「海と山、そして岩を満喫、熊野ツーリング」
 
 
 10月も終わる直前の30日、空にはうろこ雲が浮かぶ空の下、久しぶりに相棒セローとのツーリングの機会がやってきた。
 当日になっても目的地は決めておらず、朝に職場へ一度寄ってからとなるため、職場からそのまま南下する熊野方面へ向かうことにした。
 

 朝9時、職場からセローと共に出発。給油した後、国道42号線を南下、10時頃、尾鷲市街を抜けた。
  42号線矢の川(やのこ)峠手前を平成20年4月に一部供用された熊野尾鷲自動車道尾鷲南ICに進入。三木里ICまでの5.3kmを走行し、そこから海岸沿いを走ることにした。
 熊野尾鷲自動車道は熊野と尾鷲を連絡するとともに近畿自動車道紀勢線と一体となり、紀州地域の新しい交通ネットワークとして建設が進められている自動車専用道路である。最終的には尾鷲市から熊野市大泊(おおどまり)までつながる計画だ。
 この辺りの主要道路は雨量規制区間となっているところがほとんどのため、代替道路ともなり、さらに通行料無料という予定の有難い存在だ。ただ、その区間のほとんどがトンネルのため、先を急がないライダーにはワインディング、景色ともに楽しめる一般道をお勧めする。




 ICを進むとすぐに新八鬼山トンネルに入る。標識には道路トンネル長さ三重県1とある。さすがに新しいトンネルとあって快適そのものだ。前を走るトラックの排気ガスを胸いっぱい吸い込んで、発ガン率もテンションも一気に跳ね上がる!
 トンネルを抜けると最長5分程度の信号待ちとなった。そこから先の道は建設中のため、まだ車一台分の細い道しかなく交互通行となるためである。しばし、エンジンを止め、古い石積などを見ながら信号が変わるのを待つ。
 
 青になり、細い道を進むとすぐに311号線に出て三木里(みきさと)まで抜ける。信号を左折してすぐにある海水浴場の駐車場にバイクを止め、小休止とした。ここは結婚するまで毎年職場の仲間で海水浴にきていた思い出の海岸だ。綺麗な海と砂浜、整った設備と申し分なく、夕方には少し波も出てきて、一日中楽しめる海岸である。当時のあんなことやこんなことを思い出したりしつつ、誰もいない海岸で、しばし海を眺めて過ごした。昔のことを思い出し少しブルーになった私と対象的に、海の色は夏の透き通った青から、冬のエメラルドグリーンへと変わりつつあった。
 
 
再びセローに跨り、311号線を二木島(にぎしま)方面へ進む。
ここからは賀田湾を眺めながら、漁村と木々の間を走る絶好のバ
イク向け道路だ!快適に走れる片側1車線の道があるかと思えば、
バイクと言えども対向車とのすれ違いが厳しいくらいの細い道になっ
たりといろいろな変化を楽しめる道である。

 曽根・梶賀(そね・かじか)トンネルを抜けると盾ヶ崎の大岸壁
が見えてくる。海から天に向かってそびえる柱の固まりのような柱
状節理の荒々しくも鋭いその景観にしばし見とれていた。
やはり私の中での尾鷲・熊野のイメージといえば、海、山、そして
岩なのだ。美しくもうねる海と、そこから急激に伸び上がった山々、
そのいずれにも巨岩、奇岩が点在している。河原にも渓谷らしく大
岩だらけである。先程の三木里でも採石場らしきものがあり、石を
船に積み込んでいる光景を見た。とにかく到ることろで、岩や石に
出会うことになる、それがこの地域なのだ。ここ盾ヶ崎は、そのイ
メージを代表する場所のひとつである。


 
 時刻は正午、そろそろ昼飯にしたいと思ったとき、道路沿いにお客さんが沢山入っているお店を発見!Uターンして本日のご飯処決定!お店のなまえは「ほくしょう」。熊野定食を注文。大きな丼にいっぱいのご飯と味噌汁、新鮮で歯ごたえのある刺身、ひじきの煮物、サラダ、お漬物とボリューム満点だ。今日のお味噌汁はカンパチのアラが出汁に使われているということで、これまたうまい!!とても人柄の良いお店のご主人と楽しく話をさせていただいていると、ラーメンもお勧めということなので、味をみるならと薦めていただいた塩ラーメンを追加注文した。あっさりとしている中にも旨みがたっぷりの透き通ったスープに少し細めのちぢれ麺、うまい!!最近流行の油多め、麺太く、スープは薄めたくなるほど濃いラーメンは苦手な筆者にとって、とてもうれしい出会いとなった。定食、ラーメンとも胃にもやさしい味で、スープまで残らずいただいた。本当はもう一つのお勧め、カレーラーメンも食べたかったし、実際あとラーメンなら2杯は余裕でいけそうだったのだが、さすがにご主人に呆れられるかもと思い、腹8分目でやめておいた。でも、絶対にカレーラーメンを食べにまた来ると心に決め、お店を後にした。ここは国道42号の鬼ヶ城手前から311号に入って通り沿いすぐにあるので、どちらの道路から来るライダーにもぜひお勧めしたいお店である。
 
















