「近長谷寺」護摩復活と「一八会」のルーツ! 2004/02/20更新 


 厄除けも“村おこし” 

 あす近長谷寺「青年ら大張り切り」が新聞に掲載されました。 

 地域ぐるみでさまざまな“村おこし”に取り組んでいる多気郡多気町長谷地区(14戸)の人々が18日、平安時代の旧跡・近長谷寺で、春季厄除観音大会式を催す。この大会式は、毎年、初観音にあたるこの日に行われる恒例の行事だが、近年、同地区では同寺を核にした“村おこし”を展開中であることから、若い人らが中心になって寺にまつわる行事を町外の人にも“開放”。より多くの人に参加してもらえるように行事の内容に工夫を凝らしている。
 近長谷寺は、平安前期の885年に建立。木造の本尊・十一面観音菩薩立像は県内最大の6.6メートルの大きさで、国指定重要文化財として有名。約400年前に松阪を開いた蒲生氏郷の祈願所としても知れた。
 寺のふもとに広がる長谷地区の集落は14戸。無住職の寺の管理をするため毎年交代で3人の寺世話人を決めているほか、日曜日には2軒ずつで山頂の寺へ行き、観光客らの案内や境内の手入れをしている。しかし、高齢化が進んでおり、将来寺をみていく人がいなくなるという危機感が広がり、一昨年末に若い人ら13人で「一八会」(逵昭夫代表)を結成。この人らが毎月例会をもって、寺を中心にした“村おこし”のアイディアを練るようになった。
 まず手始めに行ったのが、62年大みそかの除夜の鐘突きを青年らでやろうという運動だった。昨年末には鐘を突いてくれる人を公募したところ、松阪近郊を中心に町外から80人の参加があり、参加者一人ひとりが一人一突きするなどにぎやかな行事になり、盛り上がった。
 今回の初観音にちなんだ大会式は、盛り上がりの機運を見せた除夜の鐘に続いて近長谷寺で催されるビッグイベント。当日は本堂で終日厄除け祈願が行われ、訪れた人一人ひとりを祈祷する。昨年は開始時間が一定だったため希望者をまとめて祈祷したことの反省に立って行われるもので、きめ細かい配慮をした。特に護摩法要は35年ぶりに復活するほか、厄除けのもあち投げは厄年の男女ならだれでも参加できるというもので、参加は無料。
 3月末には寺のある山頂(約20アール)に展望台が完成する運びになっており、地元の人らはこうした行事を機に、せっかく由緒あるこの寺を多くの人に知ってもらおうと大張り切り。青年と住民が一体になり、“村おこし”を進めていこうと話し合っている。
 当日の厄除け祈願は午前8時から午後5時まで。
 
(平成元年2月17日付け夕刊三重新聞から)
Photo:にぎわった昨年の大会式

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 35年ぶりに護摩が復活! 

 多気町・近長谷寺で「合格を願い火渡り」が新聞に掲載されました。 

 多気郡多気町長谷、近長谷寺(岡本祐範住職)の春季厄よけ観音大会式が18日あり、家内安全や厄払いを願う人たちでにぎわった。
 近長谷寺は山頂付近にあり、地元の人たちが急こう配の参道約550メートルを、つえをついて参拝した。ことしは、村おこしを兼ね、長谷区と地元青壮年の人たちの集まり「一八会」(逵昭夫会長)が35年ぶりに護摩を復活させ、終日厄よけの祈願をした。
 護摩は、多気郡明和町の修験者たちが昔ながらの儀式で行い、火をたいて災いなどを追っ払った。
 その後、参拝者たちはおき火の上を渡って健康などを祈っていた。
 厄年の人によるもち投げのほか、国の重要文化財指定の十一面観音菩薩立像(高さ6.6メートル)が開帳され、多くの人たちでにぎわった。
 
(平成元年2月18日付け中日新聞から)
Photo:春季厄よけ観音大会式で35年ぶりに復活した護摩

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 伝統の復活に村おこし期待! 

 多気町・近長谷寺で「35年ぶりの護摩にぎわう」が新聞に掲載されました。 

 国重要文化財の十一面観世音菩薩像をまつる多気郡多気町長谷の近長谷寺(きんちょうこくじ)で18日、春季厄よけ観音大会式が開かれた。境内では35年ぶりに護摩法要が営まれて大勢の人が詰めかけ、厄年の老若男女や地元の人たちが、火渡り護摩で無病息災、家内安全を祈願した。
 近長谷寺は、山頂近くに仁和元年(885年)建立。本堂には木造で6.6メートルの十一面観世音菩薩立像(国重文)がある。現在は無住寺で、隣村の勢和村丹生・丹生大師の岡本祐範住職が兼務し、地元長谷区14軒が管理をしている。
 この日は、厄年の人をはじめ町内外から大勢の人が参拝に訪れた。本堂の十一面観音像が終日開帳され、厄除け祈願の法会が営まれる中で、本堂の広場では三重修験道会のメンバー6人が柴灯護摩法要を行った。その後で参拝者らは火渡り護摩で“厄除け”など祈願、厄年の男女が恒例の厄払いのモチ投げを行った。お年寄りの中には、復活した護摩法要に手を合わして参拝する姿も目立った。
 同寺は、古くから厄除け観音で知られていたが、昭和29年に無住寺となり訪れる人も少なく、地元の人たちでモチ投げを続けてきた。が、一昨年暮れに村おこしを考える同地区の若者たちが「一八会(いっぱちかい)」(逵昭夫代表、13人)を結成、地区の活性化へ伝統をよみがえらせよう、と区の役員や古老たちとも協力して村おこしに立ちあがった。同会や地区民は、もっと多くの人たちに知ってもらうためにも、地区を挙げて村おこしを考えていきたいと話している。
 
(平成元年2月18日付け伊勢新聞から)
Photo:35年ぶりの護摩法要でにぎわう近長谷寺の初観音

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