『玄鳥』には、他に「三月の鮠」「闇討ち」「鷦鷯」「浦島」の四編があり、
どの小説も、細やかな人情の機微、武家社会の格差と厳しさ、四季折々の風景が情緒豊かに時にユーモラスに描かれていて
私を藤沢文学の虜にしてしまう。
五編の中でも「玄鳥」が好きだ。
禄高の高い上士の家から迎え入れた夫仲次郎は、毎年門の軒に作るつばめの巣をにべなく捨てさせる。
親つばめを思い心痛める妻の路。
つばめの件が象徴するように二人の心には僅かな距離があり、路は一抹の淋しさを覚えていた。
(「マディソン郡の橋」のフランチェスカを思い出したりした)
だが路は武家の女、自制心に富み、控え目ながらもしっかり前を見つめ、凛として強い。
そのことがかえって切ない。
路は、無外流の名高い剣士であった父からある遺言を言付かっていた。そして、父の見通し通りその遺言を届ける時が来た。
重荷だった遺言の件も無事終わり
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終わったのは父の遺言のことだけではない。
父がいて兄の森之助がいて、妹がいて、屋敷にはしじゅう父の兵法の弟子が出入りし、
門の軒にはつばめが巣をつくり曽根兵六が水たまりを飛びそこねて袴を泥だらけにした。
終わったのはそういうものだった。
そのころの末次家の屋敷を照らしていた日の光、吹きすぎる風の匂い、そういうものであった。
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懐かしい日々はもう返らない。すべてが変わってゆく。
巣をこわされたつばめも、もう来年は来ないだろう。
人生はそんなものなのだ。ちなみに「玄鳥」とは、つばめのこと。