大紀町の山々に囲まれて



平成29年4月14日
46年前の絵
ラジオから懐かしい歌が流れてきた。
先日亡くなられたベギー葉山さんの声で「ウルトラの母」の歌だった。
息子が小さい頃、いっしょによく聞いた歌だ。
どういう訳か、あの頃の息子は「ウルトラの母」が大好き。絵も「ウルトラの母」ばかり描いていた。
上記の絵は、息子が3.4歳頃板戸に描いたもの。
ちなみに絵具は、私の買ったばかりの口紅。


平成29年3月27日
夢の話で恐縮ですが・・
夢の話で恐縮ですが、普通の夢とは思えないのでお許しください。
最初にこの夢をみたのはまだ10代の頃
見覚えのない男の人が、微笑みながら私を見ていた。
すごく印象に残ったが、夢なので忘れるともなく忘れていた。
二度目は20年ほど経った頃だった。
その人は、土手の上か、木の上からか、優しく私に手を差し伸べてくれていた。
私はすぐに10代の時の夢の人だと分かったが、そこで目が覚めた。
三度目は還暦をすぎてからだった。
2人並んで対岸の灯りを見ている夢だった。
そばにその人がいるだけで包まれているような安堵感があって幸せな気分だった。
この時もすぐに目覚めてしまった。
この3回の夢は、目覚めても夢ではない感覚が残っていて 不思議だったが、妹以外には人に言ったことがなかった。
ところが昨日
作家の角田光代さんのエッセイ”男”を読んでびっくり。
角田さんも私と全くよく似た体験をなされている。
何年かに一度ながら夢が続いていることも、同じ男が現れることも、 夢の中でその男を信じていることも、すぐ目が覚めてしまうことも、夢をみた後の心境も同じ。
角田さんも「ウエスタン・ハットの男」ということだけしか判らない。
私も漠然と「男の人」ということ以外何一つ判らない。不思議だ。  


平成29年3月12日
甥っ子達は海外勤務
千葉の甥っ子はもう9年ほど中国勤務。家族連れで。
今度は大阪の甥っ子が5年間のアメリカ勤務。家族連れで。
姪っ子のご主人は単身でインドネシアへ。
仕事とはいえ、若い人たちが海外へと散らばっていく。
幾度も海外旅行に出かけている妹もさすがにちょっと寂しそうだ。
私も何となくさびしい。  


平成29年2月16日
貰った手作り野菜
実家の弟夫妻が自分たちで作った野菜を持って来てくれた。
キャベツ・大根・なばな・チンゲン菜・里芋。
どれも大きくて、取れたての新鮮なものばかり。本当にありがたい。
「里芋はまだ土が付いとるので・・」と、義妹がしきりにことわるが、 私は土の付いた方がいい。
”実家の土が付いている”それだけでうれしいのだ。有難う。


平成28年12月10日
石垣定哉展
友人と県立美術館で開かれている「石垣定哉展」を観に行った。
石垣定哉氏の色んなジャンルの絵画の中でも 私が一番心惹かれたのはニューヨークの街の風景だった。
水彩での「NewYorkシリーズ」も良かったが、
まるでペンキの刷毛の後のような力強い油彩の「クライスラービル」や「マンハッタン」が すごく印象に残っている。
これらの絵の前に立った時、自分がビルの窓からニューヨークの街並みを 見下ろしているような気分になった。朝から夕へ刻々と変わりゆくニューヨークの街並みを・・・。

今年もいろいろな絵画展を観に行ったが、久しぶりに心が満たされた「石垣定哉展」だった。
 


平成28年8月22日
ハーモニカ
長い間続けていたコーラスをやめた私に、息子がハーモニカを買って来てくれた。
が、いざ吹いてみると昔吹けた曲が何か違う。思ってもいない音が出てくる箇所がある。
それもそのはず、ハーモニカの種類が違うのだった。
昔使っていたハーモニカは音階順に穴が並んでいたが、 このハーモニカは音階に関係なく「吹く」「吸う」を交互に穴が並んでいるのだった。
即、吹けるものと思っていた私は少しガッカリだったが仕方がない、 脳をこのハーモニカに合わせることにし、これからゆっくり楽しみたいと思っている。
幸いにもコーラスで使ったきれいな曲の楽譜が沢山残っているから。


平成28年4月6日
花の散りゆく
つい先日、桜前線北上のニュースを聞いたばかりだと思ったが、 花の命は短いもので、もう桜並木に花吹雪が舞っている。
花吹雪とはよく言ったもので、散るさなかの桜の花びらは本物の吹雪のようだ。
俳句の世界でも”花”と言えば”桜”のことだそうだ。
「花吹雪」だけでなく「花冷え」「花曇り」「花明り」「花筏」など桜を指した花の付く言葉は実に多くある。
中でも私は「花筏」が好き。
散った桜の花びらが水に浮かび、一塊になって流れていく様を「花筏」と表現するなんて・・・、 何て情緒ある日本語だろうと思う。
でも、現代の若者達は「筏」そのものを知らないかもね。
写真のようにアスファルトの舗道に散った桜の花びらは何て言うのだろう?「花石畳」?


