くらしのなかで
―― 建築家の視点から ――

vol.34




今、『見る』ことを考える


今回は少し抽象的な問題提起からはじめます。

私は本当に見ているのか??

これは最近、とても気になっていることです。
そもそも気にしはじめた原因はイラク戦争でした
この情報化時代、TVという映像メディアにより
世界中の情報がイチ早くキャッチ出来るようになりました。
イラク戦争においても、アメリカ軍の動きは
リアルタイムにTVに移りました。そこで思ったのです。

これは『見る』ということなのだろうか???

気にしはじめると
この不安がしきりに私のアタマをよぎります。
そして、このように考えをまとめました。

例えば江戸時代、
TVなど、映像情報がなかった時代は
『見る』ものは自分がつかめるものばかり。
つまり『見る』ことと『体感』することは
ほぼ直結していました。

しかし現代、映像情報が進歩するにつれ、
例えばイラク戦争でも(TVなどを通して)
誰もが『体感』せずに『見る』ことができます。
これは『見る』ことと『体感』離れている現実です。
ここまで考えて改めて思いました

そうか今や 
見ること=体感 ではないんだ!!!と。

アタリマエと思うかもしれませんが、現実と非現実
(『見る』ことと『体感』が離れていること)の
交錯した事件が近年多発している状況は、社会的大問題です。
そして、その一因はTVやインターネットがもたらした
映像情報
のようです。

しかし、だからと言って
『これらを廃止しよう』というのはナンセンス。
時代は戻せません!!! 時代は戻れない!!!
私の結論的に書きますと、今、重要なのは

今の時代の『見る』ことの現実をまず受け止めること
そして、この時代に『見る』ということの意味を
個々が考えていかねばならないということです。


やや消化不良の文章になってしまいましたが
今回は個人的に整理しておきたかったことを書きました。

これはTVに映った画面です。 このように
イラク戦争の様子は茶の間のTVで流れます。
我々が『体感』せずに見てしまう一例です。


2003.07