国盗り物語 <TVM> (2005)


 時代劇ってこんなに面白かったっけ〜と凄く興奮して観ていました。時代は下克上の戦国乱世の時代、天下を盗ろうとする男たちの物語。単に戦いや戦略の駆け引きや陰謀の絡み合いを描くのではなく、斎藤道三(北大路欣也)、織田信長(伊藤英明)、明智光秀(渡部篤郎)の3人を中心に人間描写が重点的に描かれていて、見応えがありました。
 歴史苦手なUKIUKIは道三という人物を知らなかったのですが、油問屋を営み男にすがらなくても生きていける強さのある お万阿(高島 礼子)が全てを尽くして惚れるのも無理はない、と思えるような知恵があり夢もあり行動力をもった男(当時松波庄九郎から奈良屋さらに山崎屋庄九郎)です。まずはこの男の生きざまが描かれていきます。そして彼は後に、自分の成せなかった天下布武の夢を信長と光秀に託したのでした。道三と信長、光秀それぞれの関係だけでなく、信長と光秀がこんなに深く関わっていたことも知らなかったので、新鮮であると共に最終的に信長天下統一目前の本能寺の変がどちらにとってもなんと無念で切なく悲しいものであったかと感じさせられました。
 またあの時代、政略結婚の道具でしかなかったような女性たちにもそれぞれの生きざま があって、それも丁寧に描いていていろいろ感じるところもあり、この物語の世界との距離を近づけてくれたように思います。

 UKIUKIの織田信長のイメージと言えば、せいぜい”鳴かぬなら殺してしまえホトトギス”の人であまり知的な人ではなさそうってことで、あと明智光秀に裏切られて本能寺の変で亡くなったってことを覚えてただけ。でもこの国盗り物語を観て、だいいち信長ってすごく賢い人物だったんだと思い直したし、こんなに魅力的な人物だったのかと嬉しくなってしまいました。
 伊藤英明が彼の大好きな人物だという織田信長を演じていますが、とにかくむちゃくちゃカッコイイ!!と思いました。

 はじめは腕白坊主がそのまま大きくなったような信長で、うつけ姿(まぬけ者の姿!?)で外を飛び回り目がキラキラしてエネルギーあふれるその姿が、カワイイ♪とさえ思えました。かなり気は短そうで、じっと座っているのが嫌で婚儀の席にも出てきません。杯を交わすだけに現れた時、妻となる帰蝶を見定めるかのように見つめる目が印象的でした。何日かしてやっと彼女の前に現れた信長は、やっぱりうつけ姿でホコリっぽいですが目は澄んでいます。あの干し柿には、キュンとしましたね。帰蝶をお濃(濃姫)と呼ぶことにし自分の妻としてふさわしい気性であると感じ取っているようで、自分の”おでい(父)”は強いけど彼女のおでいである"蝮(まむし)の道三"はもっと強い男だから好きだと話し、「お濃、俺は戯けとか阿呆とか言われてる。・・・馬鹿かどうか自分でも判らん。・・・俺が馬鹿か、世間が馬鹿か、俺が天下をひっくり返してみてからでないと判らんだろう。・・・お濃、俺がそなたに申したいのは、そなただけは、俺を馬鹿だと思ってもらっては困る!」と言うのでした。お濃も、この人なら!と思えたようです。

 信長の父織田信秀が突然亡くなり、周りは葬儀などの段取りに駆け回るばかりで、信長の悲しみを理解してくれたのはお濃だけでした。「俺のこと、いちばん知っておったのはおでいだ。・・・おでいはガキの俺に何もくれていない。おでいのこと何も知らぬうちに(いろんな事まだ学んでいないってことかな)、勝手に死によった。」「ご葬儀では、お許しなさいませ。殿は御喪主をお勤めなさらねばならないのですから。跡継ぎのお役目にございます。」「跡継ぎなどと、誰が思っておるのか。おでいの他にはおらん!」相前後してお濃の母も亡くなり、その悲しみを包み込んでくれる信長が素敵でした。
 亡き殿の信長への期待をただ一人理解していた爺の平手政秀が、信長の行状が改まないのを憂いて自害、信長の気持ちの乱れようといったら、言うこと聞かなくても大好きな爺だったのでしょう。泣き叫ぶ信長を観ていて、一緒に泣いてしまいました。
 爺を亡くし、”蝮(道三)”に会うことになり、出かけて行く時の眼差しが鋭くなってきて、信長の心境の変化というか前向きに動き出したのを感じました。道三の前に現れた信長には驚きましたね。髪を結い長袖長袴の正装姿で「織田上総介信長でござる。」と、道三に凛々しい姿を見せつけましたものね。挨拶に続きお粥らしきものを格式張って食べてて、なんやこれって思いましたが、信長が生きて帰れるかなどと心配されてたのはこれか、と思いました。毒を盛られたら。。。お互いの歓迎と信頼を確かめる意味があるのかと勝手に想像してしまいました。道三は信長に自分の若い頃を重ね、将来は よりいっそう大きくなっていく男だとも悟り、必要なときには援軍も出すとの書状を出すのでした。

 信長が道三から兵を千人借りて城を守らせ、清洲城を盗るために全軍率いて出陣したとき、道三の家臣は今なら乗っ取れると道三に遣いを出そうとするのでしたが、その時「なりませぬ!」と濃姫。信長は道三や濃姫を試したのか、信じきっていたのか、どちらにしてもみごとにそれに応えた濃姫でした。

