フル・フロンタル (2002)


 カリフォルニア州ロサンゼルス、大物映画プロデューサー ガス・デラリオの40歳誕生パーティーが開かれるというある金曜日、招待された人されてない人それぞれが織りなす人間関係を通して''精神的な裸''を描いた作品。
 つまりガスの周りに広がる俳優や脚本家ほか有名無名な人々の、彼らそれぞれに成功やあるいは挫折の中で不安感を抱きながらも仕事に掛ける情熱や求める愛のかたちなど''裸の気持ち''を、主にワンシーンに2人ずつが登場してワンカットで描かれていきます。

 これっていわゆる群像劇なんだー。ハリウッドでは普通の人々の集まりらしいけどUKIUKIとしては共感できる人いないし、なんかそこはかとないユーモアがあるもののグズグズした雰囲気の人たち見てても面白くないな〜というのが第一印象でした。途中でギブアップしそうになりながらも、UKIUKIのめあてはガス役のDD(デヴィッド・ドゥカヴニー)!ということで、ガンバルんだっ。ところが途中で、あっそうだったのか!という状況で目が覚めてちょっと興味が出てきました。
 なんでオープニング人物紹介の後にあんなにはっきり「ランデヴー」のクレジットが出ているのに、そして映像もはっきり変わるのに、はじめて観た時キャサリン役フランチェスカ(ジュリア・ロバーツ)がカツラを取るまで、現実世界である「フル・フロンタル」の中でガス・デラリオ プロデュースの映画「ランデヴー」を撮影していて、その中でまた別の映画(刑事物?)を撮影していることに気づかなかったのか。(一方舞台劇「響きと総統」も今日が初日。)当然映画の登場人物(俳優)が現実世界とも交わっているので、それを見極めつつ観ていくと、ちょっと面白くなってきました。とにかくこの作品、内容はというと苦手な群像劇なんだけど、「ソラリス」同様、観る度に違う見方をさせられたり新しい発見があったりするのがソダーバーグ流なのでしょうか、観れば観るほど面白くなる感じです。

 この作品に限らず、オフィシャルサイトやDVD特典でいろんな情報が得られるのは当然になっているこの頃ですが、なかでもこの作品は、スティーヴン・ソダーバーグ監督の制作方針や撮影過程も含めて作品になっていると思います。  「オーシャンズ11」と対照的な映画、「セックスと嘘とビデオテープ」の現代版、200万ドルという低予算で、創造力を自由に発揮した作品を作りたかった、9000万ドル映画ではできないことをしたかった!!と彼は言ってます。
 そこでソダーバーグは、出演俳優に10のルールを提示しました。(オフィシャルサイトから抜粋)
1. 撮影は全篇ロケ
2. 現場には自分で運転してくること。・・・・・
3. 茶菓の接待係はいないので、そういうことは“すませてから”現場にお越し下さい。・・・・・
4. 衣裳は自分で選び、自前で用意し、自分で管理してください。
5. ヘアとメイクは自分で行い、自己管理してください。
6. トレーラーはありません。・・・・・
7. 即興は奨励されます。
8. ご自身の役柄についてインタヴューされるでしょう。この素材は完成作品に使用されるかもしれません。
9. 他の役柄についてインタヴューされるでしょう。この素材は完成作品に使用されるかもしれません。
10. 望むと望まざるに関わらず、楽しめることはうけあいます。

 実はUKIUKIにとってこの映画を観るいちばんの楽しさは、ピーター・アンドリュースの名で撮影も担当し撮りたい映像にこだわるソダーバーグ監督と、衣装その他の自己管理や小道具を持ち込んだり役作りに自由な面があったりと、ギャラを無視して集まった豪華な俳優さんたちとの手作り感を味わえるというところ、彼らがそれを心から楽しみまたある意味真剣にやり遂げようとしているのが感じられるところにあるのです。それは何度か観直し、その間にDVD特典などを見て、本編以外の部分もひっくるめた作品として面白いと感じるものになっていったのです。

 UKIUKIは初めて観るまであまりオフィシャルサイトも詳しく見てなかったので、〜ソダーバーグが課した10のルール〜以外はDDのシーンを一部垣間見てあったぐらいで、内容その他ほとんど知らなかったので、はじめの段階でボケッとしていて、結局途中で二重(三重)構造に気づいたものの、人間関係はごちゃごちゃになってくるし、ラストであっこれも!えっこれどういうこと?とダメ押しに混乱してしまいました。逆のぼっていったらどのシーンがどう繋がっていたのか、全く別の感覚でもう一度いえ何度か観てしまったのです。
 そして今思うのは、もしかしてまだ明かされていない部分があるとしたら、あれはまるっと全体がガスのプロデュースによるクレイジーで愉快なギャグだったのか、それだったらガスの結末も全て演出ってことでホッとできますが、・・・それともシリアスに人間関係を描いた「フル・フロンタル」としてのラストのちょっとした遊びなのか、どうなのかなあということです。

 ところでかんじんのDDのシーンについては、DD鑑賞用にはかなり苦しいっ。でも彼が本当の自分とは全く違う''情けない男''になりきれてるってわけで、その内容については、いろんなふうに考えられるなあって思えてきました。ガスは核になる重要な人物のはずだけど、ほとんど描かれていないのがミソ! で、マッサージのシーンはあれでなければならなかったのかというと、マッサージ師のリンダとの絡みってことと、彼の結末のシーンへの伏線だったのかな。社会的に成功し認められた男のプライベートがどんなものであったか、彼の裸の感情は描かれていません。はじめて観た時、彼の周りには大勢の人が集まってくるのにそれでも彼は孤独だったんだ・・・と、自殺したのだと思いました。あの方法はXF「休息」のブルックマンを思い出しましたもの。それはそうと、DDが用意した衣裳がガスのキャラにぴったり、短いシーンでもガスがただ者ではないというインパクトを与えてくれつつ変わり者って側面も滲み出しています。またビニール袋を持ち込んだのもDDで、あれはガスのキャラをつくるポイントにもなっていると思います。それによって、後のシーンでソダーバーグが元々心臓麻痺(自殺じゃない)か何かにしようと思っていたのが、あのように変えられたとか。元に戻って結末のシーン、ガスは自分自身を愛しているナルシストで、ビニール袋を使うのは性的嗜好で・・・というのがどこかで書かれてありました。そうか〜とすればあれは事故死とも考えられるなあ。。。

 何はともあれ「ランデヴー」の素敵なラストに見とれて、「フル・フロンタル」はというと、翌日土曜日になって、それぞれ新しい愛のめばえや愛の修復というふうに人間関係がハッピーな方向で歩み出すというホンワカとしたラストを迎えるのでした。