 おいしい食事をいただいて幸せな気分となり、いよいよ熊野市街へ。と、すぐにエンジンを止めて、七里御浜の砂利浜へセローを押して入った。ここは和歌山県境まで延々と続く御浜小石の浜と、熊野灘の水平線がとても美しいところだ。ここから眺める風景はいつ来ても素晴らしい。
 
 それから、いつものように海に向かって吼えているライオン丸こと?獅子岩クンにごあいさつ。あれ、髪伸びた?頭に生えた木が少し生長して緑の葉がフサフサしている。まるで緑のパーマをかけたような愛くるしさである。ところで獅子岩って横からしか見たことない人多いんじゃないだろうか?ぜひとも階段を降り、岩の周りをぐるっと廻ってご覧いただきたいものである。それこそが写真ではなかなかみられない彼の姿だと私は思ったりしている。晴れているものの、うろこ雲が浮かんでいた空はすっかり雲も消え、あまりの暑さにインナーを外し、リアボックスへ収納した。




















 
 さて、やはりここでも石と岩だったと思いながら、獅子岩前の信号交差点から34号線を七色ダム方面に向かい北上する。海岸沿いから少し入ると田んぼが広がり、やがて一気に山村の風景となる。途中の井戸川沿いに立派な石積みの棚田が山の上までいっぱいに広がっていた。

























 
 トンネルを越えると車線のない峠道になり、そこを抜けると熊野市神川の集落が現れる。平屋の木造校舎、山間の田畑、石垣などの風景が小学生の頃にタイムスリップしたような懐かしい感覚にさせる。温かい昭和を色濃く残した地域だ。それを観光の売りにしてもいいんじゃないかと思うくらい素敵な地区である。道はどこも細く、せっかくなので、地区のあちこちを周ってみた。

















 秋がよく似合う神川で、橋の傍にあったミカンの無人販売で一袋百円のみかんを購入した。しかも、この無人販売所、大盤振る舞いなことに真ん中のカゴには試食まで大量に置いてある。那智黒石の里とあるモニュメントの傍でのどかな風景を眺めつつ、先程購入したミカンを食べ、喉の渇きを潤した。甘みが強く、酸味も少しあって疲れが和らぐ。
 神川と言うと、有名なのが碁や硯などにつかわれる
黒く光沢のある美しい那智黒石だが、それはここでし
か採石できないとのこと。それは知らなかった。那智
と言うと和歌山のイメージが強いので、てっきりそち
らが原産地と思われるが、昔から主に熊野那智大社近
辺でお土産として売られることが多かったために、那
智地方の名をとって那智黒石となったそうである。
  そういえば職場の営業所がここにもあると思い出
し、顔を出した。ちょっとの挨拶のつもりが奥に通さ
れ、コーヒーまでご馳走になり、気がつけば1時間も
経ってしまった。他にも案内板で日本写真界の祖、何
とかさん(名前忘れた)の記念館とかもあるみたいだ
ったので、最近写真も趣味となった私は興味があった
のだが、時間もないので先へ進むことにした。



 
 見送りを受けつつ、七色ダム方面に向かう。この辺りから、全国唯一となる飛び地となる。飛び地とは県内にぽつんと離島のように他県の町が存在することで、三重の中に和歌山県東牟婁郡北山村が存在しているのである。さらに川沿いに三重、和歌山、奈良の県境が入り組んでおり、まっすぐ道路を走っていると、和歌山に入ったかと思えば奈良に、そしてまた和歌山、さらに奈良など次々に県が変わる面白い地域だ。道は場所によっては酷道であるものの、渓谷と山々が織り成す風景が楽しませてくれるおかげで、楽しく走れる。
 
