(NPOリレーインタビュー、頑張れネットワーク)

  近長谷寺を中心にしたまちづくり    2004.09.13


 長谷にはすでに近長谷寺という宝物がありました!     

 三重県NPO室が発行する市民活動・ボランティアニュース2004年9月号で、多気町の地域おこしグループ「一八会」が紹介されました。

さんの活動について教えてください。
 僕らが住む多気町長谷には、近長谷寺(きんちょうこくじ)という国の重要文化財に指定されている、歴史のあるお寺があります。これは真言宗のお寺で、本来真言宗には檀家制度が無いのですが、地域の人たちでずっとお守りしてきました。
 今でこそ高速道路もでき、勢和村丹生から車で入りやすくなったのですが、それまでは道も狭く、特に多気町側から来ると長谷は行き止まりのような所だったんです。もちろん、地元の者は年間行事や祭事をきちんと執り行っていましたが、お寺を訪れる人も少なくなっていました。そんな状況をなんとかしようと昭和63年の暮れに「一八会」を結成しました。
Photo:インタビューを受ける逵代表夫妻

ンバーは?
 長谷地区の若い者が中心です。長谷の住民は13戸で、50人ほど。代々住んでいる気心の知れたメンバーです。それぞれの長所や特技もよくわかっていますから、それぞれの特技を活かして活動しています。人の得意な分野は侵略しちゃいけないんですよ(笑)。暗黙の了解で決まっているんです。

成のきっかけになったのは?
 その頃、多気町がまちづくり講演会を開催したのです。今では信州大学名誉教授になられた玉井袈裟男先生がお見えになって、まちづくりの手法を教えていただいたことがきっかけですね。
 まちづくりをするためには、地域の中心になる宝物を発見する必要があります。でも、長谷にはすでに近長谷寺という宝物がありました。でも、それを世の中に出す方法がわからなかったんです。そこを玉井先生には後押ししていただきました。

体的にはどのようなことを教わったのですか?
 長谷は小さな地区ですが縦割りの組織ですし、お寺には寺世話人という役目があります。この組織を飛び越えて一八会が行政や近長谷寺の住職さんと話をすれば、その方たちに対してスジが通らないことになります。活動を始めた時は僕たちも若かったし、そこを忘れがちだったんですが玉井先生に「スジを通せば、言い分は通りますよ」と指摘していただきました。それが転機となって、僕も地区の長老さんたちに話を通してみたら「若い者は外に働きに出て、いろんな知識を吸収してきている。年寄りが動いていたのでは発展性も無いから、やってみなさい」といってもらえましたし、長老さんたちから住職さんにも話してもらって「後はお前が行って、許可をもらってきなさい」とスムーズに進みました。

職さんとの話し合いもスムーズに?
 近長谷手らの住職さんは、勢和村丹生にあるお寺の方が兼務されているんです。二つのお寺を切り盛りされるのも、宗教活動をされるのも大変ですし、一八会が近長谷寺を中心としたまちづくり、ひとづくりを目指していることをわかってもらえましたから。

たに活動を始めることに尻込みされたのでは?
 本当のことを言えば、誰も面倒なことはしたくないですよね。でも、そこで止まっていちゃ何もできませんから。

八会が最初に手がけたイベントは?
 除夜の鐘突きです。一八会の企画として手がけたのは昭和63年からですが、我が家は以前から、鐘突きにでかけていたんですよ。

を突く人はいないのですか?
 ずっと寺をお守りしてくれていた方がいたんですが、亡くなる数年前から寝込まれていて、鐘をつく人がいなかったんです。紅白歌合戦が全盛の時でしたし、正月の用意もあります。長谷地区の人も忙しくて、鐘突きどころじゃなかったんですよ(苦笑)。うちは当時、子供が小学生でしたので家族で行って「鐘、突かせてくれる?」とお願いしたら「ああ、突いてください」って。108つまで数えるためにカードに数字を書いたものを持って行って、それをめくりながら突きました。でも、電気もついていない真っ暗の中でしょう。突いた数もわからなくなってくるんですよ。それで「まぁ、ええわ。108つは突いたやろ」って(笑)。その翌年、子供が同級生を誘ってきて、その家族も一緒に鐘を突いたんです。すごく感激してくれてね。その経験があったので、一八会の企画に除夜の鐘がいいんじゃないかと思ったんです。