平成28年3月8日
患者は軽傷
ショック!美容院で円形脱毛症だと言われた。
早速かかりつけの病院の、かかりつけの外科の先生に診ていただいた。
「最近ストレスを感じるような事は無かったですか?」と聞かれ、「有りましたが今は無いです」と答えたら、
「円形脱毛症は皮膚科だが、まあ気にしないことです。自然に治っていくでしょう。これだけの髪の量と勢いだから・・」 と言われ、私はハッと目を上げた。

先生はスキンヘッド。それも見事な程にピッカピカ。
(今頃気付いたのかい?)先生の目が私を見て笑っていた。  


平成27年12月30日
あの時の「ユビキュタス・コンピューター」
今日の中日新聞の社説「もう一つのノーベル賞」の中に、 東大の坂村教授がそのノーベル賞の情報通信分野で受賞されたと出ていた。
十余年程前、私は機会があって坂村先生の講演を拝聴したことがあった。
先生はその時、ハガキ大のタブレットを手に、いろいろのことをコンピューターでネットに繋げることが出来ると 実演されていた。
そして、
これからはこの大きさで、いつでもどこでもインターネットが出来る時代が来るとおっしゃっていられた。
あの時の「ユビキュタス・コンピューター」が現在のスマホだ。
十余年前、先生は、技術はとっくにそこまで進んでいるが 「セキュリティ・ポリシー」が追いついていないと杞憂されていた。そのことが今も印象に残っている。


平成27年10月20日
病葉(わくらば)
本格的な枯葉のシーズンはこれからだというのに、 他の葉に先駆けて落ちていた桜の病葉(わくらば)。
朝日と朝露を浴び、濃いワインレッドに輝いていた。
なぜこんなに病の葉は美しいのだろう?


平成27年9月20日
弟逝く
元気だった神戸在住の弟があっ気なく逝ってしまった。
病名は肺がん。72歳だった。
お通夜、お葬式、お骨上げ、すべて出席したのに弟を亡くした実感はなかった。

それは・・
住所を確かめるため念のためにと持参して行った本人からの年賀状を、元の 場所へ保管する時だった。
”ああ、もう二度とこの差出名で年賀状が届くことはない”
と、思ったトタン、はじめて深い悲しみにおそわれ、涙が止まらなかった。

人はいずれこの世を離れるものと分かっているが、年下の者に先立たれるのは辛い。 きょうだいみんな仲が良かっただけに悲しみも深い。  


平成27年8月24日
瓜ん坊
朝夕のウォーキングには昼間滅多に出会わない動物たちに時々出会う。
昨夕は子イノシシだった。
親にはぐれたのか?まだ瓜ん坊ぐらいの大きさで、人間を恐れる風もなく、ブタに似た短いシッポをしきりに振って 草の中を探っていた。


平成27年6月18日
老姉妹出会う
二人の妹が、日本の西と東に分かれて住んでいる。めったに会えない。
たまたまその二人が両方から名古屋へ来る機会あり、急遽、私も加わり三人で会った。
それも名古屋駅の新幹線の待合ロビーで・・。
僅か2時間余りの時間だったが楽しい時間だった。
こんな小さなチャンスでも身内に会いたくなるなんて・・私も年を取ったものだ。  


平成27年6月12日
手作り人形
齢(よわい)90才を越えられたご高齢の知人から、手作りの人形をいただいた。
こんなプレゼント、本当にうれしい。
行燈の下の平安時代の男女。
じっと眺めていると源氏物語の世界が広がってくる。


平成27年5月6日
挿入曲「ザ・ローズ」
今、ある民放で山下智久さんが知的障害のある主人公の若者を好演している「アルジャーノンに花束を」というドラマを放映している。(金曜夜)
このドラマの挿入曲が、私の好きな「ザ・ローズ」だ。
この曲、30年程前ベット・ミドラーが歌っていた古い曲だが、このドラマにぴったりだった。
人生の応援歌ともとれるこの曲、近年、Nコーヒーのコマーシャルソングとして使われていたので、若い人達も知ってるかもね。

  夜が切なく寂しいと感じるときでも
  道があまりにも長いと感じるときでも
  思い出してほしい
  厳しい冬の深い雪の下には
  暖かい太陽の愛を浴びる種があるということを
  春にはバラの花を咲かせる芽があるということを

K子さんへ
https://www.youtube.com/watch?v=CB4EgdpYlnk
いろんな人が歌っている曲だが、是非ベット・ミドラーで聴いてほしい。

ちなみに
小説「アルジャーノンに花束を」も昔読んだが、深い余韻を残すいい小説だった。
小説ではハッピーエンドでは無かったが・・、ドラマではどうなるのだろう?  


