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シクロ


 ベトナム、ホーチミン市、輪タク”シクロ”で生計を立てている青年が主人公です。青年役に起用されたレ・ヴァン・ロックは素人だったそうですし、初めはイラン映画を観ているような感じでした。けっして裕福ではないけれど懸命に働いて、祖父や姉妹との生活を守っている様子が描かれています。家族それぞれに仕事をしていますが、体は無理をしているようだから、青年だってできればもっといい仕事をしたいのでしょう。
 ところがある日、青年は女親分に高額で借り受けているシクロを盗まれてしまったことから、女親分の命令で隠れ家と呼ばれる部屋に軟禁され、犯罪行為を手伝わされるようになってしまいます。作品の雰囲気ががらりと変わってきました。
 女親分の手下に指図された仕事に成功すれば認められて大金が手に入る裏社会、青年はヤクザに憧れていきます。その手下の中に詩人のような不思議な雰囲気を持つ若者(トニー・レオン)がいて、彼は売春組織を仕切っているようなのですが、彼の存在や生き様やその結末は味わい深く、とりわけ青年を裏社会に引き入れた側だった彼が、ヤクザになりたくてもなりきれないことを見抜いていたようで、青年を表社会に引き戻そうと間接的に守っていたような気がします。

 目を背けたいようなシーンもあるし、普通の青年が足を踏み入れてしまった犯罪社会の物語ではありますが、実はたぶんベトナムの中でもかなり活気ある街であるホーチミン市の現実を描こうとしたのではないかと思いました。それは全然関係なさそうな小学生が上手に歌を歌ったり楽器を演奏したりしているシーンが挿入され、街の賑やかな往来や人々の生活があちこちで映されているのを見て、同じ街の中にいろんな階層の人間が混在し経済的にも流動的で表社会と裏社会が交錯しあって発展していく街の中にいて、人々はそれぞれに自分の居場所を模索しているという、そんな姿を名もない登場人物たちを通して描こうとしたのではないかと思えたのです。その中に障害者や鼻血が持病って人が普通にいることをあえて出しているのは、ベトナムの現実として必要だったのでしょう。

 ・・・と全体的にはそんな感じでしたが、この作品の魅力は”若者”の存在です。トニー・レオンにずーっと見とれていました。素敵〜♪ 撮影は公開の1年前として32才ぐらいの時でしょうか、年齢よりずっと若く見えるような気がします。彼ってこんなに美しくてハンサムだったの?!なんて思ってしまいました。カッコいい役でも強い役でもないけど、傷つきやすそうな柔らかい雰囲気があります。
 若者は娼婦らに売春をさせていますが、力ずくで脅したりしていないし、どちらかというと優しいし慕われているようでもあります。なぜか青年の姉が彼に呼ばれて、初めての客を取らされます。青年がシクロを盗まれたからでしょうか。でも無理やり連れてこられた様子でもなく、まもなく姉は彼に対してかなり好意を寄せていることが分かるし、彼も好意をもつようになります。彼は姉に変質者の相手をさせるけど、手は出させないでそれを見ています。あっ彼自身も女性と行為をもたないようにしているようです。
 彼は姉を実家に連れて行きます。かなり底辺の環境です。彼の生い立ちが垣間見られます。父からは虐待されていたようだし母には庇ってもらったようです。そして今でも叩かれて抵抗もしません。
 手下の中でも彼は女親分にとって特別な存在のようです。ふたりの関係がよく分からなかったのですが、どこかのサイトに愛人って書いてありました。でもやっぱりそっと寄り添いあうだけの関係って感じです。ところで、青年のシクロが盗まれたのは彼女の指図かどうかは分からないけど、彼女もまたあからさまに脅すふうでもなく金を入れさせたり、失敗すれば悪い仕事をさせているのが恐ろしい。息子に対する母としての感情と親分としてやっていることのギャップに、表と裏の交錯する社会に生きている見本のような存在です。
 とにかく若者は物静かなんですよね〜。彼の心の声は詩の言葉を借りて聞こえてくるのですが、けっして外に向かって言ったりはしないんです。そんな彼が感情をあらわにするのは、青年がヤクザの仲間に入りたいと言ったときと、姉の処女を奪った客に対してでした。彼は青年を見て、自分のいる場所は青年には似合わない居るべきではないとずっと思っていたのでしょうか。彼自身が彼には似合わない場所で生きている感じなのに、その裏社会の理屈で行動するのが信じられないようなアブナさで、そのアンバランス感が何とも言えません。客を刺し殺した激情は、好意を抱く女性に客を取らせた結果であり、彼の屈折した性がそれをさせたように思えます。そしてその抑圧された感情に耐えられなくなって、最後の行動が導かれていったのでしょうか。。。

 シクロ青年のドラマと詩的若者のドラマは、ホーチミンの街の中で交錯していたわけだけど・・・、かなり現実味のある青年のドラマに比べて、若者についてはまだまだ描かれていない部分があって、もどかしくもありそれが味わいでもありました。