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せいせいした。
どうして今までこうしなかったんだろうと思う。
いや、何度もしたけど。
その度に、この解放感を味わってきた筈なのだけど。
忘れかけていた自由な時間。
アデット先生は今日も帰ってこないのだろうか。
何をしよう。何でも出来る。
他人に気を遣わない生活の気楽さを噛みしめながら、久々にオーバーマンアリーナへ接続した。
「……」
30分で飽きて寝っころがった。
ごろりとうつ伏せになって、自分の匂いのついた布団にぞんざいに顔を埋める。
けれど匂いはいつの間にか薄れてしまっていた。それでも無視してぎゅっと目を瞑る。
まだ駄目だ。
絶対思い出したりなんかしない。
それなのに、指を伸ばした先に引き寄せようとしたものが無くて、
向こうへ置き忘れてきた事に気づき、自身の詰めの甘さに胸の中で舌を打つ。
しまった。
思い出してしまうじゃないか。
目的の物を掴み損なった手は、そのまま無意識に拳を作っていく。
自由なのに。エクソダスをする前の日々と同じで。前以上に。ずっと。
それなのに、この空虚な感じはなんだ、足りないと思うのはなんでだ。
…駄目だ。絶対駄目だ。
思うだけならともかく自分の方から折れるだなんて真似、絶対したくない。
唐突に、どん、と大きな音がした。
時間外の不審な物音に顔を上げると、再びどん、と部屋の扉付近で音がする。
ゆっくり立ち上がり、そちらへ向かった。早くなる足取りを抑え、そろそろと、じらすように慎重に。
扉を叩く音は急かすように段々と大きくなっていく。壊す気か。やりかねない。
「なんなんですかさっきから………っぶ!」
怒鳴りながら勢い良くノブを捻り扉を開いた瞬間、不可思議な感触が顔面、というより眼鏡に直撃した。
視界を奪われつつ、ずる、と落ちていくそれを慌てて受け止める。ザラリと掌を滑る布っぽい感触。
何度かまばたきを繰り返して、視界からちかちかするものを追い払うと、目の前にぬ、と大きな影が現れた。
先ほどの衝撃で軽くずれた眼鏡を直すと、ぼんやりとして頼りなかった輪郭が次第にはっきり線を結んでいく。
「忘れもんだ」
ゲインだった。
怒っている。明らかに機嫌の良くない声で彼は低く告げる。
ここでようやく手の中にある柔らかな物体を見た。枕だった。
ぽかんと、していたのかもしれない。
ゲインは仏頂面のままでそんな自分をじっと見下ろした後、ほどなくして眉根を寄せ目を瞑り、
次に続ける言葉を探しているのか、小さく唸りながらあちこちに跳ねた緑の髪にがしがしと手を突っ込む。
「本気で出ていくつもりなら、荷物を全部片づけてから行け」
素直じゃない。
「…云われなくたって、今から取りに行くところだったんです」
もう、本当に、お互い全然素直じゃない。
戸口に窮屈そうに凭れ掛かっていたゲインがそれを聞くと、なら早く来い、と背を向けた。
大股でさっさと歩きだしていく。枕を手にしたまま、早足でその大きく広い後ろ姿を追った。
「おい、片づけにそれはいらないんじゃないのか?」
「うるさいなあ、ほっといて下さいよ」
「…勝手にしろ、家出少年」
「勝手にします」
そしてまた性懲りもなくあそこへ帰る。
けれどまた性懲りもなく出て行くのだ。
くだらない喧嘩で、くだらない不一致で。
そしてまた性懲りもなくゲインがやって来る。
戻ってこいなんて、絶対云わずに。それでも。
そんな緩くて惰性的でどうしようもないやりとりが、
繰り返しが、本当は、お互いそんなに嫌いではないのだ。
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