらしい。
…まぁ、いつも怒らせるような事をしている自分も悪いんだが。
それにしても、だ。
ゲインが、ソファに背中を預けながら、鷹揚に尋ねてみた。
「俺が女性にだらしない事で、なにか君に迷惑がかかるのかい?」
そっと、罠を張る。
「かかってます。やなんです。そーゆーの」
ゲイナーが先程呟いた言葉を、もう一度繰り返した。
「ふうん」
「綺麗な女のひと見ると、にやけちゃって、すーぐくどいちゃって」
「よく見てる」
彼は気づいているだろうか。
話せば話す程、自分が不利な立場に追いやられている事を。
酔った時に吐露する言葉には、高確率の割合で真実が隠れている事を。
「まるで嫉妬、してくれてるみたいだな」
笑いを含んで云ってやると、ゲイナーが不可解な表情でこちらを見上げ、その後心底嫌そうな顔になった。
「まさか!」
「そうかあ?俺にはそう聞こえるんだが」
「あんたの耳がおかしいんです!…っていうか」
遠い!
突然そう短く叫んだゲイナーが、勢い良く立ち上がった。その後少しよろける。
「ひざを!つきあわせて!っていったハズれすよ僕は!」
「はァ?!…ちょ、っ」
ダン、と絨毯を踏みしめテーブルを大股で跨いで、
「おい、急に立つと酔いが」
回るぞ。
と最後まで口にする前に、ゲイナーの身体ははぐらり、と傾いで、
ゲインの座っているソファめがけ…正確にはゲインの上に乗り掛かる格好で倒れ伏した。
ソファ上で起こっている惨劇をよそに、ハラハラと優雅に宙を舞い、カサリと床に散乱する書類達。
「いたい!」
「それはこっちの台詞だ!」
予告も無しに押し倒されたゲインは、柔らかなソファではあるが、盛大に頭をぶつけ、首まで捻ってしまった。本気で痛い。
そんな彼の上にくたりと乗っかっているゲイナーは、ズレた眼鏡を押し上げると、満足そうにゲインの顔を覗き込む。
「ろんぎをするにはこれくらいが丁度いいんです」
ろんぎ?
…論議か。妙なイントネーションで聴こえたので、一瞬何だか分からなかった。
否、そういう問題ではなく。
「…ご婦人方にだって上に乗られた事は無いんだぞ」
先程の衝撃でじんじんと疼く後頭部を擦りながら、ゲインはもう片方の手でゲイナーの髪を緩く引っ張った。
少しだけ、くすぐったそうに首を竦めて。
「いいながめ。」
呟くと、体勢を僅かに立て直し、再びゲインの上にのし、と身体を落とす。
更に密着した互いの身体は、アルコールのせいか、穏やかに熱を纏っている。
「ゲイナー」
呼べば、何時もと正反対の状況が楽しいのか、ゲイナーが嬉しそうに笑う。
「はい」
いつもは抵抗しても絶対に敵わない野生の獣を、今はこの手で組み敷いている。その優越感に、酔っているのかもしれない。
組み敷かれながら、獣は彼を見上げたまま、
「お前、俺の事好きだろう」
無意識に、そんな言葉を口にした。
普段ならけして云わない。
これまでも、これからもけして云わないであろうその言葉を。
自分も相当酔っているのかもしれない。
この、奇妙な雰囲気に。
「きらいですよ」
あっさりと否定する、眼鏡の奥、眠そうな薄い瞼、ふわりと朱に染まったその目許が妙な艶を醸し出す。
戯れに髪を弄っていた手を首の後ろに回し、髪の中に入れると頭皮をゆるりと掌全体を使って撫で上げた。
その刺激にびく、と素直に反応する身体。
「ゲインさん、どうしようもないし、すけべだし、女たらしだし、」
仕返しとばかりに、ゲイナーがゲインの顎先に緩く、噛みつく。
「いて」
甘噛みした後ぺろり。と顎の表面を舐めて、くすくすと小さく笑うゲイナー。
こんな技、一体何処で覚えてきたんだと問い詰めたい反面、積極的な行為に、身体の芯に仄かな熱が灯ってしまう自分が居る。
今更ながら哀しい男の性に直面し、心の奥で軽く舌打ちしながら、ゲインも愛撫する手を更に甘く、そして深くしていった。
「人のことだますし、」
出逢った当初、何故か騙されたと憤慨し、吹雪の中喰って掛かられた事を頭の片隅で思い出す。
「まだ根に持ってるのか?」
肩を竦め、苦笑しながら尋ねてみると、アルコールの匂いを漂わせ、ゲイナーが怠そうにこちらを見下ろす。
「あたりまえです。あなたに騙されたせいで僕の、」
薄茶色の猫っ毛。
細くて柔らかなそれに指を絡ませ撫でてやると、気持ち良さそうに瞳を細めた。
「僕のじんせい、変わっちゃったんですから…」
酔っぱらったゲイナーは、怒り上戸で説教上戸ではなかったのだろうか。
酒が入ると人間多少変貌するとはいえ、先程から自分の上に乗っているこの少年は、見た事も無い別人のようだ。
否、自分が見た事無いだけで、これが彼の本質なのかもしれない。強気で、けれど驚く程正直で、少しだけ弱い。
「人のじんせい変えといて、どーせそんな自覚もないんでしょう」
云いながらふぁ…と欠伸。
どうやら急激に襲い来る睡魔と戦い始めているらしい。
「…不満かい?」
騙されて。
無理矢理連れて行かれて。
今の状況に落ち着いてしまって。
ぽふ、とゲインの肩口に顔を埋めたゲイナーは、少しだけ考えた後、口を開く。
「…わかりません、だけど…」
「だけど?」
あたたかな体温。摂取したアルコールのせいで少しだけ速くなった鼓動。
しっとりと抱き心地の良い熱を持った身体に腕を廻しながら、次の言葉を待つ。
「…だけど、やっぱりゲインさんは…きらいです…よ……」
ぎりぎり最後の意識を振り絞ってそう告げた後、ゲイナーは傍迷惑にも人の身体の上で沈没した。
唐突にシン、となる部屋と空気。
押し倒されたままで相手に置いていかれたゲインは、どうする事も出来ないまま、結果ソファの端からだらりと腕を出す。
きらい。
舌足らずに告げられた、結構酷な返答。
自分の胸上には酔っぱらいがすうすうと幸せな寝息をたてて眠っている。
眠った人間というのは全身が弛緩してとても重い。重いのだが、なんだか手放せない。
全くもって、とんでもない来客だ。
やれやれと溜め息を吐くと同時に、そんな少年に振り回されている自分に呆れる。
テーブルに、絨毯に散らばったままの書類を横目に、
とりあえずアデットに、大事な生徒に酒を呑ますのは程々にしろ。と忠告する事を心に決めた。
ゲインが大きな掌でがしがし、とまとまりの無い自分の髪を乱暴に掻き乱す。
「…ほんと、手厳しいな」
呟いた後、急に酒が欲しくなった。
こんな目前で据え膳お預け状態は、一度で充分だ。
◆end◆
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乗っかりゲイナーが…書きたくって………。
振り回されゲインさんて結構萌えなんですが…どうかな。