横須賀教育隊修業後、江田島の第1術科学校入校までの9ヶ月間横須賀通信隊勤務(暗号員)の時とてつもない 個性溢れる先輩隊員A氏がいた。東京出身の電信員(海士長)で幹部も海曹も皆お友達と言わんばかりの渥美 清生写しの腕白小僧そのものであった。並外れたエピソードは置いといて、その彼から「下宿はもう決まったのか?」と聞かれ、ただいま物色中である旨答えると「俺のマンションに来ないか?管理人の家に若い娘が二人いて楽しいぞー!」その言葉に引かれた訳ではないがお任せします。と言うことで外出(上陸)日が同じ日に坂本町のマンションに向かう。

 艦艇乗組員は上陸後くつろぎ場所に気の合った何名かがワリカンでアパートや下宿を契約していて坂本マンションは「あまつかぜ」乗員(電信員)のS氏と上記A氏の総員3名食費・経費等も全て均等割りであった但し食事の後片付と清掃は伝統に従って下級者の私の受持ちであった。後に3名増員

 バス停を降りて彼に従って歩き始めると途中のスーパー店員・米屋のおばちゃん・クリーニング屋の娘、皆さん彼と親しく挨拶しているので行き当たった女性全部俺のものといわんばかり。その坂本マンションとはトタン屋根のベニヤ板張りの一見物置風の老朽建築であったが元からあまり期待していなかったので「静かな落ち着けるいい場所ですね気に入りました。」と苦しいお世辞を言うと彼は壁に張られた一文を指してこれを頭に叩き込んでおけという。その文面が余りに彼にピッタリなので爆笑!

 その日は入居祝いと称してアジの煮付けを骨までしゃぶりながら一升瓶を空っぽにした彼は大イビキで寝入ってしまった。風邪を引かぬよう布団を掛けるのも下級者の私の役目であった。彼が艦隊勤務に復帰して「あまつかぜ」「きり」「はるさめ」と転勤を繰り返し上陸後はこのマンションでいつも女に手紙やらプレゼントの小包み発送にと精を出していた記憶がある女をモノにするには、あのこまめさがないと駄目なんだと教えらたが”釣り上げた魚に餌を与える”気のない自分には到底女は無縁であろう。大家の娘とも問題は一切起さなかったけれども何故か姉の方(ブス)から20数年間毎年一字一文も違わない毛筆年賀状が届いていたが遂に買い手に恵まれなかったと聞いている。

 当のA氏は3等海曹昇任後突如、警務隊勤務になり私が退職後神奈川県警の警察官となり上記ラブレターとプレゼント攻勢により獲得した神戸の女性(超美人)と来訪されたことがあった。正に美女と野獣の感あり。 

A海士長の一文下記の通り

        
    --兵--

兵は九州若しくは東北地方の農家の次三男に多くして
住むに家なし食うに職なし両親これを哀れみ、よって世に放つ

時の長官地連に命じこれらを
少数の中から多数かき集め若干の教養を施す
その学たるや新聞を読むもその意を解さず、ただ絵を見て微笑む程度なり


カレーにソースをかけたるを洋食と称し、たまに白米などを与えれば
令なくして万歳を三唱す、その旺盛なる食欲は余すところを知らず


長官これらを哀れみ海曹3分の2海士3分の1の
入湯上陸を許可す
上陸時において婦女子を発見するや、たちまち奇声を発しあえて危害を加えざるは、これ全て訓練の賜物なり

海士のひねたるを海曹と称しその動作の緩慢なること暗闇より引き出したるコッテ牛の如し


これらは概ね平時に於いては重量物の運搬等に従事し
戦時に於いては艦長以下士官の
弾除けとなり
出入港時に於いては
防舷物の代用となる
                   
アーメン


         
今の海上自衛官はこんなこと絶対にありませんです。はい