平成27年4月5日
桜は見ている
知人と2人で家から車で30分程のところにある桜を見に行った。
桜は満開、お天気もよく、公園なので大勢の人で賑わっていた。
そこへ、とある大きな老人施設の車が来た。
入所の方々のお花見なのかしらと見ていたら、 車イスに乗ったお年寄りが車イスごと後ろ向きで車から降ろされ、 桜をバックに写真撮影、そしてすぐ前進で車へと乗せられていった。その間1分位。
こうして次々と3人のお年寄りが写真だけ撮ってもらい、3人共満開の桜を一見することもなく施設へと車は帰っていった。
こんなにいいお天気なのに、こんなに桜がきれいだというのに・・。

あの時の撮影写真は施設では、”楽しいお花見の記念写真”とされるのだろうなぁ。


平成27年2月27日
出だしそっくり
コーラスで荒井由実さん作曲作曲の「卒業写真」を練習している。
ある時、 この曲の歌い出しが古いアメリカの私の大好きな曲に似ていることに気付いた。
起弱で始まる最初の2節がそっくりなのだ。
コーラスの練習の時、つい「♪♪悲しいことが・・ I love you it`a sin 〜〜」と、その曲を続けて歌い出したくなってきて可笑しい。
誰も気付かないのかなぁ?よく似てるのだがなぁ。


平成27年2月23日
幸せの連鎖
遠方に住む妹が娘一家と共に実家へ遊びに来たと聞き、私も実家へお呼ばれした。
大きくなった姪の子供達、優しい旦那様、姪は幸せそうだった。
そんな娘一家を眺めている妹も幸せそうだった。
そんな妹を見て私も、とても幸せな気分だった。
居心地のいい部屋。甥夫婦が豆から入れてもてなしてくれたおいしいコーヒー。
幸せとは、こんな暖かな心安らぐ時間のことなのだ。


 
平成26年11月21日
善通寺の「大楠」
きょうだい旅行で立ち寄った香川県の善通寺、そこにある2本の大楠。
写真の大楠は、樹高約40m・太さ約11m・樹齢約1300年。
1300年だって!!。気の遠くなるような遥か昔からそこに立っているのだ。
流れる雲を眺めるように、幾年月も人間どもの諍いや繁栄を静観してきたことだろう。
この大木の前では人の一生なんて、なんと短いことか。


平成26年10月21日
パソコン老講師
若い女の人からパソコンの使い方を教えてほしいと頼まれ、今、我が家で教えている。
彼女はとても熱心で、メモを片手に私の一言一句に耳を傾け、習得も早い。
一方私の方は、講師をするのは十何年ぶり。
”範囲指定して命令し、結果が・・現われない?”
「あれれ、チョット待ってえなぁ」と、生徒を待たして記憶の糸を手繰り寄せる始末。
これでも初級の「ワード」「エクセル」ならお手の物と自負してきたのだったが、こんなに忘れているとは・・自分でも驚き、かつ、ガッカリであった。
だが、人間の脳は不思議なもので、ある時、彼女のためにテキストを作っていたら、忘れていたことが次々と芋づる式に蘇ってくるのだった。
一度脳に記憶させたことは無くなることはなく、脳のどこかにきちんと仕舞われているのかもしれないと希望がもてて嬉しかった。
そして、こんな機会を与えてくれた彼女に感謝した。
それにしてもよく忘れる。今日も彼女は「すみません同じことを何回も聞いて・・」と恐縮するが、 私の方は、前に言ったことをすっかり忘れているので丁度いいのだった。


平成26年9月26日
2年ぶりのデッサン会
2年ぶりにM市美術協会の裸婦デッサン会に参加させていただいた。
初めての時のようなドキドキ感はなかったが、何故か気おくれがする。
他の方は、体の線の重なり具合や、陰影や、顔の表情などを上手く捉え、筆を走らせていられるが、 形にばかり囚われすぎてそれらを見極められない私、まだまだダメだ。
やはり裸婦は難しい。


