くらしのなかで
―― 建築家の視点から ――

vol.15


『持たぬ豊かさ』というものについて


イキナリですが、私は『東急ハンズ大好き人間』です
(これは自他共に認めるところです)

東急ハンズというところは
『アレが欲しいから買いに行く』というところではなく
『欲しいものを見つけに行く』という場所だと思っています。
『予期せぬものに出遭う楽しみ』もあり
ついついイロイロ買ってしまうところなのです。

しかし(白状すると)買っても使わないものも多いのです
その一例(何故か家庭雑貨が多い・・・)

* レンジでチンする(圧力)蒸し器
  自分ではそれほど蒸し物をしない。
  カミさんは蒸し物をするが、大なべでやらないと
  気がすまないよう。 結局使わず・・・

* エスプレッソメーカー
  これにはエスプレッソ用にひいた粉が必要。
  又、後片付けが面倒くさい。数回使っただけ・・・

* 漬物器
  コンパクトなものを買ってきましたが
  さあ漬物をつくろう!!!と思いながらそれっきり
  良く考えたら自分でつくっても食べきれない。
  一度も使わず・・・

* 野菜スライサー
  深夜のTV通販でやっているようなモノ
  買ったけど一回使っただけ・・・
  良く考えたら包丁で切るほうが結局早いし、
  片付けも楽だった。それにキッチンでかさばる・・・


これは『買ったけれども結局使わない』という状況の蓄積です。
そして、これらを通じてだんだんわかってきたことが
『便利といっても、自分が所有しなくてもよいモノも多いのだ』
ということです。

そもそも世の中、何もかも持つということは無理です。

また(少し反面教師的ですが)モノに縛られないという意味では
逆に『持たぬ豊かさ』という観念もあるように思えてきました。
少し、デフレに加担するような文章になってしまいましたが、
私の最近考えていることの一つです。


左が『蒸し器』右が『漬物器』です
どちらも吊戸棚の奥にしまわれています。
エスプレッソメーカーと野菜スライサーについては
引越しのドタバタで行方不明になりました。

2001.12