を突くのは長谷の人たちだけですか?
 多気町や勢和村などから来てくれます。最初は50人くらいでしたが、今は確実に500人くらいが訪れてくれます。たくさんの方が来てくれますから、もてなしとして年越しそばやお酒、ぜんざいなども無料で用意しています。

元だけでなく、他の地区にも声をかけたのはなぜですか?
 多気町など、近辺の人に近長谷寺を知ってもらいたいというのが最初の狙いでした。近長谷寺はこの辺りの子供たちにとっては小学校の遠足のコース何なんですよ。だから、懐かしさを感じて、何十年ぶりかに自分の子どもさんをを連れて来てくるんじゃないかなぁと思ったんです。おと、多気町側から車で長谷に入るのが大変なため、町内でありながら近長谷寺のことがあまり知られていなかったんです。今では勢和村側から観光バスが近長谷寺に来るのですが、多気の方へ抜けずにUターンしていくので、近長谷寺に観光バスが来ると話しても、多気町の人は信用してくれないんですよ。まぁいいんですけどね(笑)。

加者が500人になると、突く鐘の数は?
 109以上は、みんな108(笑)。それに始めた当初は珍しいこともあって、幼稚園児から大人まで、一人に1つ突いてもらっていましたけど、今は家族で1つ突くとか…。それに、この辺りでは年越したら、仁田にある佐那神社を詣でるという順番があるんですよ。だから12時頃、年が変わった時がクライマックスで、その後、半時間ぐらいでだいたい突き終わります。

備するのもたいへんでしょう。
 この辺りに嫁いで来た方は年が変わらないと帰省できませんよ(笑)。実家の方でも「仕方がないなぁ。長谷に嫁いだからには、除夜の鐘の手伝いをしないと…」って話しているそうです。スタッフ全員が来てくれた方をもてなすので精一杯です。

理などの経費はどうしているのですか?
 毎月、一家族500円の会費を集めています。あと、住職さんに心遣いで、お寺のお礼などを大晦日だけは一八会の預かりとしていただいているんです。もちろん、必要な経費はきちんとお寺にお納めしていますよ。

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 夫のロマン、妻の不満!?     

夜の鐘以外にはどんな活動をしていますか?
 毎年、2月18日に近長谷寺にとって最大の年中行事である「春季大会式」を行っています。厄除け祈祷や火渡り護摩法要のほか、餅投げなどもあり、毎年1000人ほどが訪れています。最近では多気町の小学校が総合学習として、小学生に火渡り護摩法要の体験もさせていますよ。この時に投げるもち米も一八会で作っているんですよ。

んぼがあるのですか?
 我が家の田んぼを利用して車田を作ったんです。車田とは、車の輪のようにまん丸い田んぼのことを言います。日本では新潟県佐渡と岐阜県高山市にあるのですが、高山の車田を写した写真が毎年、田植えと稲刈りシーズンになると新聞の一面を飾るんですよ。それを見て、僕もこんな田んぼを持ちたいなぁと思っていたんです。ちょうど、段になった田んぼを使い勝手の良いようにまとめようと思っていたら、一番上の田んぼのふちが丸くなっていて、これなら!と思って、平成9年に作りました。以来、5月には御田植祭、9月には収穫祭を行っています。

植えなどは、誰でも参加できるのですか?
 自由に参加してもらえますよ。あと、絵になるのでしょうね。写真を撮りに来る方もいます。こちらも菅笠や揃いの絣の衣装などを着るんですよ。この他、秋ごろに近長谷寺を舞台にお月見コンサートを開いています。

