1996.3.16 松阪マクサにて
「泳げ!バカボンズ」というタイトル。
鯉のぼりは、「赤ちゃんデパートニワ」にて、
「上から3番目に泳いでいるやつください」と購入。
腹部をファスナー加工したことによって、スムーズな装着を実現。

1994.3.14 大阪YANTA鹿鳴館にて
右手に鞭を持ち、「激しい妖精」をイメージしている。

1994.8.14 「名古屋ハートランドにて」
ちいちが「電動歯ブラシ奏法」をしているところ。

ドリル奏法のような効果があるらしい。

バカボンズ「想ひ出」写真館

1997.松阪マクサにて。
タイトルは、「さよならバカボンズ」。
メンバー全員が、親父シャツ(Uネック)をグレーのジャージにインすることで、
「人生に疲れた感」を狙う。

この日でバカボンズは解散する。



2001、ドラムにまっちゃきが参加、第三期バカボンズ発足となる。

2002「走れ!バカボンズ」を行う。(馬イメージ)
(以降、休止中)



2003.1 b・v山出、gマサト(カマキリバズノイズ)、drタニーにて
「作れ!バカボンズ」(ドモホルンリンクル工場従業員イメージ)
を松阪ロックアイで行う。
このメンバーでは1回のみライブ。

同、マクサにて。
ソファーを持ち込み、インタビュー形式でライブを行う。
もちろんヤンキー口調である。

1996 松阪マクサにて
タイトル「夜露死苦バカボンズ」
「とらいち」のニッカポッカはわりと高価だった。
本物への追求にこだわるバカボンズ。

発足当時


1990年、同じ松阪工業高校に通っていた山出、ちいち、正木れいやと、松阪高校の坂本融の4人で始める。(高校1年生)

1992年、坂本融、大学受験のため脱退する。

同1992年、「同じ高校に早弾きがすごいギタリストがいるらしい」といううわさが原因で新メンバー、ばっちょんが加入。

高校卒業後、ドラムの正木れいやが脱退、メンバー見つからず途方にくれていたが、村林楽器店員だったtacoji氏にお願いし、ドラムを叩いてもらう。
4人で活動再スタート(第二期バカボンズ)

1995年、松阪市民文化会館にて「光れ!バカボンズ」。
メンバー全員、イルミネーションと化す。(画像無し)