 信長「なに、義竜が謀反! なぜじゃ、なぜ子が父(道三)を裏切る?!」道三が実の子として育てた義竜は、実は道三が追放した前の守護職・土岐頼芸が父であることを知って謀反を起こしたのです。・・・ 道三「それにしても、戯け殿は優しいことを言うものよ。援軍などいらん。国に帰れば申し伝えておけ。戦は利害でやるものぞ。されば、必ず勝つという見込みがなければ戦を起こしてはならん。その心がけがなければ天下は盗れぬ。信長生涯の心得としてよくよく伝えておけ。」そして道三は、美濃を信長に譲るという書状を書いたのです。信長はそれでも「蝮を連れて戻る」と出陣しましたが、美濃軍に阻まれました。また道三は濃姫とは従兄妹の明智光秀に文武の才があることを見抜き、幼少の頃から義竜と共に熱心に教育してきました。道三は信長と光秀二人にこの国の未来を託して生涯を閉じたのでした。

 その後の信長は、道三の想いを胸に、既存の秩序にとらわれない自らの感性で斬新かつ緻密な戦略を立てて、それを実現できる人を適材適所に登用し、壊さなければならないものは壊し 、時には同盟を結んだり、また劣勢になれば引き際の良さ見事にして粘り強く、しだいに勢力を広げていったようです。何処をどうした誰を討ち取ったといった展開の部分は端折ってしまいますが、それより何より信長にどんどん貫禄が出てきて立派な武将になっていく姿がまぶしく、ただただ見とれるばかりでした。また、信長の酷く残酷な部分をここではあまり描いてないようですが、それでも晩年天下布武に急ぎ突き進んでいく信長の恐ろしさを感じることはできました。

 敵は4万の今川義元、味方は3千、ろう城を勧める重臣たちに「俺は嫌じゃ。古来、城を頼んで戦った者にろくな末路はない。皆敗れておる。ろう城は士気が薄れ怖気が起こり、志を変ずる者も出てくる。されば合戦は城の外、国境の外でやれと、亡き父がいつも申されていた。・・・俺の心は城を出て戦うことに決っしておる!」と言い切る信長が凄い! 奇襲作戦で桶狭間にて勝利するのでした。
 将軍足利義輝に拝謁の後、歴史に大きな意味を持つシーンではないけれど、「美濃の斉藤義竜が、・・・信長殿の命を(狙っている。)」と耳打ちされるや、自分を討ちにやってきた者どもが休む宿へ自らが行き、「皆の者、みは上総介である。噂ではその方ども、斉藤義竜の密命を受けみを殺害せんとしていると聞く。ごうじょうの地にあって不埒な振る舞い、さような事があってはさし許さぬぞ。よいか!」「貴様も道三入道殿を裏切ったひとりか。美濃の国司はこの上総介ぞ!」と釘を刺すところが堪らなくカッコ良くって印象に残りました。
 そして道三死後11年目にして、稲葉山城を落とし、手こずっていた美濃を手に入れたのでした。
 そんななか、巡り巡ってやってきた明智光秀とは、性格は合わないところがあるものの、「光秀は出来る!出来るやつを使っていかなければ、ワシの仕事は進まぬ。」と才能は認めてかなり強い繋がりができていきます。
 比叡山の僧侶の没落ぶりに対する信長の理屈はもっともだと思いました。でも焼き討ちは避けるべきだと言う光秀に、「・・・古き世だと。光秀、血迷うたか、うぬ事毎に好みたがるその古きバケモノどもを叩き壊し、すり潰して、新しき世を作ることこそ、この信長の大仕事じゃ。それが天下盗りというものぞ。・・・」比叡山焼き討ちは徹底的に実行されました。
 領内を見回り中、「村の者、男、女もよう聞け。以後、昔がどうとか二度と口にするな!」過去の因縁にこだわる者に激怒する信長でした。
 でも、天下統一が見えてくる頃になって、光秀に対する処遇や態度に厳しすぎることが多くなり、それは信長なりの期待と信頼の上に立ったものではあったのですが理解されるものではなく、悲しい結末へと導いてしまいました。

 本能寺でくつろぐ信長「蝮殿といえば、お濃、そなた俺と祝言をする前、好きな男がいたであろう。光秀じゃ。蝮殿もそれを知っていながら、俺に嫁がせた。」・・・「上様、これは父道三が輿入れの時、もし婿殿が嫌になったらこれで信長を刺せと、持たせたものでございます。」「して、それを使おうと思ったことは?」「ただの一度もございません。」「うん。」って素敵♪ 穏やかで強い絆を感じました。光秀が信長の所にやって来たとき、濃姫に「早く会いたいか?」と問い「はい。」と答えるシーンを思い出します。このときの信長も穏やかな表情でした。
 天正十年(1582)6月2日本能寺の変 明智光秀の謀反です。 織田信長は濃姫に「お濃、落ちよ(逃げろ)、はよー!」と逃がそうとしますが、「嫌でございます。」「はよー落ちよ!おなごの手も借りたとあっては、ワシの名がすたる。はよー落ちよ!」「濃はただの女ではござりませぬ。蝮の子にござりまする。・・・」「お濃、ならば生死は一如じゃ!」
 自ら火をつけさせ、炎に包まれた中、舞を舞う信長。『人間、五十年 下天のうちをくらぶれば、夢 幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか。滅せぬもののあるべきか。』この舞は信長生涯を通して舞っていましたが、その時々で舞いに表情があったことに気づきました。最期の舞は、壮絶でした。
 最期の潔さ美しさに、濃姫と共に良い死に方をしたと思いました。信長のしるし(=討ち取った者の首)を取られることなく炎の中に消えていきました。享年四十九歳で波乱の生涯を閉じました。

 この後まもなく光秀も倒れ、3人の男によって大きく動いた時代の流れは、秀吉、家康へと受け継がれていきました。