のグループとの交流は?
 会を作った時に、みんなでいろいろグループに参加して、活動を見てこようと決めました。私も前回、登場した高島さんの活動や、松阪の田畑美穂さんがまとめているあいの会「松坂」などに参加して、いろいろ知識を吸収しました。特に田畑さんからは行政とのつき合い方を教えていただきました。「行政を批判しない。ねだらない。ケンカもしない」。もちろんイベントにも出かけますし、一八会のイベントにも来てくださいます。

間を通して、たくさんの企画を開催していますが、準備なども大変だったのでは?
 男性メンバーのほとんどがサラリーマンですから、日中の準備は女性陣や長老さんたちにお任せしてしまうことが多くて。車田の田植えの時期なんて、「この日に田植えします」と言っておくと、その日までに草取りをして綺麗にしてくれてるんです。イベントの時はよそからたくさん人が来てくれるから、その人たちに対して恥ずかしくないよう、みんなが綺麗にしてくれるんですよ。

客さんが来る時に家の大掃除をするのと同じですね。
 外の方が長谷を見て「綺麗だな」、「癒されるな」と言うでしょう。外からの評価が直接聞こえるし、新聞やテレビにも出たりしますからね。

老さんたちもしっかりサポートしてくれているのですね。
 今年、花見をした時に、初めて長老さんたちの本音を聞きましたよ。「お前がよそから何か聞いてきては、新しいことをすると言うもんだから…」って、ちょっと困っていたのが本音だったそうです(苦笑)。始めた時は結果がわからないのでしょう?結果的に活動が定着して、みんなに喜んでもらえましたけどね…。

対されたからこそ、活動が続いたんでしょうね。
 2月18日の春季大会式を日曜日か土曜日に変更するようお願いした時は、「あかん」と一言でした。理由を聞いても答えてくれないし、うちの長老さんたちはダメといったら、ぜったいに動いてくれませんから、その時は僕らが負けたんです。でも、今から思うとあの一言は結果的に良かったと思います。全国的な事例を見ると寺社の行事の日程を若者の都合で、休日に変更すると、いつの間にか行事自体が無くなってしまうことが多いんですよ。春季大会式の反省会で長老さんが「平日に休んでもらって、すまんなぁ」って言ったんです。僕は「ああ、すごい」って思いました。そこまで一八会の活動は発展したんだなぁって。もしあの時に長老さんが「お前らの好きにしろ」って言ってたら、こんな結果にはなっていなかったと思います。

動を始めて17年になりますが、苦労もあったのでは?
 僕は仕事をしているでしょう?企画を立てて、煽るだけ、煽ったら、仕事に行く。長老さんや女性陣を説得するのは妻に任せて(笑)。でも経過や結果は聞きたいですから、あちこちから家に電話をかけては指示したり。妻が一番、大変だったと思います。僕は、どこに行くのも妻と一緒。メンバーは「お前はいつも母ちゃん、連れてくるんやのお」って笑われますけど、「わしらは二人で一つやでな」って(笑)。以前、奈良県五條市との交流会に参加した時、会場の隅で、妻を真中にして笑い声が上がっているんですよ。あとで「何を言ったの?」と聞いたら、「夫のロマン、妻の不満」と言ったんですって(笑)。翌年、奈良県でその言葉をタイトルにした劇ができたそうですから、どこも同じみたいですよ(苦笑)。

ろそろ次世代の育成も考えないといけないのでは?
 息子の世代がそろそろ30歳近くになってきたんです。彼らは「最初に鐘突きを始めたのは自分たちだ」という意識があるようで、今も手伝いに来てくれます。また、そういった人を使うのが上手なんですよ、うちの女性陣は。「はい、君らは準会員。遊びに来たんと違うんやんな。一八会のジャンパー着てな」って(笑)。

一八会
住所:多気郡多気町大字長谷77 電話:0598(37)2359
ホームページ http://www.ma.mctv.ne.jp/~jr2uat/
E-mail 
jr2uat@ma.mctv.ne.jp

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