 やがて道も開け、おくとろ公園までやってきた。
マップルによれば、公園そばにバイクで通行可能な
つり橋があり、勇気のある人はどうぞとある。勇気
も金もないが、興味だけはあるので、これは行かね
ばとつり橋へ。つり橋はグレーチングが敷かれ、川
面が透けて見える。高さはさほどないし、これなら
以前にいった多気郡宮川ダムのつり橋のほうが恐い
んでないの?と楽勝気分で橋を渡る。向こう岸で反
転し、再びつり橋中央にて停車。バイクに跨ってつ
り橋を渡っている写真を撮影しようとカメラを橋に
置いて、セルフタイマーを最長の10秒にセット。
シャッターを押すと同時に全力でセローへ走る・・・
が、めちゃくちゃ揺れますやん!!恐い!!ボヨン、
ボヨン跳ねるような揺れだ。やはりこちらのつり橋
のほうが恐かった。しかも10秒ではバイクまで戻っ
て跨ってギアをいれ、走り出すなどという芸当はで
きず、写真もうまく撮れなかった。

 恐る恐るカメラまで戻り、拾い上げたその瞬間!!
以前から使用者の間で問題となっていた簡単に開いて
しまう電池のフタがこんな所で開いてしまい、電池が
落下!!4本あるうちの2本はグレーチングにひっか
かり難を逃れたが、残り2本はスローモーションで川
面に落ち、波紋を残し去っていった。しかも、この電
池は充電式の乾電池なのだ。2本700円相当が落ち
ていく瞬間、私は「あぁぁぁぁ。」と情けない声を絞
り出すことしかできなかった。先程の神川で日本写真
界の祖、何とかサマにご挨拶に行かなかったから罰が当たったに違いない。川にゴミを捨ててしまったこと、ちょっと高い電池を落としたショック、さらにこれから先の写真撮影ができなくなってしまったことに精神的ダメージを受けつつ橋をあとにした。
 
 幸いなことにカメラの電池は単3であるので、おくとろ公園内のお店にでもあるだろうと思い、売店へ向かうも木曜定休!さらにショック!!うーん、これから先に乾電池を売っているようなお店があるのだろうか。山々に遮られ、麓の道路まで日が届かなくなってきているので、先を急いだ。
 
 美しい川と色づき始めた木々に癒されながら、進むと再び道幅が狭くなった。やがて道路は高度を上げつつ、川も見下ろすような状態になる。右手に滝が現れる頃、見下ろす河原はゴツゴツした岩盤ばかりになっており、岩が並ぶその光景に思わず声をあげた。どうやら瀞峡(どろきょう)付近まできたようだ。
 急に道は真っ直ぐになり、幅も広くなった。少し長いトンネルと潜ると和歌山から奈良県に入り、次のトンネルとの間は橋になっていて、眼下には岩々が織り成す渓谷美が広がっていた。道路脇のスペースにバイクを止めて眺めていると、欄干の柱に猿やフクロウなどのブロンズ像があった。いくつか並んでいる柱にはすべて異なる像があって、キツネは頭に葉っぱを乗せており、かわいらしい。橋の途中でまた和歌山県になった。
















 最後のトンネルを走っていると出口はどうやらT字路のようになっているらしく、つかの間の快適道路から再び道幅の狭い、酷道へと戻ってしまった。そろそろ酷道はお腹一杯であり勘弁願いたいものだが。169号線は続くカーブ、右手には深い谷といった狭い道なのに車も時々すれ違う。地図上ではそこそこの道のように見えるのだが、実際には舗装林道と変わりないので、走っていてこの道でよいのか不安になり、何度も地図を確認した。
 
 やがて奈良県十津川村に入って、そこから311号線へと曲がる。すぐの和歌山との県境付近で北山川が目の前で大きくU字型に蛇行している光景に出合った。その壮大さに息を呑む。河原は砂利のようで、穏やかに見える川面だが、よく見るとかなり流れがきついらしい。ああ、こんな素晴らしい景色なのにカメラが使えないなんて・・・。仕方なくレンズに大き目の傷が入っている携帯電話で撮影した。


















 
 道を進むと三重県に入った。ここで、複雑に入り組んだ県境ともお別れである。しばらくすすむとようやく酷道からも開放され、ペースも順調にあがる。しかし、未だコンビニはおろか商店らしきものも見当たらず、乾電池は手に入りそうもない。時刻は夕方になり、道沿いに下校する小学生の姿があった。
 ぼちぼち帰宅を念頭に、最後に二箇所、丸山千枚田と、花の窟(いわや)神社に寄ることにした。道路から脇道へ入り、再び細い道を進む。丸山千枚田は耕作地の少ない山間部に住む人の努力によって、山の斜面に小さな田が2千枚以上も開墾され、並ぶ田んぼと、広がる山々の景色が最高に美しい。ただ、千枚田としては稲刈りも終わり、冬を迎えるこの時期というのはある意味シーズンオフであろう。しかし、秋の夕日が照らすその姿は最高である。もちろん、水を張った田んぼや、稲穂が実った田、そして雪の積もる田とその季節折々に違った美しい姿をみることができる。季節を変えて何度も訪れたい場所である。

























