くレポート〉 〜長谷の地域おこしグループが支える〜

長谷の車田・御田植祭

 〜「HRI Report July7 No.130」 百五経済研究所発行〜 より
2009/07/05作成 


 このコーナーでは、豊かな歴史と自然に恵まれた三重県に息づく文化をお伝えしています。

 今回は、多気町にある地域おこしグループ「一八会」が取り組む「長谷の車田・御田植祭」をご紹介します。全国でも数少ない車田に、菅笠に絣の着物姿で植える風景は長谷地区の5月の風物詩となっていて、多くのカメラマンで賑わいます。 

 5月10日、雲ひとつない抜けるような青空のもと、地元佐那神社の宮司による神事が始まり、御田植祭の始まりを告げる。
 その後、女性11人と男性3人が「車田」とよばれる円形の田に入り、中心から時計回りに外側に向って苗を植えつけていく。
 男性は菅笠に藍の法被(はっぴ)、女性は花笠に絣の着物をたすきがけにしたスタイルで、花川の桃色とたすきの赤色が花を添えている。
 中でも苗を片手に一歩一歩ふみしめるように慎重に植えていた小学生の女の子がひと際愛らしい。
 ゆったりとした雅楽と、宮司の打ち鳴らす太鼓の音が新緑の中で響きわたり、ゆったりとした時間が那g垂れていくようだ。

 長谷の車田・御田植祭は、今年で12回目を迎える。「車田」は、江戸時代以前から伝わる農耕スタイルだが、今では新潟県佐渡市、岐阜県高山市のみに現存する希少なものとなっている。車輪状に植えるのは、豊作の神が降りてくる目印とも恵みの太陽を表すとも言われ、その独特の形状から神事にかかわるものとされる。
 長谷地区では、当地区の活性化と地区に残る文化を継承したいとの思いから1998年に創設、毎年5月に御田植祭、9月に収穫祭を行っている。

 この祭りを支えているのが、長谷地区の地域おこしグループ「一八会」である。
 一八会は、長谷地区の象徴である近長谷寺(きんちょうこくじ)を中心とした地域の活性化を目的に、1988年に結成され、現在は18人で活動している。
 国の需要文化財に指定されているご本尊十一面観音を擁する近長谷寺は885(仁和元)年に伊勢の国の豪族、飯多香氏によって建立された。現在の本堂は1694(元禄7)年に再建されたもので、簡素でありながらどっしりとした趣のあるものだ。1982年に寺守がいなくなってからは、地区の人々の手によって大切に守られてきた。
 一八会では近長谷寺を中心に、春の春季大会式、夏の虫送り、大晦日の除夜の鐘つきなど四季折々の活動を行っている。御田植祭も活動の一つで、きっかけは、写真愛好家でもあるメンバーからの提案だった。「被写体としても希少な車田を作り、たくさんのカメラマンと協働して広く“ふるさと長谷”の魅力を伝えたい」。その提案に呼応し、一八会の逵(つじ)代表が所有する水田を、地域の人たちの協力のもとで車田に作り変えた。
 御田植祭の開催に当たっては、佐那神社の宮司の協力を得た。こうして地域の人々との強い結びつきの中で行われている祭りであるが、「自分達でできることは限られたいる。行政や地域の人たちの協力が不可欠だ」と逵代表。
 御田植祭では、最後に前年に収穫したもち米で作った手作りの“あんこもち”がふるまわれるのが恒例となっている。
 情景の美しさだけでなく、このようなあたたかなあ“おもてなし”により、今では、カメラマンだけでなく、遠方からも観光客が集まるこの地区を代表する風物詩となっている。

穏やかな笑顔が印象的な逵昭夫(つじあきお)一八会代表。
「夫のロマン、妻の不満」とは奥様の弁。男性は夢を語るが、実際に動くのは女性だからとか。でもそれが笑い話になるのも信頼関係が築かれているからこそ。

 一八会の発足から21年。少しずつ地域外にも活動の広がりを感じつつある。
 しかし、逵代表に気負ったところはなく、あくまでも自然体だ。後継についても笑顔で「大丈夫。みんなの後姿を見ていると、受け継がれたことをちゃんとやっとるよ。人生70年。その間に自分ができることをやればいいんやから」。
 帰り際、植えられたばかりの小さな稲が風にゆられていた。秋には豊かに実った黄金色の稲穂が頭をもたげていることだろう。古式ゆかしい、そして新たな伝統が、地域の人々の手によって大切に受け継がれていくことを願っている。

 地域調査部 山崎美幸

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