平成26年8月30日
白い鵜
県立美術館の「中澤弘光展」を観に行き、『鵜の森』という作品の前でびっくり!
作品画中に、黒い鵜に混じって白い鵜が沢山いるではないか?
私はこの歳になるまで鵜は黒い鳥だと思っていた。
もしかすると・・ウオーキングの時いつも見かける優雅に舞っている白い鳥は鵜だったかも?
もし鵜なら「とっこさんの日々(1)」の平成25年3月2日の”白鷺”は訂正しなければならない。
そう思い、今朝のウオーキングの時しっかり目にした。やはり”鷺”だ。中洲の岩に片足で立っている。
鵜と姿は似ているが足の長さが全然ちがう。


平成26年7月4日
父のこと
7月は父の祥月。
先日、27回忌の法要を弟家族に営んでいただいた。
明治生まれの男子ながらも、一度も家族に声を荒げたことのない穏やかだった父。
囲碁・読書・絵画が好きだったが、家族のために働いた一生だった父。
27回忌を迎えたこの頃、時々父のことを思う。
これも自分が父の享年に近くなった所為なのかもしれない。


平成26年6月20日
蛍の写真
友人のご主人様から蛍の写真を数枚いただいた。
以前、私も蛍を撮りに行ったことがあるが、蛍の撮影はなかなか難しい。
私のカメラの場合、シャッターを開きっぱなしにし、その間少しでも光が入るとダメで、 おまけにお化けが出そうな闇の中に長時間いても出来上がった写真は数本の光跡だけ。すっかり諦めてしまっていた。
だが、いただいた写真はご覧のとおり。背景の草木も灯の点滅も鮮明で、 闇の中をさまよう蛍の華やかさ・儚さがよく伝わってくる魅力的な蛍の写真だった。


平成26年5月29日
計算と情緒
今日の新聞に、数学研究者の森田真生氏のお話が出ていた。
お話の中で、私が興味を惹かれたのは「計算と情緒は支えあっている」と 述べられていたことだった。
以前読んだことのある数学博士岡潔氏の著書「春宵十話」にも同じような言葉が出ていた。
が、凡人の私には不思議で仕方がない。
「計算」とは数えることであり、「情緒」は感情だと思うが、 どうしてこの真逆とも思える二つが支えあっているのだろう?
きっと私の知らない捉え方があるのだろう。


平成26年5月26日
鮎の鰯化?
「ムムッ?」
夕暮れの川の中を長さ2メートルもあるような巨大魚が悠々と泳いでいる!!
不思議なことにその魚は、時には細くなったり丸くなったりする。
良く見ると、先月放流された鮎の稚魚の群れだった。
鮎といえば初夏の清流を飛躍する爽やかなイメージがあるが、 目の前の鮎は放流から一ヶ月近く経っても未だ大きな塊となって群れている。
養殖で育てられたため、群れから離れるのが心細いのだろうか。
それにしても見事なものだ。大きな魚にしか見えない。


平成26年4月28日
四葉のクローバー
ウオーキングの途中で偶然四葉のクローバーを見つけた。
先日の新聞に四葉のクローバなるものは元々無く、三つ葉の一葉が傷ついて四葉になったものだと出ていた。
だが、私の見付けた四葉のクローバーはご覧のとおり完全な四葉。
何かいいことあるのかなぁ。チョピリ嬉しくて押し花にした。


平成26年4月21日
”動かないように”
韓国で、修学旅行の高校生を乗せた大型旅客船が沈没するという事故が起きた。
5日経つが未だに大勢の高校生が行方不明だと聞く。
最後の船内放送が「高校生達その場を動かないように」だったと聞き、胸が痛む。
もし、その放送が無かったら助かった高校生も多いはず。
3・11東北の震災の時も、目前に津波が押し寄せてきているのに、校庭に集めた子供達を避難させずに「ここを動かないように」と指示し、 大勢の子供達が犠牲になった小学校があった。
もし、その指示がなかったら裏山に登って助かった子供も大勢いたはずだ。本当に胸が痛い。

この「動かないように」の言葉で蘇ってくる出来事がある。
戦前、戦局が日々厳しくなる頃、私は名古屋市の国民学校三年生だった。
その頃、警戒警報が出たら帰宅、空襲警報になったらどんな場合でも「動いてはダメ」で、最寄りの防空壕に避難することになっていた。
ある日、帰宅途中で空襲警報になり、私も近くの防空壕に入れられた。
お腹の底に響く低い空襲警報のサイレンの音が四方から聞こえ、敵機が近い事を示していたが、 私は大人達が止めるのを振り切り、その壕を飛び出して母の待つ防空壕へと向かった。
動くものは標的とされると聞いていたので並木の蔭をチョロチョロと、まるでトンビに狙われる野ネズミのようにして・・。

同じ恐怖でも子供にとって、親の許で感じる恐怖と親から離れて感じる恐怖では大違いなのだ。
韓国旅客船の高校生も、大川小学校の子供達も、「動けない時間」に思ったことは親のことだっただろう。


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