くらしのなかで
―― 建築家の視点から ――

vol.33



『いただきます』といえること

先日、レストランのランチタイムでのこと
少し離れた席の女性がとても自然に
『いただきます』と手を合わせました。
その時、この『いただきます』のまわりに
空気がピン!と引き締まる感じがして少々感動しました。
そして、その時思いました。

食事前に手を合わせ『いただきます』と
自然に出来ること
これ、ものすごくカッコイイことです。


この『いただきます』という行為
毎回毎回、自然に出来ている人はとても少ないです。
正直に言います。私は出来ていません!!
会食の時など、人前ではポーズとして出来ます
しかし、これはあくまでポーズ。
自然にサラっと出ているわけではアリマセン。

昔の家庭では家族が揃って手を合わせての
『いただきます』がありました
何より『食』に対しての感謝がありました

しかし、最近は食べられることはアタリマエ。
更に家族の食事時間もバラバラになってきた現実。
これら様々な要因で『いただきます』の感覚が
荒れてきています。

だからこそ今、あらためて『いただきます』のような
さりげない作法の重要性をさかんに感じます。
こういった、毎日の作法は『日本的なるもの』の
極めて優れた美しい部分
ですし
突き詰めていくと『くらしを引き締める』ことになります。

しかし、そこまで思っていても
この『いただきます』と自然にやることの難しいこと
やろうとするほどギクシャクするのです。
自然な『いただきます』をめざして
今日もギクシャクと『いただきます』をするのでした。

私の 『いただきます』 は少しギクシャクしています

2003.06