 
 再び311号線に戻り、寒くなったので、インナーを着用する。朝霧が山を伝う、風伝おろしで有名な尾呂志(おろし)地区の風伝峠を越え、海岸沿いを目指す。ようやく乾電池の買えるホームセンターなどがあるところまできたが、辺りはすでに暗くなりかけている。年中みかんのとれる地域、御浜町に入ると、道端のあちらこちらにミカンの無人販売が並ぶ。その数のなんと多いこと!バス停のような路肩1箇所に多いところで10個以上の無人販売がならんでいる。どうやら、それぞれ出している家が違うらしく、夕暮れの中、箱からお金を回収に来ているお姉さまの姿が並んでいた。
 
 仕事終わりで交通量が増えだした17時、ようやく42号線へ戻ってきた。とりあえずすぐ傍にあったコンビニで乾電池を購入した。面白いのは海岸沿いで浜風がきついからなのか、コンビニの出入り口に風除けの板があった。さっそく先程は確認できなかったつり橋での写真を見る。小さい・・・。セローと自分の姿があまりに小さく失敗である。
 
 さて、予想以上に遅くなってしまったと思いつつも、近くにある花の窟神社へ向かう。ここは神殿はなく、高さ45mの巨巌をご神体とする日本最古の神社として有名な場所である。石灯籠に灯りの燈った境内を抜け、手と口を清め、参拝した。見上げる大岩は浸食され、上の方は獅子岩のような複雑な形状となっている。今は車の音で消されているが、夜にこの岩の前に立つと波の音が響くと地元の人から聞いたことがある。自然崇拝という太古の遺風を今に残している神社である。
 
 さて、すっかり暗くなってしまった道路を帰りは山側を走る42号線を北上。自宅まではいくつもの峠があり、気が抜けない。と、つい熊野市街で給油するのを忘れていたことに気がついた。馬鹿馬鹿ワシのバカ。距離はすでに200km近い。しかも行けども、行けどもガソリンスタンドは無い。ドキドキしながら走っていると暗闇の中にようやくスタンド発見。安心感につつまれた。
 
 さあ、これで走りに集中して帰れるぞと、42号線をバヒューンと安全運転で自宅へ。帰宅前に大紀町の廃校になった小学校舎を改装した阿曽温泉で、冷えた体を温め、疲れをとった。
 そしてようやく20時前、自宅に到着しバイク車庫へセローを入れた。
 
 近年、世界遺産登録から一気に観光スポットとして人気になった熊野近辺であるが、やはりそれだけの歴史がある地域だけに見所も多い。今回行こうと思っていて立ち寄れなかった箇所や、帰宅後にジパツーを見直して知った場所などが沢山ある。また、紀伊長島以南の主要国道は近年整備されたものが多いので、旧道に入ってみると、史跡なども沢山あって興味をそそられる。遠方よりお越しの際には是非に宿泊してじっくり堪能されることをお勧めしたい。
 写真も途中から撮れなかったし、ほくしょうさんのカレーラーメンも食べたいので、絶対にまたリベンジするぞと硬く決心する33歳最後の秋夜となった。
 
 今回の旅でわかったことが3つある。それは、定番である「給油はできるうちにしておくこと」と、「カメラの電池蓋はテープで不用意に開かないように固定しておくこと」、そして最後が「私にとってのバイクは出会いであること」だ。
 30歳を過ぎて、高校生の頃欲しかったバイク免許を取得した。これもそもそもが、高校時代の悪友がツーリングで各地を楽しそうに周っている姿を知ったからである。そこから数年ぶりに彼と連絡をとり、彼のHPで知り合った方にセローを譲っていただく出会いがあり、バイク生活を送るうちにご近所や全国各地のたくさんのバイク仲間と出会えた。
 そして今回も旅先でお店の人や、おいしい食事、そして素晴らしい景色に出会えた。様々な出会いを与えてくれるバイク、最高である!!
 セローはもちろん、バイク仲間や家族等、皆への感謝と、そしてこれからも一緒に走ろうぜという思いを込めつつ、いつものようにお疲れ様とタンクを撫でた。キンキンと音をたてて冷えていくエンジンが眠りについていく。そして、私もただいまと家族の待つ玄関のドアを開けた。

戻る